前回、牧師や教会の体制などの問題を指摘したが
今回は高齢の信徒による「老害」について考えてみようと思う。
なぜ日本はまだ教会だけは昭和気質なのだろうか。
高齢の信徒の割合が多いからだろうか。
傾向として思うのは、年配のクリスチャンは「教会で奉仕をしっかりすること」が神様に喜ばれることだと思っている人が多い。
聖書には書いてはいない、「マナー」に厳しかったり、牧師を絶対的な「先生」としてみていたり。
のくせ、若者に漠然とした過度な期待を抱いていたりする。
礼拝中にスマホつついている若者を、睨みつけている高齢者もいたりする。もう老害(笑)
清く、正しく、美しく
の押し付けは老害にしか感じれなくなる。
あと、信仰に関しても「根性論」があったりする。毎週教会に来ない人を「弱い」と見ていたりする。
若者を、体力があるんだからとか若者の成長の為とかといって「奉仕」をさせようとしたり。
現代人は、情報を無限にゲットできたりする。
昔みたいに、ひとつの教会にしかコミットしてはいけないという考えが現代では合わなくなってきているように感じる。「みんな何か奉仕をしないといけない」とか「いつまでもお客様気分でいるな」とかそんな発言を現代人は、「成長」としては受け取らない。奉仕は喜んで神様に捧げたいという思いから、可能な範囲ですれば良いし、そう自然と思えるようになることをむしろ妨げているように思える。
嫌なら断ってもいいし、負担に感じてまでする必要もない。自分自身を大切にすることも「成長」である。今は海外の教会の情報だって入ってくる時代に、日本の教会の独特さにも気付いたりする。
コミットする教会は一つでならないといけないとか、コミットする教会を決めればもうそこに縛られて生きていくことになる。野生クリスチャンが増えても仕方ないのかもしれない。
それも教会の高齢化の原因だと思う。
1番若者を遠ざけているのは、やはり「根性論」だろう。いつから聖書が「根性論」になったのだろうか。