朝早くダルエスサラームで起床

 

建物の外にはたくさんの車と人が行き交い、それを上から眺めるエコビレッジとは180°違う視点

 

この頃はまだ出国するのにPCR検査を受けないといけなかった

 

タンザニアを含めアフリカ諸国はPCRを始めとするCovid19に関わる事には興味はないのが事実で、空港を一歩出ればマスクをつけた人も皆無(つけているのは外国人だけ)だが、なんせ世界を牛耳る権力があるため、せめて政策を取り入れるなら、こっちも金をもらうぜと検査には、まずタンザニア政府に50ドルを支払い、その領収書を持っていないと検査を受けられない

 

なのでまずはピキピキ(バイク)を捕まえて銀行へ向かった

 

到着したのはATMがある何かの施設で、銀行ではなかった

 

でも正しい場所は必ずしも遠いい訳でもないようなので歩いていくことにした

 

そこの地名はSea Cliff、海沿いに大使館や建設中の土地があるのみ

 

次第に歩道がレンガを敷き詰める男性によって築かれ始めた

 

地面から顔を上げると、そのすぐ横に光のよく差し込んだ林のようなものがあり、奥で初老の男性が絵を描いている

 

何かとても気持ちよさそうな雰囲気に誘われ、奥に進んでみると

 

そこには、とても素敵なCliff(崖)が広がっていた

泳ぎたくなるような海原

 

海風を存分に浴びると、また再び銀行へと歩いた

 

支払いを済ませクリニックへ

 

銀行からは歩いて5分ほど

 

数席のテーブルがある屋外のご飯を食べれるフードコートを横切っていく

 

検査が終わったらランチでもしよう

 

クリニックに着き、さらに検査代の50ドルを払うと、なんとドルが古いから、うちでは使えないと言う

 

後で調べたら、絵柄は一緒でも何年製造とお札に印刷されており、銀行では使えるものの受け取るのを嫌がるところもあるのだ

 

実は今回持ってきたドル札は、おじいちゃんが残したもので少し古く、こういうことが起こった

 

また銀行に戻りタンザニア氏リングに両替して、もう一度クリニックへ

 

検査自体は西洋の人が行っており、献血のテントみたいなところで鼻の穴とほっぺたの内側の棒を突っ込む

 

検査結果はパスポートナンバーと紐づけられ、後日ネットで確認してからクリニックに取りに行き、日本の空港で通じる書類に記入してもらう

 

三度も下駄で通り過ぎたフードコートに行き、お馴染みのチャパティとゴンベスープ(牛のスープ)を頼むと、チャパティは本日は切れたという

 

場所を変えようかと思うと「テチュ」と名乗る短いドレッドヘアーの男が現れ

 

「チャパティを別のところで買ってきてやるよと」と言い、自転車で買いに行ってくれた

 

ここでは自転車に乗る人は珍しい

 

食事を終えてチャイも飲むと、今日は特にやることもないので思い切って、ティチュにガイドをしてくれないかと頼むことにした

彼はザンジバル(タンザニアのリゾート島)出身で、今はダルエスサラームのムササニという所に住んでいる

「さて行こう」というところで別の男が現れた

 

名前はサム(本名はSamueli)よくいうサムエルという名のタンザニア版だ

目つきは悪いが優しい

 

キリスト教も広がっているこの国にはクリスチャンネームも珍しくない

 

彼は「椅子に座れ」と言うと俺のドレッドを編み始めた

何編みかは知らないが写真ではラッパーなどがしているのを見た事があるヘアスタイル

 

でもそれは普通短いドレッドでかっこいいものだが、なんせ長いドレッドだ

 

背中まで編まれたドレッドは、新宿の髪の毛がビート板状になったホームレスのように肩下まで届き、バックパックを背負うのに少し邪魔だったのは否めない

 

サムは1000シリング欲しいと言うので相場はわからないが支払った、これもストリートで生きる知恵だ

 

その後、ティチュの友達という、日本で言ったらホームレスの若い人たちのところを訪ねた

 

彼らはペットボトル、缶、ビンなどを収集していて他のスクラップを積み上げた場所に休憩する小屋なる物があり、そこの人が集って話などをしていた

 

決して不潔な感じはなく、人もよかった、写真を撮っていいか尋ねると、たちまち人が増え、仲良く挨拶を交わした、皆楽しそうに生きている

 

中々外国人として来ては遭遇できない貴重な場所だったが、ティチュのツアーはまだ終わらない

 

次はマサキというところに案内してもらった

 

そこまでも、ティチュのガイドによって色々な通りや角、裏路地に抜け道を通り、彼の友だちに会いながら、ちょろっと話してはティチュはその仲間から小銭をもらったりタバコをもらったりしていた

 

とても顔が広いし誰に対してもフレンドリーだった

 

警察にも挨拶をして冗談も飛ばしているようだった

 

さてマサキがどんな所だったかというと、そこには大きな木が目印になっている小さな広場にアル中の人々が集まって呑んだくれている憩いの場だった

 

 

若い人は見かけなかったが30代くらいから老人までが通称「ワンズキ」と呼ぶどぶろくのアフリカンビアーで再利用の150mlのペットボトルに3分の1くらい入っていて、100シリング

 

開けるとプシュッと音をたて酸味と甘味の混ざった匂いが香る

 

味は発酵したジュースで特別美味くも不味くもなくアルコールは弱いが、それをみな次々に飲み、空き容器を積み上げる

 

ムナズィと呼ぶココナッツのお酒もあり、これはアルコールが強く値段もワンズキよりする

 

少し飲んで、あとは近くでニコニコしているおじさんにあげた

 

知らないところで、酔っ払っらうのが一番危ない

 

ニュートラルな視点でwalevi(酔っ払った人たち)を見る

 

スキンヘッドの女性が現れ「Mum yangu(マイダーリン)」と言ってハグをしてきた

 

周りの人は「また始まったよ」というような反応

 

そこの長老のような年配の男が来て「すまねえ、彼女は頭がイカれてんだ」というようなことを言った

 

黒々とした目がシワのよったまぶたの奥に光っており、こちらの心を見透かすような不思議な力がありそうだった

 

実際に彼は皆をまとめてもいたが、彼もアルコールに呑まれていた

 

ティチュは、ここに来る途中、ときおりボブマーリーの曲を口ずさんだ

 

「KAYA」のフレーズ「Gotta have kaya now for the rain is falling」を繰り返した

 

彼が「Gotta have kaya now ~」と歌い始め

 

2人で揃って「for the rain is falling~」とそろって歌う調子だ

 

しかし彼は呑んで、だんだん会話も同じことしか話さないし、KAYAも聞き飽きてきた

 

彼も結構ひどいアル中だった

 

彼に「そろそろ帰りたい」と伝え、それでも彼はしばらく呑んでから、みなに別れを告げて、帰路に立った

 

ここに来る前に売春をやっているような所も通った

 

ベットだけの狭いワンルームに女性がいて、それが何棟も立ち並ぶ

 

しかしイメージするような怪しい雰囲気が漂っているわけでもなく、外でウガリを楽しそうに、こねている女性たちもいて、ティチュはいつものように挨拶を交わして冗談を飛ばしていた

 

通り過ぎた後、そういうような場所だと言っていた

 

思うに彼女らは生活もそこでしているし、時にお金のために身を売っているのか

 

詳しいことはわからないが、食事の準備をしている時の笑顔は本物だった

 

ティチュに知っているところまで連れて来てもらい、ガイド料としてお金も少し払った

 

ティチュのおかげで安全に、そして普通じゃ足を踏み込むことの出来ないところに行き、良くも悪くもタンザニアの都市の事情を垣間見る事ができた

 

 

一度ダルの拠点に戻り、夕方カリヤコーという市場に出かけた

 

ローカルバスに乗って、到着する頃には、あたりはもう薄暗く店仕舞いを始めている所もあった

 

市場はストリート(通り)ごとにジャンルが分かれ

 

服、食品、日用雑貨、車のパーツ、化粧品と移り変わり、その間を抜ける

 

服が売っている通りで

「何をお探しだい?」とときおり声をかけられる

 

「何か面白そうなものを探してる」と答えると

 

「シャツか?パンツか?靴か?」

 

だから特定の物はないってば

 

大体夜に外で服を売るってのは本当の色味もわからないし、服屋は鏡を持ってないし、所変われば品(文化)変わるってことだ

 

また若い男たちが話しかけてきた、そのうちのデュラという青年は英語が話せた

 

見かけは同い年くらい、でも聞いたら30歳!

 

元々南アフリカ生まれでモザンビークやマラウイを北上してタンザニアへ来た

 

また面白そうな事が起きそうと、ガイドを頼んでみた

 

そう、知らない国に来たら、ある程度信頼できる(出来そう)な現地をよく知っている人にガイドをしてもらうと、安全に色々なところに行って楽しめる

 

実はタンザニアにもう一度来たら、欲しいと思ってた物があった

 

それはタンザニアのサッカーユニフォーム

 

まっ青にまっ黄色のラインとナショナルフラグの入ったセットアップ

 

大好きな発色!かっこよくてたまらない

 

デュラにそれを伝えると、まず彼の友達の店に行くことに

 

この服、頻繁に見かけるもので、タンザニア人はサッカー好き

 

でも、この服一応アディダスということになってるが、質はイマイチ、、、

 

しかも、ばらつきがある

 

上はあっさり見つかったが、下が中々見つからず、他の店もグルグルし、セットではないもののアディダスの同色を見つけることができた

 

最後にガイドのお礼ということで、夜ご飯を一緒に食べた

 

もちろん一人で食べに行くのも寂しいのもあったが、デュラのことももっと聞きたくて、小さいモスクのあるムスリム通りのそばの食堂に入った

 

豆とお肉のおかずにご飯とスープ、特に変わったものもないが、タンザニア最後の晩餐

 

デュラは、今は服を仲間と売り、それを続ける、でも英語も話せるしパスポートも持っているので他のアフリカ諸国に行けると話していた

 

彼は服を探し回っているときに、ずっと被っていた帽子を取り「俺も同じ髪型だぜ」と短いドレッドを見せて無邪気に微笑んだ(今日はドレッドと縁がある日だ)

 

そして真面目でもある態度を見て、ふと彼とこの先何か一緒にできないかと思った

 

デュラに連絡先をもらい、バスの乗り場を教えてもらって空いたバスで帰った

 

最後にビーチのそばにいる初日に仲良くなったテオナスとパスカーリに会いに行き

焚き火を囲みながら、家づくりをして来たことを話したり、テオナスに日本語を教えたりした

 

明日には日本に帰ることを伝え、最後にダルエスサラームの海風を浴びに行き、寝床に帰った

 

タンザニアともお別れ

 

Usiku mwema(Good night)