James Setouchi

2025.8.17 終戦記念日について #石破やめるな

 

 予め書いておくと、私はいわゆる「支持政党なし」「無党派層」です。賢明なる各位は、ものごとを、ご自分の目でしっかりと見て、ご自分の頭でしっかりと考えて、ご判断下さい。

 

[1]TV朝日 「池上彰のニュースそうだったのか!!」「日本はなぜ戦った? 世界は終戦記念日をどう考える?」(2025年8月16日土曜放送)の後半(「世界は終戦記念日をどう考えるか?」のパート)を見た。

 

 前半についてはできたら別の機会に見てコメントできたらしよう。

 

 いい番組だった。民放もいい番組をつくる(ことがある)。みなさんできれば見逃し配信などで御覧下さい。

 

 終戦特集ではNHKがいい番組を沢山つくる。ある年に見のがしてもNスペなどは翌年にまた再放送してくれたりするのでありがたい。Nスペ「シミュレーション 日本総力戦研究所」(2025年8月16日17日二夜連続放送)は非常によかった。是非御覧下さい。東条の実像などは本当のところは知らないが、総力戦研究所の研究成果を政策に生かせていれば、みんながあんなにひどい目に遭うことはなかったのだと思った。水野広徳(反戦海軍大佐)以上の予測・予言だ。

 

 さて、池上さんの上記の番組だが、番組から紹介していく。道行く市民にインタビューしていく形のものだった。

 

1        アメリカでは9月2日(ミズーリ号上での降伏文書調印の日)だがアメリカ市民はあまりおぼえていない。むしろ9月上旬の労働者の日の印象が強い。ベトナム戦争、湾岸戦争などその後も多くの戦争を経てきたからだろうか。NYの海には大和を沈めた空母も展示してある。あの戦争はアメリカがヒトラーらから世界を救い自由と民主主義を守った戦争だった、と認識している。原爆はひどいけど戦争を終わらせるためには仕方が無かった、と言う市民が多い。但し若い人たちで、原爆は不必要だった、とする人が増えている。

・・(JS)日本は原爆がなくても負けていた、原爆はそれだけひどい、今ある核を打ち合えば世界の生命が死滅する、と何度でも各国語でアピールすべきだと思った。

 

2        イギリスでは、ドイツ降伏の5月8日が大切で、ストリートでパーティーをする。日本とイギリスが戦ったことはあまり知らない。真珠湾が日本にあると思っている人もいた。ナチスやユダヤ人強制収容所については詳しく学ぶ。

 

3        韓国では、8月15日が光復節で、日本から独立を勝ち取った日。休日で、式典や集会をする。が、最近はその日に日本に旅行しても構わないという人が増えている。若い人ほど光復節の意味を知らない人がだんだん増えている。(知っている人がそれでも75%)

・・(JS)韓国でも台湾でも親日的な人は増えている。日本人も韓国や台湾に旅行に行く、そこの文化コンテンツを楽しむ、という人は増えている。民間レベルでは仲良くなっている。それが大事だろう。

 

4        中国では、9月3日が抗日戦争勝利記念日。今年は80年で軍事パレードもする。軍事パレードを見ると誇らしい、と若者が言った。中国共産党の指導で抗日戦争に勝利した、と学校で詳しく学ぶ。但し今の日本には科学技術、文明の高さ、マナーの良さ、漫画やドラマなどいいものもたくさんある、と言う人もあった。

・・・(JS)国民党との国共合作で日本に勝った、そのあと国共内戦で1949年に共産党が勝った、とは今回のインタビューでは誰も言わなかったが、中国ではどう教えているのだろうか? 「軍事パレードが誇らしい」は本音なのか、それとも言わされているのか? また、今の日本人は平和を愛し、世界の人と仲良くしようとしている、ともっと知ってもらった方がいいなと思う。中国人自身が軍事大国主義の馬鹿馬鹿しさに早く気付けばいいのだが。中国には孟子も老子もいて、武器に頼るのはつまらない、と教えているのだが。(戦前の日本も軍事費に金を入れすぎて滅亡した。尚武の国・武士道の国とかけ声だけで言ってもダメで、日本は軍事大国にはなれない、と内村鑑三も見抜いて『日本の天職』で言っている。学ぶ者はよくよく事態を見据えるべきである。)

 

5        ドイツは、5月8日が降伏の日それぞれの収容所の慰霊・追悼・解放記念日も大事戦争やナチズムの恐怖を追悼(追悼、とある市民は言った)する。お祝いではなく厳粛な気持ちで、なぜそうなったかを考える日。最近は極右政党で、今まで言わなかった発言をする人も出ている。またイスラエルを全面支援してきたが、イスラエルのガザでの殺戮を見て、イスラエル全面支援に疑問を呈する声も出ている。

・・(JS)日本と同様、ドイツでは、あの戦争は何だったのか、をまじめに反省し、亡くなった人を追悼する、厳粛な気持ちで過ごす日のようだ。敗戦国だからこそあの戦争を真面目に反省し、二度と戦争をするまいと誓い、努力する。日本戦後80年間、戦争をしていない。ドイツは戦後80年間でPKOやNATOへの参加はあるが、極めて限定的・制約的であって、基本的には大きな戦争をしていない。敗戦国の日本とドイツが基本的に平和主義で戦後80年間がんばって平和で豊かな国になったのは誰でも知ることだ。

 対して、第2次大戦の戦勝国であるアメリカ、イギリス、ソ連はあちこちで戦争をしている。中国は国共内戦(国民党と共産党が内戦をした。国民党の蒋介石は台湾に逃げた)のあと、朝鮮戦争に関与、インドとも国境紛争、ソ連ともウスリー川で戦争(武力衝突)、1979年にはベトナムに攻め込んで敗退、などがある。国内でもチベット人を弾圧するなど。フランスもインドシナ戦争、アルジェリア独立戦争(弾圧する側)、などなどがあり、結構戦争をしている。つまり第2次大戦で敗戦したドイツと日本が、より平和への思いが強く、戦争をしない、平和を維持したいとして謙虚な努力を続けてきた、おかげで焦土(しょうど)から復興し、経済大国になった。この方針は間違っていなかった、という印象がある。

 

6        イタリアでは、4月25日を、ムッソリーニの独裁政権とナチスドイツの北部占領に対して、レジスタンスがこれを倒して解放された日として位置づける。「あの戦争で勝ったも負けたもない、言うならば引き分けだ」とある市民が言っていた。日独伊(日本とドイツとイタリア)が枢軸国(すうじくこく)で、連合国(英米仏ソ中など)と戦って敗れた、という日本での認識とかなり違う。

 

7        インドでは、1947年の8月15日が、イギリスの植民地からの独立の日として、大いに祝う。お祭りをする。日本がインド(イギリスの一部)と戦ったという認識は、取材した市民には、なかった。もともとガンジーをはじめ対イギリスの独立運動はあったが、日本がインド国民軍に協力したので、日本はインド独立に間接的には手を貸したとは言える、とインドの学者が言っていた。

 

8        インドネシアは、長年のオランダからの独立の日として8月17日を祝う。皆で運動会をして楽しむ。日本の支配はインドネシア人を「労務者」として働かせたからいけない(と市民たちは口々に言った)が、鉄道を作ることもした(と或る市民は言っていた)。昔はともかく今の日本の印象はよい。なお日本の敗戦後も旧日本兵でインドネシア独立のためにオランダと戦った人もあった。

 

[2]そこで我が国だが、

 千鳥ヶ淵・日本武道館での戦没者追悼記念式典では、

 

1        天皇陛下が「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ・・将来にわたって平和と人びとの幸せを希求し続けていくことを心から願います。」と言われたのは、全くその通りで、同感だった。さすが平成天皇のお子さまで、平和を愛し、戦争を二度としてはいけないというお気持ちが強いと感じられる。

 

2        石破首相が「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません。」「悲痛な戦争の記憶と不戦に対する決然たる誓いを世代を超えて継承し、恒久平和への行動を貫いてまいります。」と言われたのも、全くその通りで、同感だ。日本にはこの道しかないし、日本が示す平和の道を世界各国も目指すようになる、と私は思う。

 

 「反省」は、日本人自身も「反省」して日本を平和でよりよい国にしていくのは当然だが、次のように考えることも出来る。

 

 ヒロシマには「過ちは二度と繰り返しません」と書いてある。これに対し、「アメリカが原爆を落としたのだからアメリカが反省すればよいのに日本が反省するとはおかしな文章だ」とある人が書いていたが、それは違う。主語は人類なのだ。「われわれ人類は愚かな戦争をし愚かにも核兵器を使った、そんなあやまちは二度と繰返さない」という不戦・平和の誓いなのだ。もちろんその後も戦争は各地でなくなっていないが、少なくとも日本では80年間戦争をしないでやってきた。もし核戦争になれば人類全体が(それどころか全生命が)死に絶える。放射能の雲が1~2日で地球を回り、黒い雨が降り続き、A国もR国もC国も人間も生命も死滅する。地下に逃げた人が穴蔵生活をして細々と暮らすが地上へはなかなか出られない、遺伝子・染色体が放射能でやられてどのような突然変異が起きるかわからない。核戦争はそういう結果をもたらす。だから「人類は」過ちを二度と繰返してはいけないのだ。

 

 同じで、戦争について「反省」すべきは「人類」だ。武器を持って殺し合いまず弱い立場の人が死に、ついであくどい指導者どもも死に絶える。過去を「反省」し「教訓」とすべきだ。まずはA国は原爆を使ったことや東京大空襲で民間人を虐殺したことを「反省」すべきだろうし、R国は今U国を侵略していることを「反省」すべきだろうし、I国はガザの最も無力な人びとを虐殺していることを「反省」すべきだろう。C国も大国主義に取り憑かれ軍事費にコストをつぎ込み国民生活を圧迫し(貧しく、暮らしが立っていない人が沢山いる)、周辺諸国の人びとに恐怖を抱かせていることを「反省」すべきだ。どこの国にも「反省」すべきことは山ほどある。「反省」しないのは愚かな国の愚かな指導者達だ。

 

(戦前の日本も日清日露と「勝って」(本当は日露は辛勝または痛み分け)第1次大戦でもうまく「利」をせしめたつもりになって、挙げ句に指導者も国民も「反省」能力を失って、結果は国民を大量に死なせて日本列島を火の海にした。戦後日本は、軍事大国主義を捨て、戦争がなくなって本当によかった。平和の民で本当によかった。若い人が「武力に頼らず話し合いで」と言う社会で本当によかった。A国もR国もI国もC国も日本のようになればもっといい国になる。ドイツは日本と似ていて、軽武装はあるが軍事にコストをかけず平和と人権を大事にして豊かで平和な国になった。東西ドイツ問題も、戦争ではなく平和裡に解決した。ドイツがいい社会だからあのときシリア難民がドイツを目指したのだ。人が「あそこに行きたい、あそこのメンバーになりたい」と言う国がいい国だ。孟子も言っている。ドイツは「反省」をしっかりしているのだ。)

 

 なお、「首相辞任『必要ない』54%に増」と2025年8月18日(月)の朝日新聞朝刊1面にある。全国電話世論調査によれば、

 

 石破首相は首相を「辞めるべきだ」36%、「その必要はない」54%

 自民支持層でも「辞めるべきだ」20%(前回22%)、

「その必要はない」76%(前回70%)

             立憲支持層は「その必要はない」6割。

             国民民主・参政の支持層は「辞めるべきだ」が6割。

 石破首相に退陣を求める自民党内の動きに

                 「納得できる」37%、「納得できない」49%

          自民支持層でも「納得できる」30%、「納得できない」が60%

           無党派層では「納得できる」32%、「納得できない」47%

    

  とあり、内閣支持率も前回29%から今回36%と上昇。

                 不支持率は前回56%、今回50%と下降

      女性では支持率は前回31%、今回41%、不支持は前回51%、今回45%

      男性では支持率は前回27%、今回32%、不支持は前回61%、今回56%

 

 こうなっている。「石破おろし」が国民全体、特に自民支持層に不人気なのがよくわかる。外から見ると足を引っ張っているだけに見える。今やるべきことは実に沢山ある。総裁選などで政治的空白を創るべきではない。石破さんはだんだん人気が高まってきている。森山さんもおやめになる必要はない。むしろ森山さんにしかおできにならないことがある。もう一踏ん張りお願いしたい。

 

 それにしても首相も幹事長ももちろん官房長官も、大変な仕事だ。国内外の問題があり対応していると自然災害もある、しかも同じ党内で足を引っ張る人もいるとは。

 

追記 R7.8.19(火)朝日によると、各社の8月世論調査では、

      首相は辞めるべきだ  辞める必要はない

朝日新聞     36%         54%

NHK      40%         49%

時事通信     37%         40%

 と、いずれの調査でも「辞める必要はない」の方が多い。自民党内で騒いでいるK林さんほか、この事実をしっかり見てみて下さい。2025.8.19記す

 

毎日新聞も    39%         43% (8月25日(月)毎日新聞)

NNN・読売新聞も   42%         50% (8月25日(月)日テレNEWS)

同じ読売で自民支持層だけで見ると

         20%         74% (同上)となっています!

共同通信でも   40%         57.5%(照喜納明美の記事による)

 

 「辞める必要がない」が、どう見ても多いですね。

 「辞めろ辞めろ」と言っているのは、国民のことを考えていない人たち(私利私欲で動いている。下心がある。ウラ金やT一教会の関係の人も含め。)ではありませんか?

                          2025.8.25追記

 誰が首相になってもどの党が与党になっても少数与党だ。そこで何とかやっていくしかない。そういう時代が来たのだ。話し合いが出来ていいとも言える。石破さんは国会や各種討論を見たとき、野党ともきちんと話をするまともな首相だ。かつてあの時代に一部の人が暴走して何でも閣議決定で決めていたのは間違いだった。自民が大敗したのは石破さんのせいではない。ウラ金やT一教会議員の人たちのせいであり、何でも閣議決定で決めていた例のあの人たちに対する国民・選挙民の怒りのためだ。ところがその人たちが、辞めろ辞めろと大きな声で言っている。その人たちが総理総裁になったら、自民はもっと大敗する。それを狙って某野党のあの人は辞めろ辞めろといっている。国民は不在だ。あの人もその人も、自分(たち)の権力欲やルサンチマンに引きずられて、無責任に言っているとしか見えない。今やるべき政策課題は山ほどある。一つ一つやっていくべき時では?      2025.8.27追記

 

 

3        靖国神社に参政党の議員団、K泉さん(閣僚)、T市さん、K林さん、K藤さん(閣僚)、旧安倍派の有力議員、超党派の議員(自民、維新、国民、参政、保守)らが参拝したとか。超保守層の票を狙ったものだろう。

 

 靖国神社については注意事項が様々ある。

 

 私的な宗教法人であるので、信教の自由から、参拝したい人はしてもよい。但し公式参拝ではなく、私的な時間に、公用車ではなく電車やタクシーで、公費ではなくポケットマネーでお金を出して。日本は政教分離なので、公式参拝は不可。(公式参拝を、イスラム教寺院やキリスト教会や道教の道観や高野山や善光寺や日蓮の誕生寺や知恩院や東西本願寺や大本教や天理教や黒住教や金光教の教会に、していいか? というと、不可。それど同様。私的参拝はよい。伊勢神宮も明治神宮も出雲大社も富士浅間神社も阿蘇神社も白山神社も湯島天神も公式参拝は不可。私自身はそれらすべてに個人的には崇敬の思いを抱くが、公式参拝は不可なのだ。)

 

 靖国神社自体の問題も山ほどある。

御所に大砲を撃ち込んだ久坂玄瑞(くさかげんずい)(朝敵のはず)は祭られ、朝廷を守った会津(あいず)はその後朝敵とされ祭られない

維新の功労者だった西郷隆盛や江藤新平はその後朝敵とされ祭られない

高杉晋作(たかすぎしんさく)は病死なのに祭られている。

自死した乃木希典(のぎまれすけ)は祭られない。

病死した東郷平八郎も祭られていない

戦時中に奮闘しようとしたがジャングルで迷って「敵前逃亡」とみなされ折角帰隊したのに上官に射殺された者は祭られない。

敵前でやけくそで恐怖に駆られてバンザイトツゲキをしてその場で米軍にマシンガンで撃たれて死んだ人は祭られる。

バンザイトツゲキの前夜に恐怖に駆られて自死した人は祭られない

お国のためを思って物資を供出(きょうしゅつ)して貧窮に耐えて銃後を守り暮らしていたが空襲ですべて焼かれて死んだ人は祭られない。

国家国民のためによいと思ってした努力を一部有力者からスパイ行為だとレッテル貼りされて処刑された人は祭られていない

国策の誤りで生活が破壊され餓死・病死した人も祭られていない。

・・このように、靖国神社は、きわめて恣意的(しいてき)な祭り方をしている。長州の一部の人が自分たちで勝手に創ったのが靖国で、国民を分断し差別するしかけなのだ。国民を一体化するものではないと再認識すべきだ。会津出身の右翼の大先生もそれを指摘しておられる。不快なので靖国神社の前もお通りにならないとか。

 千鳥ヶ淵と日本武道館の戦没者慰霊の式典では、全戦没者を鎮魂・慰霊し不戦と平和の誓いをしている。天皇陛下も首相もこちらは参加される。

 

 敵味方の区別なく鎮魂・慰霊し、「あやまちは二度と繰返しません。安らかにお眠り下さい。このような犠牲者は二度と出しません。絶対に戦争はしません。改めて平和を誓います」と言うのならわかるが、靖国では、どうかすると「あの戦争は正しかった、またやろう、大いに国民を兵士として戦場に駆り出そう、私自身は後方にいて、前線には行かないから安全だ、他の人は前線に行って殺しあいをしてくれよ、死んだらここに祭ってやるからな、おまえらは逃げるんじゃないぞ、俺は後方で煽(あお)るだけだから」という、無責任で自分勝手で非人間的な連中の顔が浮かんでくるので、嬉しくない。そこに参拝に行く人の気が知れない。

 靖国神社は大日本帝国が国民を戦争に駆り立てるための装置として作りあげ、そう機能してきたのは明白だ。もとは戊辰(ぼしん)戦争時に長州の大村益次郎(ますじろう)が創った東京招魂社だが、帝国の完成に伴い整備された。植民地分割戦争をした西洋の帝国のまねをした近代帝国が創った国家神道の代表的な神社の一つ。日本人の精神の長い伝統にはないもの。戦後は民間の宗教法人の一つとなった。

 

 A級戦犯合祀(ごうし)と外交の問題については略。政治家であって国民の平穏を考えるのであれば、外国ともめないように配慮するのは当たり前だとも言えるが・・? わざわざもめるために参拝する人がいるなら、そういう人はリーダーにふさわしくない。国民を窮地(きゅうち)に陥(おとしい)れる存在でしかない。

 

 対象がどこの神社仏閣教会であってもだが、大勢で示威(しい)活動のようにして参拝し自分たち一部の人の勢力を誇示してみせるのは、他の意見を抑圧(よくあつ)・排除・封印(ふういん)しようとする姿勢に見えて、私は好きではない。

 

 「平和に対する罪」については

加藤尚武『戦争倫理学』(ちくま新書)、

中島・西部『パール判決を問い直す』(講談社現代新書)参照。

 憲法改正・平和主義については

樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』(集英社新書)、

松元雅和『平和主義とは何か』(中公新書)

 

 ああ、平和で自由な(おおむね)国で暮らして80年が過ぎた。このまま100年、200年・・と平和で自由な国を続けていきたい。これまで何とか世界の人びとと仲良くやってきたし、これからもやっていきたい。・・最近、心配だ。

1 原理原則として、戦争は人殺しだから、不可。(してはならない)

2 戦争の属性として、強い立場の者がアゴで命令し、弱い立場の者が泣きながら前線で死に、残された家族が辛い思いをするものだから、不可。(よくない)

3 日本の現状として、食糧もエネルギーもないから、不可。(できない)