フランソワーズ・アルディの思い出@1991 | 僕らの日々

フランソワーズ・アルディの思い出@1991

2024年6月アルディさんがご逝去されました🥺RIP🍀
内容を 一部 追記・加筆いたしました。

それは1991年(平成3年)の4月3日 めったに新聞を見ない私が たまたま新聞を広げると・・・・


 なんと! あの憧れの フレンチ歌手✨フランソワーズ アルディ✨さんが 原宿のクエストホールで2日間トークイベントをされるとの告知広告。しかも 「抽選で無料ご招待」。何人まで愛せるかフランソワーズアルディを世界中のファンが愛し続けました。彼女も、歌で映画で人々を愛しました。時は流れ。彼女の長い沈黙は、東京で破られます。歌でなく語り始めます。
とか書かれているではありませんか!!!
 彼女の大ファンだった私は  早速ハガキを20枚ほど記入し
分散して応募。  幸運にも2日間とも当選したのでした。 (日本でのインターネットの普及は1995年頃からで まだ ハガキが大活躍してた時代でした 。記憶が曖昧ですが同居家族の名前も使って応募したので2日とも当選したのかもしれません) なお 伊勢丹本店にはそなえつけの「応募コーナー」もあったようですよ。
こちらは ↓ゲンズブールの作詞(作曲はArnold Goland)で日本でもお馴染みの代表曲です。


 ちなみにアルディさんは この頃 音楽歌活動休止中。本格的に西洋占星術の研究をされている頃の来日。 もともとライブはほとんどされていなかったのでイベントはトークのみ。それだって露出嫌いのアルディさんなので本当に驚きだったのです。
  更にイベントに先立つ4月26日(金)伊勢丹書籍売場にて アルディさんの本を購入すると 直接 ご本人からサインをして頂ける告知が当選ハガキにありました。私は迷わず
仕事を休み 4月26日の朝 伊勢丹の開店と同時に 書籍売場にダッシュ しました。
 今のように情報がSNSで一瞬に広まる事のないのんびりした時代。平日の朝 私と同じ考えの人は それほど多くなく 
無事 サイン会の整理券を入手できたのでした。
 午後のサイン会が始まるまでの時間は アルディさんに何かしらフランス語で伝えたく手渡しすべく用意したプレゼントに添えるメッセージを書くため 辞書と格闘しました 。
今のようにGoogle翻訳なんてありませんから(笑)
 午後 ついに 待ちに待ったその瞬間。黒いスーツと短かめのブロンドヘアで にこやかに書籍売場に現れました。ファン達はため息と歓声 拍手でアルディさんを出迎えました。
私は購入した書籍↓と持参したレコードにサインして頂ける幸運🍀に恵まれたのでした。

superstar et ermiteの意味は 「スーパースターであり隠者でもあるフランソワーズアルディ」アルディさんの写真と生い立ち実績などのバイオ本です。著作は歌手のエティエンヌ・ダオ氏とデビッドボウイなどの研究家として有名な ジャーナリストのジェローム・ソリニー氏
この本は フランスのアマゾンやeBayでまだ入手可です。

書籍売場でアルディさんの本を購入したファンは用意された用紙にフルネームのローマ字で自分の名前を書きました。

アルディさんはそれを見ながら ひとりひとりの本を開いて表紙裏の隣のページに 青色の万年筆でサインと日付とファンの名前を記入してくださいました。



↑ 私の名前はフルネームの為 流行りの消しゴムマジックで消させて頂きました。

 こちら↓は その際にダメもとで持参したレコードにお願いして書いて頂きました直筆サインです。


très amicalement +à +私の名前 (〜に親しみを込めての意味)
 大きい文字はHardy (フランス語ではHは発音しないのでアルディとなります)  ちなみに CDも持って行きましたが レコードの方が大きくサインしてもらえてお得かなと判断しました(笑)  
 優しく微笑むアルディさん。 私はつたないフランス語で 大ファンである気持ちをお伝えしながら用意したプレゼントとお手紙を渡しサインと握手をして頂きました✨✨✨   もちろん通訳の方もおられましたが なんとか自分の気持ちをフランス語で伝えようとする私をアルディさんとともに 優しく見守ってくださり本当に感謝です✨✨✨
 デジカメ時代ではなかったけど やはりカメラを持って行けば良かった…… 禁止ではなかったようで撮影されてる方もいました。アルディさんにお願いして一緒に写真を撮って頂いている方もおられて とても羨ましかったです。

 さて!  週末の4/27 .28の2日間行われた アルディさんの「プライヴェートークショー」 表参道 原宿のクエストホール (2023年現在建て替えの為閉館) は300人~400人ほどの小規模な映画館といった感じの規模 素敵なホールでした。
  照明を暗めにおとした会場のステージにアルディさんと聞き手兼進行役が お2人で座られてのトークショーでした。パネルやスクリーンなどはありませんでした。

  トークショーというと  実は話しの「聞き役」がかなり重要です。しかもアルディさんというボブ・ディランも恋した ♥️「時代のミューズ」ですから…  過去現在のフランスの音楽やカルチャーに精通された方でないともちません。 

 1日目は パリの街を撮影して写真展を開かれたという

男性写真家の方 。あまり慣れていらっしゃらないのか アルディさんが自発的にお話ししてくださるのを待っている感じでした。パリの街を撮影されたくらいであなたにフランスの何がわかるのかしら?と アルディさんに鋭い突っ込みを入れられておりました。

 2日目は ポピュラーミュージックにはあまり お詳しくない感じの 少しご年輩の女性声楽家の方( 私は 存じ上げない方でした) 「今朝 我が家のカナリアにアルディさんの お歌を聞かせたら 喜んでさえずりだし…♪」とファンタジーなお話しをされて アルディさんが 少しあきれてしまうという冒頭……^^;(いえ きっとカナリアさんはうっとりしたと思います) 思うにこの人選はアルディさんから とっておきのプライヴェートなお話しを引き出すのはかなり難しく さらに不幸な事に「 同時通訳を介しながら」のトークなので スムーズな意志疎通にはならず 沈黙も多く予想外の展開となってしまいました。

 また “アルディさんにファンが質問するコーナー“でも 

フレンチポップス界の巨匠セルジュ ・ゲンズブール氏 

(Comment tu dire adieu「さよならを教えて」の作詞編曲を担当)が亡くなったばかりの頃だったこともあり  セルジュ本人に関する事とアルディさんの親しい友人である「セルジュの元妻である ジェーン・バーキンさん」についての質問をするファンが複数おられ、その事は アルディさんをかなり困惑させてしまったかのようでした。 今と違ってフレンチポップスの最新情報を知る事が難しい時代でした。

 私も1989年のジェーン来日公演に行きましたが、この当時日本のフレンチポップスファンの間では音楽や映画で大活躍中のジェーンの方が特に若いファンには知名があったかもしれません。「さよならをを教えて」からファンになった人も多かったので予想できる事ではありました。ファンの中にはフランス語で質問する熱心な方々もいました。私も質問したいと思い(日本語ですが…)挙手したのですが 当てられなく残念でした。そんな事もあり 2日目は なかなかのお疲れモードで トークショーの最初から少々のご立腹気味?を抑えている感じ「私は なぜ このような場で大勢の皆さんのご質問に答えなくてはならないのかしら? 私は今できれば 少しでも早く帰りたいと思っています。いったい どういうお話しを皆さんにすればよいのでしょう?」とMC泣かせの 正直トーク全開……。思うに…たぶんアルディさんの性格にはあまり向いてない スタイルのイベントだったのではないかと思います。音楽活動休止中という事もあったので 話題に制約もあったのかもしれません。もちろんアルディさんは最後まで一生懸命がんばって話してくださっていましたし ご家族とお子さん(現在歌手で大活躍のトマ・デュトロンさん)のお話しなどもされていました。とはいえアルディさんと大勢のファンが直接交流できた素晴らしいイベントでした。以上は私個人の感想です。

 さて では アルディさんのトークショーにふさわしい聞き役とは いったいどのような方が良かったのでしょう?

私が(勝手に)考えた「理想の聞き」は… 例えば

 女優の 小林麻美さん。 彼女は著書でアルディさんに対する長年に渡る深い尊敬と愛を語っていますし、 歌手としての実績もあり ジェーンバーキンさんとも交流がおありですしフランスのモードを理解されてますから ファッションのお話しなどもされて素晴らしいトークを引き出せた事でしょう。

  また もうおひとり私の考えた「理想の聞き役」はユーミンこと松任谷由実さん。 ユーミンさんは「 私のフランソワーズ」という自作曲を発表されるほどのコアなアルディさん

ファンですし、海外の音楽事情にも詳しく 実績もおありですから もしトークされたら 大盛り上がり間違いはなかった事でしょう。(実はその後 1996年 ユーミンはアルディさんとフラウという雑誌での対談が実現されたそうです。) ブログの1番下にユーミンさんとの対談の内容のリンクをご紹介させて頂きましこのたので ご興味のある方は是非ご覧くださいませ。

  もしも イベントのご予算などのご都合なく アルディさんのお話し相手が このお2人だったとしたら より素晴らしいイベントとなりアルディさんも ファンもトークショーを更に楽しめた事でしょう…  (勝手な妄想です)

 でも これでは トークショーではなく 完全に「対談」になってしまいますね(笑)それにマスコミも来てしまうかなり大規模なイベントになってしまいますね。

 活動休止中のアルディさんが 自発的に話されるスタイルでの「プライヴェートトークショー」として企画されたのでしょう。このような素晴らしい機会を作ってくださいました

 伊勢丹さんにはとても感謝しております。ありがとうございました。


↓こちらは トークショーの当日配られたリーフレット


「何人まで 愛せるか。」いかにも1990年代 。
 何を意図しているのかはっきりわからない けど 印象に残る短めのキャッチコピーが多い…… そんな時代でした。
  アルディさん  そんな文言がプライベートトークショーの タイトルに記されているなんてご存知だったのかしら。
 なお このイベントについてご記憶がおありの方 是非 コメントなどをお待ちしております。30年以上も昔の事なので記憶が曖昧な部分にご意見などございましたら……
 この思い出の続編も書きましたので よかったらご覧くださいませ。
 こちらはアルバムMISSLIMでユーミンこと松任谷(荒井)由実さんがアルディに捧げられた名曲

補足※「何人まで愛せるか。」はコピーライター 真木準さんの作品で 1991年当時の伊勢丹百貨店全体広告に使われたコピーだったそうです。媒体の少ない時代 に 記憶に刺さる印象的なコピーは企業のイメージを決める最大の手段だったのですね 。私は アルディさんの為のイメージコピーと勘違いしておりましたが…(笑)

追記 ↓アルディさんについての貴重な記録です。 その1から3まであります。こちらのリンクはその1ですが 下記のブログから全てリンクされています。