コロナ真っ只中の2020年と2021年は山梨と東京をほぼ毎月行き来していた。

 

主に家族で東京に行き、用事を済ませたり家に残した物を取って帰って来たり、山梨では手に入れられないものを買いに行った。また単独で祖父母の家に行くこともあり、最近で言うところの2拠点生活をしていた。

 

山梨が本拠地になると、心に安心感と余裕が生まれたのか、とても調子良く活動していた。

 

家業のはた織りとカラーコンサルティングは東京にいた時よりむしろ盛況で、僕も手伝いを沢山したし、はた織り機は折り畳めるので僕のバンには、はた織り道具一式乗せてどこへでも行けた。

 

母が通っていた農業研修では自給自足や衣食住をテーマにすることが多く、最終回に糸つむぎやはた織りの体験も提供する事になった。

 

2020年の春からはその農業体験を行なっていたところがキブツ八ヶ岳という農業コミュニティを発足した。そこの初期メンバーに両親と共になり、はた織り部門として活動する事になった。

 

そこでイベントがあれば出店するようになった。はた織り体験に、僕は自分のお店も出した。祖父の家などから出てきた多国籍雑貨と自分のオリジナルのお香やお香立てなどだ。

 

このコミュニティおよび近辺では20代前半の人は皆無であり、貴重な存在だった。同世代も欲しいと思ったがしばらくはいなかったので東京に行った時に友だちに会う以外はほとんどリタイア前後の人や30、40代の人と関わることが多く、自分の年齢が幾つなのかよくわからなくなっていた。

 

コミュニティにはここ八ヶ岳の現地メンバーが50名ほど、県外から数百人という構成で、学校を出て以来、不特定多数の知り合いが同じ地域にいて、定期的に交流するのは新鮮なことだった。

 

色々な人がいるので様々なところで人との関わり合いがあるのは嬉しいもので、会う回数を重ね、仲良くなり、お互いを氣にかけ、昔の村の暮らし方ってこんな感じなのかなとも思う。

 

こういう生活は好きだ。

 

僕の住居の話をすると実家に住んでいたが、まず車で寝ることが増えた。

 

というのも田んぼの季節(夏前)からこの八ヶ岳の高地では、水見という作業が朝と晩にある。

 

標高が高いと水が冷たいので、一日中水を田んぼに入れることが出来ないので、夜に水路を開けて水を入れておき、朝水を止め日中の日差しで水を温めるというもの。

 

現地のコミュニティメンバーでその当番を回すのだが、なかなかお勤めの人に朝は難しいということで県外に出かけていない時以外は、僕が毎朝その係を引き受けていた。

 

当初は実家で朝起きて、少し何かしてから田んぼに向かっていたが、何かとぐうたらしてから行ってしまうので、起きてからのワンクッションを無くすために思いついたのは、夜ご飯を食べ、お風呂に入ったら車で田んぼに行き、そのまま寝てしまうことだった。

 

これが調子良い。夜はカエルの声を聞きながら眠り、朝は自然と太陽に起こされ、そこから着替えて田んぼを周って水見と報告。

 

そこから1日のスタート。着替えてからだも動かしているので準備万端だ。そこから家に戻って作業を始めることもあるし、そのまま車でブログも書いたりしていた。

 

水見のシーズンも終わると庭にテントを張って寝るようになった。初めは東京から来た友だちとキャンプ氣分で始めたことだが外で寝ると調子が良く、そのまま外で寝るようになった。

 

ご近所のおじいさんに大きなテントをいただき、キャンプ用のベッドも置いて寝るほど本格的になった。

 

徐々に寒い季節がやってきても寝袋を増やし、とうとう年越しも迎えた。もうこの頃には小さいテントに布団を持ち込み、湯たんぽは必需品だった。