やっと一旦まとめ、今回は思想の部分です

 

 

タンザニアでの体験からはや5ヶ月経った

その間たくさんの人達に話をして、お話会も2回させて頂いた

その中で、まとまってきた事を一度綴っておこうか

が、まず言えることは、それが一つではないってことだ

聞いた人によって、面白かったり心に残った事が違うように自分にとっても立つ位置や視点によって違う

そして帰国後のマラリア発症と入院

正直その経験も含めてやっと一つのストーリーが完成するが、一旦それ抜き(抜けるかわからないけれど)に話そう

 

ここでは二つ

 

-「1と2と3」

-「地球規模のバランス」

 

順番に辿っていくとまず思い浮かぶのがタンザニアでの生活だ

名付けて「1と2の生活そして3へ」

 

この発想はエコビレッジの最後の晩に焚き火を囲って友達と話した事なんだ

 

「この世には便利と不便がある」

 

そう思ってきたが、それは違った

 

実は普通の生活と、より便利な生活の二つしかないんだ

 

普通の生活とは昔から人類が送ってきた生活で、なんでも自分達で作って、食べ物をとって来て、火を起こして、自然と戯れ、日が沈んだら寝る

 

そんな生活を「1の生活」と、ここでは呼ぶ

 

そして便利な生活とは近代、技術の発展により昔ほど手をかけなくとも築ける生活、買いに行き手に入る出来合いの物、火の無い調理、人工物のある景色、夜になっても明るい道

これを「2の生活」と呼ぶ

 

後者が悲観的に聞こえたら謝る

 

いつも言っている事だが、今一度言っておこう、どちらが良い悪いではない

 

良い悪いという論点では何にもならないんだ

 

 

タンザニアの生活だって飛行機で飛んでって、携帯で写真を撮って、買い物をしてるわけだし、風が強けりゃ魚は取れず、食う寝る住むの為だけに生きると、それだけで1日は終わってしまう

 

日本だって、自分の足で山に登り、コンパクトなガスボンベでお茶を沸かし、買ったシリアルバーで至福の時間、温泉入って癒され、ビールを飲んでベッドに潜り込める

 

よく考えてほしい、この二つはなぜ同時に存在しているか

 

これは対極のものか?

 

いや違う、あくまで1から2への進歩だ

 

何においても時間ていうものがある限り、物事っていうのは良くも悪くも進歩していくものだ

 

それはより人生を楽しむため、自分達の生活を豊かにするため、もっともっと良くするため

 

という共通意識が作り出した尊い結果だ

 

だが、それでもなお改善して行きたい、そういう思いから楽観と悲観というものは生まれる

 

 

ではどうしたら良いのか?どこへ進めば良いのか

 

それには「3」というまだ見ぬ新しい生活を生み出すことだ

 

「3」でなく「A」やら「@」でも何でも良い、要するに2択じゃない

 

お気付きだろうか厳密には、それはすでに生み出し中だ

 

しかしまだ形も無く、どうなっていくかもわからない

 

だから心配事もつきまとう

 

でも同時に安心感だってある

 

ハラハラドキドキかワクワクドキドキかの違いだ

 

明らかに時代は変わって来ている、それは色々なところから見て伺える

 

「統合の時代」と言われてきたが、自分が選ぶ言葉は「融合の時代」

 

統合とは2つ以上の物を1つにする事

 

でも融合は2つ以上の物を合わせて、全く違う物を生み出す事だ

 

タンザニアで行き着いた答えは1と2、お母さんとお父さん

 

3は子供みたいなもんだって

 

帰国後に日本で気が付いたのは

 

田舎に行き帰農、江戸みたいな循環、ネオ縄文なんて声も聞く中

 

かたやAI、バーチャル、メタバース

 

時代は過去に戻るのか、未来へ行くのか

 

答えはどちらの要素も吸収して消化する事だ

 

どちらかを知らずして新しい物は導き出せるものではない

 

だからこそ今どちらも目の当たりにしているんだ

 

極端に1の生活を知るためにタンザニアに行き

 

極端に2の生活を知るために日本に行く

 

それに気付いたんだ、本当の1を知っているのか、2の事を否定して別のところばかり見ているんではないかってね

 

 

無論、タンザニアと日本は自分のケースであって他の人にとってはパプアニューギニアとイギリスかもしれないし、千葉と埼玉であるかもしれない。もしくはもっと小さい規模かもしれない

 

物理的に長距離を移動すると運勢が変わると聞いた

 

マラリアで死にそうになっても今、有頂天いる

 

自分の役割に気付きつつある

 

運がかき回された感じだ

 

お話会で頂いた質問に「タンザニアから見た日本」というものがあった

 

それに対して的確な回答ができなかった

 

なぜなら45日間一切日本と連絡も取らずタンザニアの「目の前の世界」「今という時間」だけに没頭していたら、「日本」というものが消えてしまったことにあった

 

タンザニアから日本を俯瞰して見てみよう、という発想に至らなかった

 

もちろん帰国をして再び目の前に「日本」は現れたんだが、何しろ40度の熱で寝つけないんだ

 

最終的にマラリアとわかり病院に送り込まれ文明にたっぷり恩恵を授かった

 

でもどこか心の底にあるものを引き出してみると国境の話じゃなかったんだ

 

もっと地球規模での視点が必要なんだ

 

だってこの星に生まれたんだから

 

時間があって、物理的な制約があって3Dだから面と裏があって

 

オモテナシ、でなくてオモテウラアリ

 

良いと悪いが同時に存在する世界

 

でもそれが同時に見えてる視点っていうものがあって、それが例えば5D(五次元)なんじゃないか

 

色々な選択肢が見える世界って事だ

 

だからずっと俺が言いたかったのは良いも悪いも含めて受け取って、直したいところは治していって、好きなところを汲み取って、少しでも自分にとって理に叶っていて、それが同時に身の周りの人にとってもしっくりくるものに近づけて行く

 

タンザニアエコビレッジの発起人が言っていた彼の造語

 

「釈然とした世の中にしたい」

 

この意味、よくわかる

 

誰の中にも釈然としない何かがある、しっくりこない違和感が

 

これを寿命のあるうちにどうにか出来るかはわからない、でも少しずつならどうにかなる

 

それには行動しかない

 

だから今日を生きる

 

そしてきっと明日も生きている

 

昨日を生き延びて来たように

 

その中で思いもしなかった結果が生まれる

 

全く新しい発想が生まれる

 

なぜ人は動き続けるのか

 

大陸を渡って移住したり、または永遠の遊牧だったり

 

そこには地球のバランスを担う役目が人間にはあるからだと思う

 

だからこそ便利なものを作り上げる力を授かっている

 

 

 

例えば、東京都の杉並区では美しい黄緑色のオウムのような鳥を見ることが出来る

 

確実に故郷は日本ではない

 

しかし群になって生活を営んでいる

 

どういう経緯かといえばペットとしてどこか遠いい国からやってきて飼われ

 

ある日窓を開けた拍子に逃げ出し、同じ境遇にあったオウムと結びつき、子供を産んだというわけだ

 

見方を変えれば害獣、フンやら鳴き声、在来種への影響、色々あると思う

 

方や故郷の森は食肉のプランテーションのため焼き払われ、残った鳥は捕獲されまた輸出され、どこかの少年の家で息を引き取ったかもしれない

 

この話はあながち作り話ではない、現に現地では絶滅した生態系が海を渡り生きながらえているという事実がある

 

人間だってイスラエルの民は国を無くし一体どれほどの歳月さまよっていたことか

 

 

また誰かが旅をして、どこか名前を聞いても場所がピンとこないような国に行くとしよう、彼がそこで与える影響は多大だ、着るもの持つもの喋るもの、何をとっても違う

 

同じなのは足があって顔があって鼻の穴が二つあって、同じ人類だってことだけだ

 

でもいずれ意思疎通をして仲良くなりお互い学び合う

 

その一部始終を見ていた少女はいつか自分もここを飛び出して、この人の見る世界を見たいと思う

 

そして彼が故郷に帰り、思い出を仲間に話すと、またそこで触発される人が現れる

 

退職金を握りしめ、まずはツアー会社の戸を叩く

 

しかしなぜこの流動性という自然のリズムが生まれるか掘り下げると

 

地球規模で皆がバランスをとっているというところに辿り着く

 

影響を与え触発し合い、援助を訴え助け合い、思いを伝え愛し合う

 

それは人為的なのか、自然的なのか、何かの意図なのか

 

私達に知る由は無い

 

でも知っていることがある

 

これを追求すること自体が目的であり、結果を知ることではないということ

 

合間に「ふぅ、最高な気分だね」って言えること

 

じゃないかと思う