僕らの日々 Tant de belles choses -11ページ目

ジョン&ヨーコ 共同製作 「イマジン」誕生秘話

偉い人も 貧しい人も
みんなが同じならば 簡単なことさ

夢かもしれない でも その夢を見ているのは
一人だけじゃない 世界中にいるの

         (忌野清志郎さんによる和訳イマジンより抜粋)
  
12/7放送のNHK 「 クローズアップ現代」ご覧になりましたか?   
出演
音楽評論家湯川れい子さん
演出家宮本亜門さん
歌手 MIWAさん  
キリスト教社会において「天国はない」と語ること。これは  日本社会では考えられない衝撃がある。
 そして人が神様に似せて創られたわけではなく「全ての生き物は平等なんだ」という歌詞。それはオノヨーコさんの考え方が深く 影響している。
西洋庭園と日本庭園の違いからもわかるように
  日本的な 「 自然との調和  全ての現象や生き物の中に 神(命)はいる」この考え方は世界的にみるとかなりレア。
 トイレに神様いると話したら  欧米では殴られるか狂人扱い………!?
だからあえて
  imagine ! (想像してみてよ)
 この言葉はヨーコさんのオリジナル詩集「グレープフルーツ」からの  引用なんですね。
 レモンとオレンジのちょうど 中間のグレープフルーツ……
東洋と西洋 …男と女 …
ジョンとヨーコ つまり新しい答えは 違う二人の出会いにあった。



  宮本亜門さん
「 この曲が 本当は注目されない時代がくることが望ましい…… 」 つまり
  IMAGINEが 注目されてしまう という現在は  ますます  平和と遠ざかっていると言わざるをえないから…と 嘆かれていました。

MIWAさん
 デビュー前に 路上でIMAGINEをカバーして歌っていたら全く 知らないおじさんと  深く語り合う事ができたそう。
 その時「音楽って世界の共通言語なんだ」と 思ったそう 
IMAGINEの詞に込められた
  宗教も  主義主張も 無意味だと思えてしまうほどの衝撃と 普遍性    もっともっと共通言語にしたいですね





ジョン &ヨーコ 「平和を我らに」誕生秘話

12/8はジョンレノンが凶弾に倒れて37年
↑ ジョンの右手の指の ふくらみに注目  ギターダコだそうです 。
昨日 NHKの
「クローズアップ現代 」の「平和を我らに」ゲストはこちらの3人でした。

ギター女子 Miwaさん
音楽評論家 湯川れい子さん 
演出家の宮本亜門さん  

1969年
  ヨーコとジョンが  ベトナム戦争を背景に  マスコミを集めて  "Bed in "というちょっと意味深なタイトルで行ったパフォーマンスについて
Give peace a chance  
 「平和を我らに」


 湯川さん
「我々が 平和を引っ張り出して来ない限り 平和は決して来ないんだよ」という受身ではなく積極的なメッセージ
 ヨーコの発想をジョンが影響を受けてできた作品だそうです。
コーラスの間に響くラップのような言葉遊びは○○izm(主義)の 羅列 …つまり
「 皆がそんな難しい主張ばかり言ってたら永遠に 平和なんて 来ないよ !」ということ 。
宮本亜門さん
 演出家の視点から不思議な「ベッドイン」のイベントについて
プロパガンダ的な デモで訴えるのではなく「人が生まれ 愛をはぐくみ
死んでいく場所である ベッド」で 人々の注目を集める
この演出を大絶賛してました。

miwa さん
この曲が 世界中に広まっている理由として 「ジョンとヨーコのコア(核)な
強い思いが あるんですよね」







練馬グランドハイツと尾崎豊





昭和40年代後半 私の父方の祖母が亡くなり 当時住んでいた福岡から飛行機で羽田に飛び  祖母の住んでいた

練馬区へと向かった。

  親たちは 葬式準備で慌ただしく 当時小学2年生の私が いとこ達に連れられるまま 遊びに向かった先は

  空き家の米軍住宅地だった。特に監視員もおらず 解体直前なのか  全て家のドア 窓も 施錠もされてなかった。  
 ずらり立ち並んだ  平屋のアメリカン住宅。
まるでTVで見たアメリカ… 
 キッチンには 英語のパッケージのシリアルや 缶詰めがなどが放置され カラフルな食器や家具 カーテンも そのまんま 英語の本や雑誌などがあちこちに散乱。ユニットバスなどみたこともない。私はなんで 「お風呂にトイレがあるんだろう?…」と思った。
連日 私達は そこにでかけて ばかみたいに かくれんぼ を楽しんだ。
この不思議な住宅が 米軍基地の練馬グラントハイツだった事を大人になってようやく知った。

  現在の 練馬区の光が丘公園あたり…
 東武練馬付近で  光が丘公園には通っていたが ………
まさかそこが あの米軍住宅だったとは知らなかった。
 あの尾崎豊さんは 子どもの頃練馬に住んでいて このグラントハイツ界隈で遊んでいたとらしい…

昭和40年代 …戦争の爪痕がまだ はっきり残っていた

この練馬グラントハイツのあたりは大日本帝国陸軍の成増陸軍飛行場だったという…

尾崎豊さんの父は 朝霞基地勤務の自衛隊員だったそうだから練馬グラントハイツの歴史についても よく知っていたのではないかしら…
「米軍キャンプ」は 尾崎さんが練馬区から朝霞市に引越してからの住宅付近にあった米軍基地キャンプ・ドレイクをモチーフにした曲なんだそう。

  絞りだすように 唄うスタイルはまさに ブルースス・プリングスティーンのようです。    

参考