あまり書かないことだけど | じゅんちゃんのぢゃむブログ

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今回 神社仏閣に身を置く立場の人が何故 人を殺める おかしいんじゃないか?

と話に出たり 意見を聞かれたりするので 私なりの思う事を…


神仏にたずさわる人で あれ 一般の人であれ 人を殺める事は 絶対にいけない。


どんな理由があるにせよ (正当防衛や不測の事態で相手が亡くなった…は別として)

怒りや情念の感情思考で 人を殺める事は ただの思慮分別を失った人のすること。


立場は神仏にたずさわるかもしれない。
でもその中身がたずさわるに値してない自分自身だったとしたら…


姉弟喧嘩の極端な行く末とはいえ…

殺めて何になる
殺める事で何が解決する 自分の気が済むだけじゃないか…しかも神聖であるべき場所で…
個人的な気が済むなら 何をしてもいいのか?


神仏にたずさわる人間は 一般的な生活にはない、少なくとも戒律がある。
その戒律の中で生きて身を律する立場は自分があるけど、自分は神仏継承の道具の一つでしかないので 世の中の人々より "偉いとか凄いとか敬われるべきもの" というものじゃなくで

自分の欲は戒律を忠実に守る事で 神仏に忠実にお仕えする立場。そして人々に忠実にお伝え(パイプ役)する立場だと 思うんです。

中には びっくりする様な私利私欲の強欲さや 信じられない位 自分の地位確立の為にとか もあるかもしれません でも世間一般的な人々の立場とは違うので 己を律する事ができなければ偏ったカルト思想や、偏った洗脳や、このような結末を招くのかもしれません


私には一度も己の力を過信したことも
自分の力で生きてこれたとも
全く思った事がありませんが、まだまだ神仏や周りの人々、身内や家族によって、世の中に生かされてるので

日々修行だと 普通の人間ですから煩悩燃える程 怒りも憤りも 感じながら居る時もありますが その怒り憤りの感情がすぐに、とても哀しみに変化します。


本当に許すまじ な事があっても 逆にそれをバネにして頑張る歯を食い縛る方向で生きています


返って、その立場だから 文句は言って来ないだろう黙って堪えてくれるだろう、許してくれるんだろうという あえてわかってて、しかけてくる人々も実際居るのも承知で想定内。わかっていますが


いやいや…人間ですから 思いますよ内心は"ふざけるなむかっ(-_-)"と。

でも そういう時は思うんですね
"自分のした事は返るからほっとけばいい"と。


必ず忘れた頃、一番大切な時、大切な物事、大切な人に 返り、その時に慌てたり苦しんだりします。自分の世代を越えてもそれは出てきます。

何故なら 自分のした事は必ず回り回って返るから。宇宙の真理、法則みたいです。

悪い事は尚更、どれだけの事をしたのか思い知る程 自分に返るので 自分自身に直接返るなら まだそれは楽ですが 大切な人、家族に返ると どうでしょう…耐え難い苦しみですよね

だから 同じ返るなら なるべく 計算じゃなく人様に誠実であれば善であれば 喜ばしい事をすれば 己に恥じる事がない ものであれば それが徳になり 世間で言う人徳評価になるのでは?

と純粋に思います。


"情けは人の為ならず" はその返る本質をいう諺です。人の為にならないではありません。


たとえ、きらびやかな金や銀に染まらずとも心は白であればよいと 思って生きています 我が子にもそれは伝えています。
"人と闘うんじゃなく己と闘え・足るを知れ" と。結構小さな頃から そう伝えていたので 周りの欲張りさん達や競争したがる人々との不協和音もありましたが(;^_^A

それでも 何があっても 起こっても 怒哀の感情は激しく内に秘めながら 思慮深く一旦考え、大丈夫な相手(私には)には全力でぶつかりはしますが人様には自分を控え、相手の事を考える力を備え持てました。


ただ 正義感が強い強い 曲がった事が大嫌いな 真っ直ぐな人に育ちました 例えば 老若男女問わず大好きな人にでさえ 、ひろく受け入れる部分が多くても、どうかと思う部分には手厳しい事を平気で言うしニコニコニコニコニコニコ
本物の愛がある人間なんだなと 思いました。まだまだこれからの人間なのに です。


それなのに 大の大人、神仏にたずさわる大人が 己の怒りや憤りに負けて 人を殺める事がどういうことか…"よっぽど憤り"ではないんです。"自分の感情を抑える思考がゆるいんじゃね?"だと思います。
人を殺めてはなりません。もちろん自分で自分を殺めてもなりません。
そこから何も生まれない。納得する解決じゃない。

聞かれたから、これを言ったら 周りの人々に黙られましたが 本当に そう思うので 答えました。


多々反論異論もあるかと 思います それは自由ですから人それぞれですから 私も人それぞれの1人として答えました


なんか…昨今、自分の欲のまま世の中、人を簡単に殺め過ぎな気がずっとしていました もちろん動物も一緒です。物言わぬ動物を虐待したり殺めたり


ずっと昔に書いたかもしれないけど

心の根っこがちゃんと張ってバランスとれないと 兄弟→親子→家庭→地域→学校や会社→社会・世間→国→世界…争いが起こる 規模の違いは あれど 争いは 争い。個々のエゴだし、穏やかじゃない。幸せじゃない。愛がないよ。そうやって人を疑いながら騙しながらムカつきながら生きていく事は苦しくないでしょうか…


私はそんな苦しみは いらないので 田舎のすみッコで 生かされてる間は このまま精進しながら 自分の煩悩と闘いながらニコニコニコニコ生きてます



結構いろんな事件で周りの人々が 「宮司でも坊さんでも人を殺めるんだ~なんかおかしいよね~所詮 人ってことか~」と言いますが 「勿論、所詮 人だから傲る事なく己を律する事の大事さがある」と思うんです。

立場が世の中に影響与える事も 考えられない程 「様々な我欲」を双方で争ってたんだね…

神聖な場を舞台にしてまで…