追悼 おばあちゃん | be happy

be happy

旅行と食べ歩きが大好きなソウル在住会社員の日記。
韓国ソウルのお出かけスポットとグルメ情報を中心に
お届けします。(^0^)/

今日は祖母の初めての月命日です。

プライベートなことなのでブログに書こうかどうしようか
迷いましたが、多くの人に祖母のことを知ってほしいのと、
自分の心の整理をしたかったので、書くことにしました。
(長文ですが、すみません。)

1ヶ月前、祖母は天国へと旅立ちました。
本当に突然のことでした。95歳の誕生日直前の出来事でした。

祖母は高齢なので、あちこちちょっとした病気はありましたが、
認知症ではなく、自分のことは一人でして、ライフワークである
ミシン刺繍の作品を作るというパワフルおばあちゃんでした。

昨年は私と家族と一緒にディズニーランドへ行き、自分の娘たちと
北海道旅行へ行くほど元気でした。

今年の秋にミシン刺繍の作品展を開く予定だったのに、
生きている間にできなかったことが、本人の心残りだっただろうなとみんな悲しんでいました。
そして、亡くなった事実に本人が一番びっくりしているだろうと。

亡くなる数日前から、体調があまりよくなかったそうなのですが、
亡くなる日の朝は「今日は体調がいいし、ご飯も美味しいから、老人会に行く」と言って、
おばが老人会へ連れて行ったそうです。

老人会の人の話によると・・・
お友達と楽しく話をしている途中、目をつぶったなぁと思ったら、
バタっと倒れてしまったそうです。
ちょうどその場に心臓マッサージができる方がいらして、救急車が来るまで
マッサージを行い、救急隊が駆けつけ、すぐ近くの病院に運ばれましたが、
すでに息を引き取っていました。
家族であるおばも母も祖母を看取ることができませんでした・・・。

こんな亡くなり方があるんだと、私を含め家族、親族はショックで仕方がなかったです。

「きっと老人会の人たちに会いたかったんだろうね」と話していて、
そんな亡くなり方が、多くの人に慕われ愛されてきたおばあちゃんらしいというか、
亡くなる時に一人(孤独死)ではなく、たくさんの人がいる場所で本当によかったと
今では思います。

家族にとっては、お別れをする時間がなかったのが、残念ではありますが、
苦しむ時間が短かったというのも、よかったのかなと。

その日は急に気温が下がり、冬のような日で、お年寄りの体には
キツい日だったのかもしれません。

こういった詳細は私が日本に帰ってから、知ったことなのですが、
大好きな祖母の死を知った、私はとにかく早く祖母に会いたい!と思い、
日本行きの飛行機のチケットを取らなければ!と、とても焦っていました。

土曜日の夕方、チケットを取りに空港まで走り、無事チケットが取れ、
朝イチの便だったので、再び空港近くの後輩宅へと走り、泊めてもらいました。
翌朝、後輩のご主人が空港まで車で送ってくださって、スムーズに出発でき、
本当に後輩夫婦に感謝感謝です。

おかげでお葬式の準備から手伝うことができ、新人の私を休ませてくれた
職場の上司にも感謝しています。

祖母の白い肌が本当に美しく、老人会へ行くときにお化粧をして行ったそうで、
改めてきれい好きで、お洒落なおばあちゃんだなぁと。眠るような姿でした。
最期まで女性らしさを失わなかったんだなぁと。

家族で「驚かしちゃってごめんね~。と起きてきそうだね。」と話していました。

私は祖母がミシンの会社で働いていたとき、
夏休みに祖母が開くミシン教室に通っていました。
下の写真は70代でOLをしていた祖母の写真です。



退職後はミシン刺繍作りに励んでいました。



その作品をお葬式のときに少し飾りました。

絵のように美しい、祖母の作品。
祖母を偲ぶ作品展がいつかできればいいなと思っています。

そんな祖母を見ながら、育ってきたので、私もバリバリ生涯現役で
ずっと働きたいと思っていました。
祖母は子育てもしていたから、本当にすごいなと思います。

私とはお正月が最後でした。
そのとき、祖母が「この作品、写真に撮って~」と一緒に写真を撮り、

いつものように玄関前で写真を撮って、お別れしました。


これが最後になるとは2人とも思っていませんでしたが・・・
この歳になってもお正月に祖母からお年玉をもらったのが、嬉しかったです。
もちろん、働いているし、大丈夫と言ったんですがね。

祖母の家の前にはきれいな花が咲いていました。

いつも庭で園芸を楽しんでいた祖母のことを思い出しました。

大事な人を突然亡くすのは辛いけど、
いつもいつも心の中で生きていると思っています。

そして、大切な人の分まで一生懸命生きるのが、私の務めだと思います。

おばあちゃん、天国でゆっくり休んでね。