山から降りてきた。
久しぶりに元住んでいた東京の街に来ると景色が、というより視界に入るマンションやビル、ファミレスなど色々な建物が小さく見えた、車から見ているのに街を見下ろしているような気分だった。そしてそれらぎっちり詰まった物たちが、何かこう中身のないような無機物さがひどく伝わってきた。
なぜ街全体が小さく見えたかというと、それはきっと本当に大きいものを日頃見ているからだと気付いた、四方八方に八ヶ岳、アルプス、富士山、奥秩父が見える地形で生活しているから、山という超巨大な物を無意識に知覚していたんだ、そしてそれよりも大きな空というものに山すらも大きく感じていなかったことにも今気付いた。
以前はビルが一番大きな物で、隙間なく立ち並ぶ建物に視界は吸い込まれ、グッと目の前にある世界に入り込んでいた、それが全てだった。
去年の梅雨頃だったプラスチックと合板で出来た質の低い家に自分はいるんだと気付いたが、今回は自分はこんな狭っ苦しいところで生活していたのかと新たに衝撃を受けた、もちろん時には田舎に行ったり、海外に行ったり、広い視界で息抜きがあった、しかし戻ってくれば、そんなことも忘れてしまう。
だが今回、気づきがあってショックを受けて気分が沈むなんてことはない、なぜならもうここに自分の生活は無い。
今あるのは青い空白い雲、そして赤く黄色い太陽の光に包まれた生活、これをベースに生きていればもう街の人工物に過敏になることもない、大通りでは赤と緑の信号が沢山光り輝き、まるでクリスマス、黄色も光ればラスタファーライ、さあつまらない顔をして通り過ぎていく、顔に覆いをしている人たちよ、次はあなたが気付く番だ!
今年の夏には真偽は定かでないが物理的な大リセットがあるらしい、これは確実に良い方に取らなければただの悲劇だろうが、その前にもう一度客観視してみよう、自分がどんな環境にいて何をしているのか。