SGI会長 池田大作
◇我らには、朝夕な謳い上げる生命の讃歌がある。妙法という大宇宙の根本の法則に合掌する『勤行』の会座である。三世十方の仏菩薩と一体となって、諸天を動かし、国土まで照らしゆく荘厳な儀式だ。
仏法の最極たる法華経の方便品と寿量品を、今や世界中の友が、日々たゆまずどくじゅしている。
『常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫』―じがげには、尽きることのない仏の智慧と慈悲が明かされる。
この永遠なる大境涯に、私たちは連なっている。寿量文底の大法を行ずる境地は、まさに赫々たる久遠の大生命なのだ。その模範こそ、学会と共に広宣流布に生き抜いてきた多宝の方々といってよい。
法華経の展開では、仏から寿命の長遠なることを学んだ無数の仏子たちもまた、大功徳に包まれる。
それは、多宝会・宝寿会・錦宝会の先輩方の福徳あふれる生命の輝きにふれ、創価家族が皆、歓喜に満ちていくことにも通ずると、私は思ってきた。
生身の人間であるから、加齢とともに生老病死の悩みは避けられない。使命ゆえに、諸難も襲い来る。
しかし日蓮大聖人は、『松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる』とされ、『法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし』〈御書 1136p〉と仰せになられている。
我らは『久遠長寿の如来なり』との大確信に立って、一切を悠然と乗り越えていくのだ。