フランソワーズ・アルディの思い出@1991 | 僕らの日々

フランソワーズ・アルディの思い出@1991

4/24 一部 内容 更新いたしました。

それは1991年(平成3年)の4月3日 めったに新聞を見ない私が たまたま新聞を広げると・・・・


 なんと! あの憧れの フレンチ歌手✨フランソワーズ アルディ✨が 原宿のクエストホールで2日間トークイベントをされるとの告知広告。しかも 「抽選で無料ご招待」。何人まで愛せるかフランソワーズアルディを世界中のファンが愛し続けました。彼女も、歌で映画で人々を愛しました。時は流れ。彼女の長い沈黙は、東京で破られます。歌でなく語り始めます。
とか書かれているではありませんか!!!
 彼女の大ファンだった私は  早速ハガキを20枚ほど記入し分散応募。  幸運にも2日間とも当選したのでした。 (日本でのインターネットの普及は1995年頃からで まだ ハガキが大活躍してた時代でした 同じ人が複数当選の ゆるさも…) なお 伊勢丹本店にはそなえつけの「応募コーナー」もあったようです。
こちらは ↓ゲンズブールの作詞(作曲はArnold Goland)で日本でもお馴染みの代表曲です。


 ちなみにアルディさんは この頃 歌手活動お休み中。西洋占星術研究をされている頃の来日。 なのでイベントはトークのみ。それだって露出嫌いのアルディさんがトークショーなんて本当に驚きだったのです。
  更にイベントに先立つ4月の26日伊勢丹書籍売場にて アルディさんの書籍を購入すると 直接 ご本人からサインをして頂ける告知が当選ハガキにありました。私は迷わず仕事を休み 伊勢丹開店と同時に 書籍売場にダッシュ! 今のように情報がSNSで一瞬に広まる事のないのんびり時代。平日の朝 私と同じ考えの人は それほど多くなく 無事 サイン会の整理券を頂けたのでした。サイン会が始まるまでの時間は アルディさんに何かしらフランス語で伝えたく手渡しプレゼントに添えるメッセージを書くため 辞書と格闘 。今のようにGoogle翻訳なんてありませんから!!(笑)
 ついに 待ちに待ったその瞬間。短かめのブロンドヘアでアルディさん にこやかに書籍売場に現れました。私は 購入した書籍「superstar et ermite」と 持参したレコードにサインして頂ける幸運に恵まれたのでした。https://amzn.eu/d/dqQJeJL(書籍)

   こちらが↓そのサイン (家宝です) 優しくmadamなアルディさん とつたないフランス語で 短く言葉を交わしながらサインと握手をして頂きました。デジカメ時代ではなかったけど やはりカメラを持って行けば良かった…… (禁止ではなかったようで撮影されてる方もいました。)


très amicalement +私の名前 (親しみを込めての意味)
大きい文字はHardy (フランス語ではHは発音しないのでアルディとなります) ちなみに CDも持っていましたが レコードの方が大きくサインしてもらえてお得かなと判断(笑)

 さて!  週末の4/27 .28の2日間行われた「プライベートトークショー」 の方なのですが…… クエストホール (2023年現在建て替えの為閉館) は300人~400人ほどのホールです。小規模な映画館といった感じで 照明を暗めにおとしたホールのステージにアルディさんと聞き手兼進行役が お2人で座られてのトークショーでした。パネルやスクリーンなどもありませんでした。

  トークショーというと  実は話しの「聞き役」がかなり重要です。しかもアルディさんというボブ・ディランも恋した ♥️「時代のミューズ」ですから…  フランスの音楽やカルチャーに精通された方でないと もちません。 

 1日目は パリの街を撮影し写真展を開かれたという

男性写真家の方が 。あまり慣れていらっしゃらないのか アルディさんが 勝手に(?)お話ししてくださるのを期待している感じでした。パリの街を撮影されたくらいであなたにフランスの何がわかるのかしら?と アルディさんに突っ込みを入れられておりました。

 2日目は ポピュラーミュージックにはあまり お詳しくない感じの年輩の女性声楽家。 ( 私は 存じ上げない方でした) 「今朝 我が家のカナリアにアルディさんの お歌を聞かせたら 喜んでさえずりだし…♪」とファンタジーなお話しをされて アルディさんが 少しあきれてしまうという冒頭……

  思うにこの人選は 残念ながらアルディさんから とっておきのプライベートなお話しを引き出すのは難しく さらに不幸な事に「 同時通訳を介しながら」のトークなので スムーズな意志疎通にならず「予想外の展開」となってしまいました。また アルディさんに対して ファンが質問するコーナーでも (フレンチポップス界の巨匠セルジュ ・ゲンズブール氏が亡くなったばかりの頃だったからか) アルディさんの親しい友人である「セルジュの妻 ジェーン・バーキンさん」についての質問をするファンが複数いて その事は アルディさんのプライドに少し触ってしまったかのようでした。     2日目は「相当なお疲れモード」で トークショーの最初から少々ご立腹気味?のアルディさん。「私は なぜ このような場で大勢の皆さんのご質問に答えなくてはならないのかしら? 私は今できれば 少しでも早く帰りたいと思っています。いったい どういうお話しを皆さんにすればよいのでしょう?」と通訳泣かせの 正直トーク

全開……これはファンならずともちょっと困惑状態? 

 たぶんアルディさんの性格に向いてない スタイルのショーだったのだと思います。もちろんアルディさんは最後まで一生懸命がんばって話してくださっていましたし お子さん(トマ デュトロン)のお話しなども話されていたと記憶しています。アルディさんお疲れさまでした。

   さて では アルディさんのトークショーにふさわしい聞き役とは いったいどのような方が良かったのでしょう?

私が(勝手に)考えた「理想の聞き役」…例えば

女優の 小林麻美さん。彼女は著書でアルディさんに対する長年に渡る深い尊敬と愛を語っていますし、 歌手としての実績もあり ジェーンバーキンさんとも交流がおありですしフランスのモードを理解されてますから ファッションの話しなどもされて素晴らしいトークを引き出せた事でしょう(^-^)

  また もうおひとり私の考えた理想の聞き役はユーミンこと松任谷由実さん。 ユーミンさんは「 私のフランソワーズ」という自作曲を発表されるほどのコアなファンですし、海外の音楽事情にも詳しく 実績もおありですから もしトークされたら も大盛り上がり間違いはなかった事でしょう。(実はその後 1996年 ユーミンはアルディさんとフラウという雑誌での対談が実現されたそうです。)

  もしも イベント予算のご都合がなく アルディさんのお話し相手が このお2人だったとしたら より素晴らしいイベントとなりアルディさんも ファンも素晴らしいトークを楽しめた事でしょう…  

 でも これでは トークショーではなく 完全に「対談」になってしまいますね(笑)

 活動休止中のアルディさんが 自発的に話されるスタイルでの「プライベートトークショー」として企画されたのでしょう。このような素晴らしい機会を作ってくださいました 伊勢丹さんにはとても感謝しております

↓こちらは トークショーの当日配られたリーフレット


ずばり 「何人まで 愛せるか。」いかにも1990年代 。何を意図しているのかよくわからない イメージ先行の短いキャッチコピーが多い…… そんな時代でした。
  アルディさん  そんな文言がプライベートトークショーの タイトルに記されているなんてご存知だったのかしら。なお このイベントについてご記憶がおありの方 ぜひ コメントをお待ちしております。昔の事なので記憶が曖昧な部分にご意見などございましたら……
 続編を書きましたので よかったらご覧くださいませ。
 こちらは松任谷(荒井)由実さんのアルディに捧げた
曲↓

補足※「何人まで愛せるか。」はコピーライター 真木準さんの作品で 1991年当時の伊勢丹百貨店全体広告に使われたコピーだったそうです。媒体の少ない時代 印象的なコピーは企業のイメージを決める最大の手段だったのですね 。私は アルディさんへのイメージコピー?と勘違いしておりましたが…(笑)