大白蓮華【2016年8月号 拝読御書〈御文、講義〉 | SHInのブログ

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-千日尼御前御返事〈雷門鼓御書〉-

【御文】
◇譬えば天月は四万由旬なれども大地の池にはしゅゆに影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちてはしゅゆに聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ〈新編 日蓮大聖人御書全集 1316p15~18行目〉

【通解】
◇譬えば、天の月は四万由旬も離れているけれども、大地の池には瞬時に月影が浮かびます。雷門の鼓は千万里の遠くにあっても、打てばその瞬間に聞こえます。

同じように、あなたの身は佐渡の国にいらっしゃっても、心はこの国(身延)に来ているのです。

仏に成る道もこのようなものです。私たちは穢土に住んでいますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。

お顔を見たからといってなんになるでしょう。心こそ大切です。

【講義】
◇拝読御文全体から、師弟とは距離や立場や形式ではなく、師匠を求める弟子の心にこそ、生き生きと脈動するものであることを教えられています。

千日尼は、法華経の信心を貫き、毎年のように日蓮大聖人のもとに夫を送り出し、真心の供養をお届けしました。

大聖人は、千日尼が師匠を求める心は、距離を超えて伝わっているということを、譬えを通して示されます。すなわち、天空の月がその影を即座に地上の池に浮かべるように、雷門の鼓の音が瞬時に伝わるように、『あなたの心は、間違いなく私のところに届いています』と仰せになっているのです。

大聖人は、『仏になる道』もこれと同じであり、私たちの身は『穢土』にあっても、心は共に『霊山』にあると仰せです。苦悩に満ちた現実生活の中で、妙法のため、師匠のためと徹する心は、『霊山』という仏の世界に間違いなく到達しているということです。ゆえに大聖人は、会えるか会えないかという形式ではなく、『心こそ大切』であると結論されているのです。

池田SGI会長は語ります。
『私は、いついかなる時も、どこにいても、常に戸田先生と対話しながら戦っています。『不二』は、自分の中にあるのです。不二の師弟は、距離を超え、時間を超えます。『師弟の心』は、永遠に共戦の歴史を綴っていきます。この『心こそ大切』の大哲学を掲げて、広宣流布の連続闘争に前進していきましょう』