家に帰って恐る恐るパスポートを開けた。というのもそろそろ期限が切れる頃だった氣がしていたからだ。

 

するとなんとギリギリ6ヶ月。このギリギリな感じは「行く」って事だと感覚で感じた。

 

一応両親にも相談し、承諾をもらい。コロナで東京都(この時まだ住所は東京に置いていた)から10万円の支給もあったところで路銀もある。

 

「パスポートの期限足りてました」と連絡すると次の日には「この便で来てください」と指定の飛行機の便を教えてくれた。

 

「しゅっ出発まで、あと一週間も無いじゃないか、、、」

 

急いで準備を始めた。

 

そろそろネタバラシをしてもいいかと思うけれど、この頃国外に出る時にはPCR検査の陰性証明が必要で、それにお金も結構かかるので頻繁に国外に出かける人のPCR代は馬鹿にならなかったのだが、なんとPDFのデータでよかったのでデータを作って持っていけば通ってしまうという抜け穴があった。(もちろん帰りは向こうの国でちゃんとお金を払って検査をしないといけない)

 

発起人さんが最後言ってくれたことは、テントを持ってきた方がいいって事と一日一食ありつけるかわからないってことだった。

 

幸い年越しもテントで過ごし、ここ数ヶ月寝泊まりはテントの僕にタンザニアの暖かい土地で寝ることなんて序の口だ。一日一食も頻繁にしていたのでそれもどうにかなりそうだ。

 

山梨でほとんどの荷物準備をして東京入りした。

 

実はこの頃から、東京の元祖父母の家には僕の友だちが住んでいて、東京に行ったらいつでも泊まれた。テントのフレームの中のゴムがだいぶ伸びていたのでホームセンターで新しいゴムを買って直した。

 

バッグパックに必要なものパンパンに詰め込んでいざ出発。

 

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便が指定されていたのには、実は一緒に同行してほしい人がいたからだった。11歳の少年とそのお母さんだ。

 

席は近くでもないが、空港などでお互い一緒なのは心強かった。なにしろフライトは長く36時間。そのうち11時間くらいは乗り換えで空港で暇を潰さないといけなかった。

 

仮眠が取れる場所で二、三回は仮眠した後いよいよ最後の飛行機に乗り込んだ。いよいよ次に降りるときはタンザニアだ。

 

タンザニアには日が暮れてから着いた。空港はそこまで大きくもなくインスタントラーメンのような変な匂いがしたのを覚えている。

 

入国審査を通り抜け発起人さんと合流。とても背の高い人だった。

 

タクシーに乗り、空港のある町ダルエスサラームの拠点へと向かった。

 

タンザニアでの拠点は二つ。ダルエスサラーム(都会)とエコビレッジ(田舎)だ。

 

ダルエスサラームの拠点はパームビレッジというのでここでもそう呼ぶ。

 

パームビレッジは高層ホテルとモールに、住居のスペースもあるところで中国資本の大きい建物で当時はまだ工事中だし、カジノも作る予定と聞いた。住居スペースを分譲しながら作っているようだ。

 

建物の中は大理石調の床と壁。エレベーターに乗って割と低い階に上がり一つの部屋に入った。

 

部屋の中は入ってすぐにキッチンとリビング。トイレとお風呂が一緒になり、寝室が二つある。

 

大きなペイントが壁にかけてあったり、家具や置いてあるものがどれも日本とは違うデザインやサイズ。

 

サバイバル生活をイメージをしていたのでギャップに驚いたが、ひとまず僕は寝ることに。

 

僕と一緒に来た男の子のお母さんは発起人さんとの再会に花開かせ、僕は床に寝袋を出して寝た。

 

後になって色々わかったのは発起人さんは世界各地にCo-Livingというシェアルームなるものを持っていて、何人かの人(それもベッドの数以上の時もある)で家や部屋をシェアして住んでいて、他拠点生活をしている人が入れ替わり立ち替わり泊まっていったりするらしい。

 

ここパームビレッジではタンザニア人女性とエコビレッジの第二の発起人でもある7歳の女の子とお母さんも拠点としている。