もう10年は病気なし、病のや、も忘れる勢いで多分これからも西洋医学のお世話にはならないだろうと思っていた矢先、アフリカ(タンザニア)というまだ経験免疫のない土地に行き、大きなお土産を貰った。
1シリングだって払って買いたくない、重度のマラリアって代物だ。
少し振り返ろう、思えば帰りのダルエスサラームの飛行場から異常に寒いし眠たい。水も買いにいけない始末。そして飛行機も窓席はキリマンジャロを登頂したロシア人がとっていて寝るにねれない。
暑いし寒い、映画も見る気になれないし、音楽だってコードがうっとおしい。しかもマスクつけろだって ? すぐさまマサイの布を被った。
食欲もなかった、一応選んで出て来たものの口に運ぶと二口、三口でもう十分、飲みもんだってお湯とか飲みたいのに冷たい水がベストチョイスと来た、一度頼んだコーヒーはバカだった。寝とけば良いのにカフェイン注入してどーする。
一度少し気持ちが落ち着き音楽を聴いてみた、するとどうだろう音がいつもと違う、裏返っているというか消えてる音もある、違う曲にはなっていないがDJが色々いじくりまわして限界まで曲の領域を広げた感じだ。イヤホンが壊れたか ? いや頭が壊れている。その時自分の状態がだいぶヤバいことに気がついた。その後も確かめるポイントは音楽がどう聞こえるかだった。
乗り換えのカタールで3時間の間にまた美味しいビリヤニを食ってやろうという気持ちはすでになく真っ直ぐ歩いて平然を装うことで一生懸命になっていた。結局また水を買う暇もなく次のゲートまで行って寝た。ここの仮眠が良かったか少し楽になった。
ここからはツイていて席は窓際、一番後ろでリクライニングし放題、横に誰もいない3人シート。横になって寝たり、出てくる食事も来るたびに食べれる量は増えて、映画も一本見れた。”Remember Me”というディズニーのアニメーションでメキシコの文化やリズムそして死への価値観がわかる。タンザニアではLucky Dube の ”Remember Me” という曲をよく聞いたもんだ。何かこの二つに関連があるのだろうかと考えている頃に成田に着いた。
さてコンディションはどうだったかって ? 案の定思ってた通り20時間以上のフライトの間に治った(かに思えた)そしてPCRを4フライト分の人を後に、受けた。どうやったら引っかかるのか考えながらひたすら待った。
幸いにもネガティブ(俺はいつも結果はネガティブよりポジティブがいいだろと思っている)で帰れることに、と思いきや税関で色々あったが別記事で。
さあ、日付けも超えた、友達が迎えに来てくれたのでゆったり東京の拠点へ一泊。
とりあえず寒い、30度から舞い戻ったからだろうか、2つ繋げたコタツへ全身滑り込ませる。
余談だが東京の拠点は実は祖父母の家だが、行く前に友達2人が住んでいて、帰って来ると5人に増えていた。いつでも帰れるシェアハウスに変化だ。お茶漬けを1杯もらい、色々話して寝た。
車も友達に使ってもらっていたので東京に置いてあり、当初は一人で帰るつもりだったが、次の日は自力で運転して帰れない事に気付くほどの気だるさだ。いい仲間を持ったもんだ。ご丁寧に送ってもらい、彼らはバスで帰った。
さて実家、とりあえず横になりたい、何日かゴロゴロしていた。しかし寝たくても寝方がわからないと来た、というのも睡眠てのは自然と寝落ちするもんだが、それが全く無い。それでも昼間こっくりこっくり寝れることもあり夜より昼間の方が調子良かった。
あまり横になり過ぎたか、久々に縦になると吐き気をもよおした、しかしトイレまでまっすぐ歩けない倒れかけ触った壁の棘が刺さった。
しかしいくら意識がモウロウとしようとドレッドを後ろでキュッと縛り(ドレッド同士で)何か飛び散らないようにするケアだけは忘れなかった。
食欲は殆どなく、幾分か調子が良くなり両親が間違えから入ったプライムで見なおしている”寅さん”を見始めた面白いが身体はすでに熱を持ち始めほぼ毎日40度。だが10年も病気なしにとって40と聞いてもピンとこないのが正直なところ。
気づけば1週間は経った。その間に不思議体験があったがそれも別記事で。
何人か見舞いに来てくれた、そして病院に行くことを勧めた。ここからが今の情勢の欠陥だ、どこもまずPCのRを受けて数日結果待ちしてからだと、その間に死人が出てもおかしくない。大体帰りの飛行機で熱出てるやつが成田でネガティブ宣言されてんだぞい。とまあ怒っても熱が出るだけだ。
幸いにも家に一番近い診療所は鼻に綿棒を突っ込めば数十分で中に入れる。で先生は俺を見るなり脱水症状だと点滴を始めた。体にだいぶ直接(注射など)何か入れるのは好きじゃないが今回に限っては身を任せた。
さて80%マラリアなどの感染症だと。
次の日、大きい病院に行った。
続く、「入院」