インスタや、フェイスブックにはのせない呟きをするには、昔から続けているアメブロがやっぱりしっくりくる。


実は今日は出掛けようと玄関から出た3歩で階段踏み外すという災難があった。あほだ。もろ捻挫。


これもまたそインスタなど、友人や生徒がみたりするものには載せていない。心配させるのはあまり好きではないから。


この間、腸炎をやったばかりだし、続けてだとなんだかな。


昨日は車を擦ったしなんだか本当についていない。


でも良いこともあって、今日はかてぃんさんの楽譜をゲットした。

かてぃんさんのショパンオマージュを弾いていたら、ショパンエチュードを練習しようという気になって、気づいたら夢中になっていた。


なんとなく今日はスロー弾きで、運指にかなり意識がいっていた。最初から最後までそればかりを気にしていたら、今まで感じとれなかった掌の軸や体幹を感じた。最後まで一個も運指を間違えなく弾くという謎の意地まで出来上がっていた。


そこから派生して頭の中はまた生徒のことをおもっていた。



私はふだん手の成長が、その曲に間に合っているならば、極力指番号を守らせる。


それは音色、音楽表現のためであるし、将来そのこどもが自分で自然な運指を用いて楽曲に向き合う力をつけるため。


結局、導入から初中あたりで指定された指番号はセオリーに則って書かれることが常、ピアノの鍵盤に対してまっすぐに向き合った指を軸に、体幹の安定がとられた形を基準に練られているので、逆に考えると、指定された指番号を守ることで、軸を感じられたり体幹が鍛えられる。それから指を守ることは、コントロールにも直結してくるので、守ることはメリットの嵐。


バイエルやチェルニーを未だにレッスンに用いているのは、それらが楽曲の中で多用され反復しているので、ただ弾くだけでもフォームさえ整っていれば、副産物が多く身に付くから。


ショパンエチュードになると、運指を無視しては弾けない。

運指を守っていると、なんとなくショパンさんの手のサイズってこんなぐらいだったのかなとか、こう動かしては欲しいんだろうなとか、そう言うことさえ感じられてきた。


基礎を鍛えるとは、こういうことも含めて考えているのだけれど、地道な作業なのでこどもたちを納得させながら練習に向かわせるのが、難しい。