お久しぶりです と、どこかのどなたかの目にとまるか止まらないか分からないこのブログですが

また久々に書き始めてみようと思います。  


こんなにも気ままで勝手なものですから、読んでいただけたならば、それはとてもとても有難いことだと思っています。


40過ぎてからメンタル面が整わず、いろいろと出来ていたものが出来なくなったり、

逆にできるようになったものもありますが

それは出来なくなったものよりも少々天秤が浮いている、そんな状態が続いています。


非常に安定していて、恵まれた生活だと自覚があるのに、なぜでしょう。


シンプルなものが複雑に感じたり、感情の着地点がなく時間におわれ毎日が流れていくばかり。


そうすると何かを書くことにも、いろいろと考えてしまい明日にしよう明日にしようとするうちに、日が経っていくのです。SNSをぽーっと見ていても、SNSのコメント欄をみると恐ろしくなったりもするし、それがさらに書くことを遠ざけました。


そんな風に時が過ぎゆく中、今日はふと書いてみようと思ったのです。


不思議なものです。


なぜ書こうと思ったかも分からないし、

何を書こうかと分かって書き始めたものでもありません。


ただ今日は最後のレッスン生が泣いていたことに、感情が刺激されたのかもしれません。

それはただのちょっとした衝動かもしれません。


レッスン室に入ってきたときから生徒は泣いていました。

受験生ですが、本人もなぜ涙がでるか分からないそうでただ自然と涙が出るのだと言っていました。


それでも夜遅くにやってきてくれて、ピアノが弾きたいと言ってくれた時、すごく嬉しい気持ちとどうにかしてきもちを軽くしてあげたいという気持ちでした。


泣きたい時は泣くのが一番だし

レッスンより大切な時間だとも感じました。

それが正解かどうかはわからないけれど。


ストレス物質のホルモンが涙と一緒に体外に流されるかなんだったか何かで読んだ気がする。

心が解放されるならいいじゃないと思うのと、とにかく我慢しないほうがいい。


小さいときから見ている子なので、泣かれると胸が痛いし辛くも感じる。

頑張ってるのだろう。

心がいっぱいになったのだろう。

人間の心の容量は本人にはわからないもの

スマホの容量のように前もってわかるものでもない。

分かればいいのにとも思う。


それにしても、ピアノのレッスン室というのは本当に小さく閉ざされた空間だと感じました。

彼女をなぐさめるにも限られた40分しかないし、どっか美味しものでも食べに行くか!とも言えないし、

話を聞くにも余計つらくさせるのか?とか考えたり弾きたいというピアノも弾かせてあげたい。

いろいろと考えるうちに時間が過ぎて、


最終的に私は、玄関でキャラメルコーンのミニ袋を渡したただけ。

レッスン時間は実に不甲斐ない結果だったけれど

幸いにも最後キャラメルコーンでにっこりしてくれたからほっとした。


最近生徒たちが不安定だと感じることがあります。

とくに令和になってから。


今月だけで教室の扉をあけて泣いていたのは彼女だけでないのでとくにそう思います。


何かが不安定な世の中だと肌が感じています。

こどもたちに何が起きているのでしょうか。


ここは扉を開けたら泣ける空間

それはそれでいい気もする。


ちいさなこどもたちもみんなも頑張ってる。

毎日楽しんだり戦ったりしてるんだろうな。


私も頑張ろう。






改めて感じること

ずっと生徒の中にいる何人かの生徒のレッスンをしていて思っていたことでもあるのですが、それは見えているものが、すべてではないということ。


以前に書いたブログのことは

生徒の課題というよりは私の課題なのですが

「できないところで、いつも同じように苦しんでいるように見える」
傍から見ると、そう映る瞬間があります。

けれど、その子の中で何が起きているのかは、本当のところ、本人にしか分かりません。

同じように涙を流していても、その理由は一人ひとり違います。

悔しさなのか、恐れなのか、疲れなのか、あるいは言葉にできない何かなのか。

外側からは、同じ「困っている姿」に見えても、内側で起きていることの深さや種類は、驚くほど違うものです。

私たちはつい、目に見える反応の大きさだけで、その子の悩みの重さを測ろうとしてしまいます。

けれど、悩みの深さは、他人が測れるものではありません。測れないからこそ、決めつけずに、まず本人の言葉を聞こうとすることが大切なのだと、改めて感じています。

「子どもたちに寄り添う」という言葉を、私自身、教室の理念としてよく口にします。

けれど、その言葉を書くたびに、少しだけ胸がざわつく瞬間があります。本当に寄り添えているのだろうか、と。

相手は子どもであっても、一人の人間です。
まだ言葉にする力が育っていないだけで、その内側には、大人と同じくらい複雑な感情や、その子だけの理由や、その子だけの歴史があります。

「子どもだから」という前提で軽く見てしまえば、こちらの物差しで測ってしまえば、本当の意味では、その子に会えていないのだと思います。

しかも、私が一人の生徒と会えるのは、週にたった一度、40分だけです。その短い時間の断片から、その子の一週間、その子の心の状態、その子がその日抱えてきたものすべてを、正確に読み取ることなど、本当はできません。今日見せてくれた表情や涙も、その子の一部でしかなく、全部ではない。

だからこそ、寄り添うというのは、分かった気にならないことなのだと思います。

分からないという前提に立って、それでも毎週その子の前に座り、その日その子が見せてくれるものを、丁寧に受け取ろうとすること。それしかできないのだと思います。

週に一度しか会えないからこそ、その一度を、こちらの都合や思い込みで埋めてしまわないこと。

そして、見えている涙や表情の向こうに、まだ見えていないものがあるかもしれないと、常に余白を残しておくこと。それが、私にとっての「寄り添う」の、今のところの答えです。

          Juri's Piano Garden
                じゅり
ふ

もう一つ、慌てて買い替えたものがあります。レッスン室の窓のカーテンです。



 これまでは薄手のカーテンを使っていたのですが、光が漏れて虫が寄ってきてしまう原因になっていたようで、遮光カーテンに替えたところ、案外よかったです。 


 楽器も日差しから守れるし温度管理もいい感じです。温度差が減るだろうから狂いも減りそうです。 


 おかげで虫対策にはなったのですが、思わぬ変化も。外から見ると、レッスンをしているのかどうかまったくわからなくなってしまったんです💦 


もし外から様子がわからなくても、レッスンはいつも通りスケジュール通りに行っておりますので、どうぞご安心くださいね。