ジャーナリストは、目を輝かせ、盛んにペンを走らせていた。
『また、当時、日本には、大企業やその経営者を擁護する政党や、大企業で働く組織労働者のための政党はあっても、町工場や小さな商店で働く、未組織労働者を守ろうとする政党はありませんでした。
しかし、その人たちこそ、人数も多く、苦しい生活を強いられている。
私たちは、そこに政治の光を送り、政治を民衆の手に取り戻さなければ、真実の社会の繁栄は、永久になくなってしまうだろうと考えました。
そこで、戸田先生は、1955年(昭和30年)の地方議会の選挙に、弟子の代表を候補者として立て、政界に送ることを提案されました。さらに、翌年には、協議のうえ、参議院に代表を送ることになったんです。それが、大多数の会員の強い要望でもありました。
当初、当選した学会員の議員は、特定の政党には属さず、無所属の議員として活動してきました。しかし、日本の政党政治という現実のなかで、民衆の声を政治に反映していくためには、無所属では十分に力が発揮できないとの意見が、議員たちから出てきました。
また、政治団体を結成すべきだという強い世論もあって、公明政治連盟をつくり、やがて、公明党を結成することになったんです』
※24~25p
◇一人の婦人が言った。
『公明党の内閣ができれば、軍国時代のような極右翼政治になるなんて、見当違いも甚だしいわね。大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいこうという、民主の精神に生きる政党が、どうして極右なのよ』
男子部員が、相槌を打った。
『そうだ。戦時中、信教の自由を貫き、軍部政府の弾圧と真っ向から戦ってきたのが、公明党をつくった創価学会ではないか! それで、初代会長の牧口先生が獄死されているのを知らないか!』
壮年が頷いた。
『学会は、常に、世界の平和を実現していくために戦ってきた。戸田先生は、『原水爆禁止宣言』を発表され、人間の生存の権利を守るうえから、いかなる国も核兵器を使用してはならないと叫ばれた。つまり、核廃絶への思想の潮流を起こされたんだ。その平和思想を政治の場で実現しようとする公明党を極右翼というなんて、偏見に凝り固まっているといわざるをえないな』
※40~41p