義父のお葬式 時系列編 | be happy

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旅行と食べ歩きが大好きなソウル在住会社員の日記。
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お届けします。(^0^)/

タイトルでビックリさせてしまったかと思いますが・・・
先日、義父が亡くなりまして、無事に葬儀を終えました。

つい先日のことなのに、よくブログなんて書けるな~なんて不謹慎な人だと
思われるかと思います・・・。

それには諸事情がありまして・・・
義父は夫が生まれる前から相当酷い人だったらしく、
仕事をしない上にDVをするという過去があり、
私が嫁いだ頃には「お父さんという名の人」がいるという感じでした。

夫は義父と会話という会話を生まれてから一度もしたことがないそうです。
私から見ると、義父は会話というのができないように見えました。
不愛想を越えて、空気を吸うだけのために生きているというか・・・
とにかく複雑な存在の義父でした。

そういう存在の義父。一昨年の末に認知症と肺炎などにより、
特別養護老人ホーム(韓国では요양원/療養院という)と病院の入退院の繰り返し・・・
「なんでこんなにも家族を苦しませるんだ!」と夫は怒り狂っていました。

ここまででどのくらい義父のことが伝わるかわかりませんが、
とにかく、義家族にとっては頭の痛い存在だったので、やっと・・・という気持ちなのです。

このブログは私の備忘録なので、赤裸々に書いてしまいますが、ご了承ください。
早く書いておかないと忘れてしまいそうなので・・・。
そして、いつか韓国の葬儀に参列するかもしれない方のために少しでも参考になれば幸いです。

私は在韓暦10年以上経っているのに、韓国の葬儀はほとんど経験がなく、
今回カルチャーショックをガツン!ガツン!と受けてしまい、何度もショックで倒れそうになりました。
読んでいる方には事前に知っていただけたら・・・という思いもあります。

時系列で書いていくので、長~くなってしまいますが、ご興味のある方はお読みください。

1月6日 (1日目 お義父さん亡くなる) 

私の退社時間の頃に夫から「お父さん、亡くなったようだ」と連絡があり、
義父は自宅療養していたので、警察官が来て調査を受け、葬儀場のある近所の大きい病院へ。
私もすぐに病院へ駆けつけました。
韓国では普通、病院に付属している장례식장(葬礼式場)と言われる場所で葬儀を行います。
亡くなった病院に関係なく、家族が行いたい病院で行うようです。
著名人や芸能人は大きな大学病院で行うことが多いです。


既に会場が決まっていて、そこに行くようにと言われ到着。
着いたものの、あれ?お義父さんがいない・・・?
夫に「お義父さん、どこにいるの?」と聞くと、「今、死亡診断中だって。」
そういうのって、家族が立ち会わないの??と疑問に思いながら、
取りあえず、私も義家族と葬儀の打ち合わせに参加。
次の日の入棺式まで誰もお義父さんに会うことはありませんでした・・・。
(お義父さんは霊安室にいた模様。)

韓国では상조(相助)というものに事前に加入しておき、その상조会社の人たちが
日本の葬儀屋さんのような仕事をしてくれます。

その会社を通さないと自分たちで全部葬儀を執り行わないといけないので、相当大変だと思います。
うちはそこに加入し、ほとんど상조会社の人にお願いしました。

取りあえず、義家族は自分の知り合い、親戚に訃報の連絡。
そして、私たち夫婦は病院から徒歩10分の家に帰って、身支度し、再び病院へ。
その後、葬儀が終わる3日後まで家に帰れないということを私は知りませんでした・・・。

韓国の葬儀は3日葬、5日葬がありますが、3日葬(삼일장)が一般的のようで、義父も3日葬でした。
亡くなった日から丸3日間行うものですが、義家族の場合、早く済ませたいという思いからか
亡くなった日の夜~次の日~3日目の午前5時40分に出棺という最短だったようです。
つまり1日半しか葬儀の時間がありませんでした。

病院に戻り、家族は상조会社が用意したレンタルの喪服に着替えました。
喪主となる遺族の男性は黒いスーツに黒ネクタイ、女性は黒い韓服(チマチョゴリ)です。
私ももちろん黒い韓服です。

喪服に着替えてからはもう怒涛の時間でした。
韓国のお葬式はお客様の場合、訃報のお知らせが届いた時から出棺の時間までに
弔問すればいいので、2日目、家族は24時間態勢。とにかくひっきりなしに来ました。

義父の葬儀は祭壇の部屋とお客さんの接待会場とが向かい合って分かれていて、
まず、お客様は祭壇に큰절という土下座のような挨拶をし、その後、喪主に挨拶、
賻儀金(부의금)と呼ばれる香典を出し、そして、接待会場にて食事をして解散という流れ。

これは宗教によりますが、うちは無宗教でしましたので、上のようなやり方の方が多かったです。
日本のようにお通夜、告別式と時間が決まっていませんし、都合のいい時間に行けばよし。
喪主挨拶や弔辞のあるちゃんとした「式」というのはありません。
ビックリしたのは、祭壇にお義父さんが安置されていないのに、遺影に挨拶をするということ。
日本人からすると何とも不思議な感じでした。

24時間態勢ですので、家に帰ることは許されず、寝るのであれば、
祭壇の隣の遺族控室の床で寝なければなりません。
私、寝られませんでした・・・。
寝たいのに寝られない、シャワーを浴びたいのに浴びられないのが一番辛かったです。

ほぼ寝ずに迎えた
1月7日 (2日目 入棺式)

この日の夜が来客ピーク時だと聞いていましたが、ず~っと1日中お客様が来ていました。
その理由は・・・義姉が韓国のWikipediaに掲載されているぐらい、とある世界で著名人でして、
義姉のお客様が8割ぐらいを占めていました。
スゴイ人だというのは知っていましたが、義母が「こんなにたくさんの人が来たお葬式は初めてだ・・・」と言うぐらい。
全部で400人は来たと思います。本当にありがたいことです。

この日の午後1時に家族にとって大切な儀式、入棺式(입관식)がありました。

韓国も日本のような入棺式(納棺式)なのだろうと、思っていたのですが・・・
あまりにも違いすぎて、ショックで倒れそうでした・・・。

入棺式を行う部屋に家族全員が呼ばれて行きました。
普通は家族が着せたり体を拭いたりするのだそうですが、
義父の肌の状態がよくないので、納棺師さんにすべてをお任せ。

その方曰く、ちゃんとお風呂に入れてきれいにしましたとのこと。

部屋に行ったら、お義父さんは麻の布でグルグル巻きにされ、きつく縛られていて、
ミイラのようになっていました。
顔を見せてもらいましたが、蝋人形のようにコーティングまで・・・。
「ヒェ!誰ですか??」という感じで、その顔を見た瞬間、家族の女性陣みんな号泣。
私は死刑囚でもないのに、なんでこんな風にしてしまうの?と怖くてショックで涙ボロボロ・・・。

グルグル巻きにされてしまったお義父さんはゴロンとお棺の中へ・・・。
それ以降、顔を見ることも体を見ることもできませんでした。
日本とはあまりにも違いすぎて、私はかなりのショックでした。

入棺を境にこれから本格的にお客様を迎えるとのこと。
喪主男性陣は腕章を、女性陣は髪に白いリボンを付けました。


さて、嫁の仕事について。
嫁の主な仕事はお客様の食事の提供と食事の後片付けなのですが・・・
お金を出して雇っているおばさんたちがいるので、プロの方々にお願いしました。
アマチュアの家族がやっても足手まといになるし、家族はお客さんに挨拶した方がいいということで。
その方々が退勤する夜10時以降はその仕事をしましたけどね。

そのため、この日はずっと受付をしていました。
なので、実を言うと思ったより大変ではなかったんですよね・・・。

ですが、夜10時以降がなんとピークタイム。
ひたすら、食事を出して、片付けての繰り返し。
喪主の長男(夫)と次男はお客さんたち(友達)と飲みまくって、泥酔。チーン。

1月8日 (3日目 出棺、火葬、納骨)

私は香典代の整理を手伝い、午前3時ぐらいになって、床に倒れました。
が、午前5時前に起きて、身支度して、いよいよ出棺です。

霊安室にあったであろう棺を男の人たち(喪主の友人たち)が支え持って行きました。

私は霊柩車に載せるのだと思っていたら・・・
なんと、棺は私たちが移動するバスのトランクの中へ・・・
トランクといってもちゃんと棺を入れるための場所で、キレイに飾られていましたが、
それでもショックでした。「えっ?どうしてそこへ・・・?」と。
お金のあるお家は霊柩車を利用するようですがね・・・。

遺族、遺族と親しい人たちがバスに乗り、火葬場へと向かいます。
韓国は昔は土葬がほとんどだったそうですが、最近は火葬が増えているそうです。
ソウルには風水のためか火葬場がないと聞いたことがあるのですが、
京畿道にある火葬場へと向かいました。
本当に寒い寒い日だったので、朝は辛かったです。

火葬も日本と違うので、本当にビックリしました。

火葬炉に棺が入るところから骨を収める作業全て、ガラス越しです。
実際に目で見ることも骨を骨壺に収める作業も遺族ですらできません。

遺族だけ小部屋に入り、義父の棺が火葬炉に入っていくのを見届けます。
実父のことを思い出し、涙が出てきました・・・。

そして、遺族控室で1時間半ほど待機。
それは日本と同じ時間です。

遺族は呼ばれ、再び小部屋へ。
ガラス越しに見る義父の火葬後の骨。
その骨を係の人が手早く集め、私たちの元へ持っていき確認。
集めた遺骨をなっ、なんと、なんと!
その遺骨を係の人が粉砕機にかけるではないですか!

あっという間に出てきた粉々パウダー状の遺骨。
これもショックで倒れそうでした。
そこから係の人は機械のようにサッサッサッと手早く梱包。

工場のようにガラス越しから私たちの部屋にベルトコンベアでチンと出てきた遺骨の入った箱。

え???これってギャグですか???
遺骨に対する扱い、ひどくないですか???
本当に不謹慎ですが、笑ってしまいそうになり、笑いを堪えるのに必死でした。
でもでも、ここで泣かないと、酷い嫁と認定されてしまうと思い、
どうやったら泣けるだろう??と考え、実父のことを考え、涙を流したのでした・・・。

遺骨を持って、次に向かう場所は納骨する追慕公園です。

前述したようにお父さんという役割ゼロの義父でしたので、
どうやって納骨をするかという家族会議を亡くなる前に開いていまして、
出た結論が「樹木葬」でした。

樹木葬とは一本の木をお墓とし、木の下に遺骨を埋めるという葬儀、納骨の仕方です。
場所はソウル市が運営している追慕公園だそうで、管理費40年で40~50万ウォンと格安。
その理由は一本の木に20人ぐらいの遺骨を入れられるためだと思います。
それで、樹木葬に決めたというのもあるのですが・・・。
こういう話をすると、お義父さんは家族に対して過去にどんな酷いことをしたんだろうと思うのですが、
その話題は義家族内でタブーなので、私は詳しいことを知りません・・・。

この樹木葬での納骨も、結構衝撃的でした。
私なら絶対ここの樹木葬での納骨は嫌です・・・。

係の人に遺骨を渡し、係の人が遺骨と土を混ぜていきます。
混ぜたものを指定された穴の中にスポンと入れて、土をかぶせておしまい。

冬なので、芝生はありませんでしたが、春になったら、芝生で覆われますとのこと。
なので、場所がわかりにくくなるので、覚えておくようにと言われました・・・。
えっ、表示してはいけないんだ・・・と。
この木の横に建ててあった20人一枚の木のプレートに名前が追加されるそうですがね。
この20人は私たち家族が入るのではなく、赤の他人の方々です・・・。

ということで、私はやっぱり日本の家のお墓に納骨していただきたいです。

こんな感じで、納骨もあっという間に終わり、葬儀会場の病院へと戻り、
家族、親戚と一緒に昼食を取り、解散となりました。

意外と体も心も疲れていませんでしたが、やっぱりちゃんと寝られない&シャワーを浴びることができないのが辛かったです・・・。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
よく考えてみたら、超シンプルなお葬式のやり方なので、一般的ではない特殊なケースかもしれません。
こういうお葬式もあるんだな~と思ってくださるとありがたいです。

ざっとお葬式について時系列で書いてみましたが、他にも気になったいろんなことがあるので、
次はカルチャーショック編で書こうと思います。