統合の時代とよく耳ににするが、身近なものではドレッドがある。
まずなんでドレッドにしているのか聞かれるとき答えるのは
自由の象徴。まず会社勤めや学校(高校まで)通いの人は出来ないし、世間の目という縛りがあるけれど、ドレッドにするのは、そういった縛りからの解放がある。それと洗ったり乾かしたりお手入れしたりと(ちゃんとメンテをしたい人は)時間がかかるので世知辛い人生からも解放されているわけだ。ドレッドの人を見かけて、あの人他人の人生を生きているなとは、まず思わないだろう。
しかしながら不自由さも人一番経験しているかもしれない、都会の街を歩けば警察に呼び止められ爪先から毛先まで調べられ、電車、バス、エレベーター、公共施設で距離を置かれることもしばしば、ヘルメットも被りづらいし夏なんか暑い。
でも不自由さなんて受け取り方次第で吉凶が変わる、人口増加の時代、横の席が空いてるなんて気分が安らぐし、職質なんて貴重な経験だ。
そんなこんなでドレッドたちは自由と不自由の両方を経験し、真の自由を知っている。
何を選ぶか、どう受け取るかはその人が決める事、でも両方経験してみないと本当の意味で判断はできないぜ、と言いたい。
良い子になるには悪い子に一度はなってみないと何が本当に悪いのかわからないことがある、ということだ。