幻のお酒ウランジを求めて

 

昨日の夕方にダルエスサラームに来た

 

久しぶりの都会だ

 

ハバリア アスブイ(おはよう)

 

馴染みのアフリカンンママの食堂に行った、するとバックパッカーのアジア系の男性がいた

 

話しかけるとベトナム人でアフリカを旅しながら、学校を作ったりクラフトで自立を支援するプロジェクトを手伝ったりしてるとのこと

 

昨日はケニアからサバンナを渡り

 

数日後はザンビア入りするとのこと

 

身軽な人だ

 

英語も流暢に話せるし、サトウキビジュースをご馳走してくれた

 

タンザニアで他国の人と接するのはまた不思議な感覚だ

 

なんでも売ってる街カリヤコーへ、日本人メンバーのY君と向かった

 

タンザニアでやりたいことの一つに絵葉書を日本に出すことだ

 

ポスタ(郵便局)に向かった

 

一応Google Mapも動くが方向がいまいちわからず人に聞いた

 

途中でライチを売っている人に呼び止められた

 

「どこから来た?ジャパニ?これ食べてみるか?」

 

てなもんだ、ザンジバルのと言っていた

 

みずみずしく美味しい、日本で食べたことのあるものとはまた違う感じだ

 

また歩いていて話しかけると

 

「あいつは英語が喋れるぜ」とラスィリという男が現れた

 

南アフリカに旅に行ってたことがあると言う

 

彼が今日のガイドになる

 

 

郵便局まで歩いて向かった

 

途中インド人街がありスパイスの香りがした、流石だ

 

やはり商人というのは現地の人には少ない

 

ダルエスサラームにはアーティストと名乗る人達がいて、絵やブレスレットなどを売り歩いている

 

彼らは英語も喋れる、観光客相手に鍛えたのだろう、太いドレッドの人なんかもいたりする

 

ある男の人はタンザニアの歴史を話してくれた

 

タンザニアの国旗色は緑、黄色、黒そして青

 

緑は自然

 

黄色はミネラル

 

黒は人

 

青はザンジバルの海

 

タンザニアはタンガニーカというという土地と離れ島のザンジバルから成る国で、タンガが1961年に独立64年にザンジバルも独立した

 

というなかなか為になる知識だ

 

去年はタンガの独立60周年で今だに大通りの電柱には独立記念のUhuru(自由という意)という祭典の旗が出ていた

 

そんな話に感化され国旗カラーのブレスレットを買い、さらにティンガティンガというタンザニアの絵画文化でもある油絵を一点手に入れた

 

本当に気に入ったから買ったのだ

 

しかしそれを見ていた他のアーティストが自分のも見てくれ、見てくれと寄って来た

 

するとラスィリが行くぞと、少し彼らに何かを言い小走りにその場をさった

 

彼らは少し面倒なようだ

 

郵便局は金曜日で早々と終わってしまい週末は営業していないそう

 

目的は無くなってしまった

 

さあどうするか

 

するとY君が「地球の歩き方」という本に、幻の竹のお酒ウランジというのが載っていて、それを手に入れたいとのこと

 

製造の仕方や何かで商品化が難しく、お店では売っていないという話

 

ラスィリに聞くと彼の地元にはあるらしい

 

時間もあるし彼のことは信用できるのでついて行くことに

 

バスで20分くらい揺られ彼の地元

 

モアナニャラーマという場所に着いた

 

町の名前モアナニャラーマは、泣きじゃくる子供に

 

泣く必要はないさ、大丈夫という意味が込められているという

 

ここはコンクリートブロックのバラック小屋がひしめき合う住宅街で、子供がたくさん走り回っていた

 

雰囲気は良いがスラムのような場所だ

 

ラスィリが色々な人に尋ねる

 

狭い路地をすり抜け、奥へ奥へと進む

 

ついにたどり着いたのは1軒の飲み屋

 

入り口の長椅子に腰掛けるように言われしばらく待つと、白いカルピスのような飲み物が出て来た

 

飲んでみた

 

何かが発酵したような味で少しの酸味と爽やかな味が広がった

竹なのか聞くと、アショカという植物で

 

改めて調べるとAshoka またはSaraca asoca 和名はムユウジュというそう

 

それの発酵ドリンクで一般には出回らず、どぶろくのような扱いだ

 

ペットボトル2本分ほど買い

 

ラスィリが家に来ないかと誘ってくれたので行ってみることにした

 

彼の家もバラックだが前に強風が吹いて壁が取れてしまい道からむき出しの空間がある

 

お腹がすいて来たのでY君に待っててもらいラスィリとマンダジ(三角形の揚げドーナツ)と小魚のフライを買って戻った

マンダジ

 

するそこにはすでにラスィリの家族がご飯を食べていて、一緒に交わった

 

子供が3人いて、彼の弟などもいた

 

マンダジも小魚も持っていたのにウガリと魚のトマト煮スープのようなものを分けてくれた

 

ウガリはさすが現地人!ふっくらと美味い

 

そしておかずのスープの塩梅と言ったら完璧だった

 

食後にラスィリと少し話した

 

彼はエコバッグを売ったり、カリヤコーで小さな物を街角で売るだけが商売なようで、家の壁を直すのにお金が必要だと言っていた

 

彼は言った「ここに争いは無い、でも飢えがある」と

 

彼に聞いた、田舎に住もうと思ったりしないのかと

 

すると「考えることはある、しかしお金がない」と

 

考えた

果たして本当にそうなのか、海沿いやエコビレッジの方で暮らす人々はもっと呑気に暮らしているように思うが、都会の生活に麻痺しているのでは、と

 

何はともあれ帰ることにした

 

Y君と考えガイド料ということで少しお金を渡すことにした

 

帰りのバイクを調達してもらった

 

ラシィリはこれだけじゃ足りないと言った

 

ムムムムム、バイクに乗る前にもう少し渡した

 

バイクに乗りながら考えた

 

お金を渡すことが良かったのか

 

そしてこれだけとY君と決めた後にもう少し渡した自分の心

 

あの「少し」はこの時の自分そのものだった

 

ダルエスサラームの拠点パームビレッジに戻ると、英語スワヒリ語の辞書や本を売っている男がいた

 

辞書を見せてもらった、初心者向きでなかなか良かった

 

しかし値段を聞くと高くも思えたが相場がわからない

 

もうこれしか無いだけどと伝えると値段を下げてくれたが、簡単に下がったもんでもっと安いんではないか?ふっかけられてるんじゃん?と思った

 

何かこう、つけ込まれているような気分になり断った、もう繰り返さない

 

もし本当に必要なものならまたどこかで手に入る、そう思った

 

そうしてパームビレッジの中に書店があるのを思い出し入ってみると

 

なんと同じ本が定価で売っていた!

 

自分の意志を取り戻した気がした

 

都会ってのは人の心を貧しくさせるのか?どうして行くのかこれはまた新しい課題だ