James Setouchi

2025.4.17

裴淵弘『朝鮮人特攻隊 「日本人」として死んだ英霊たち』新潮新書2009年

 

1 裴淵弘(ペ・ヨンホン)(1955年~)

 東京生まれ。ジャーナリスト。神奈川大学法学部卒。AFP通信、AP通信、『サンデー毎日』を経て独立。著書・訳書に『中朝国境をゆく』『朴正熙、最後の一日』など。(新潮新書の著者紹介から)

 

2 『朝鮮人特攻隊 「日本人」として死んだ英霊たち』新潮新書2009年

・朝鮮半島が大日本帝国の一部だった(植民地だった)(1910年の日韓併合以降)時期、朝鮮半島出身者で、かつ大日本帝国軍人として特攻に参加した人がいた。彼らについて調べたルポ

 

・視点は重要だし調査はご苦労をされたようだが、掘り進め具合についてはもう少し踏み込みたかった、と感じた。重要な視点だけに。惜しい。いや、不足だ。(後述)

 

・戦時中の特攻に参加した人びとのルポだけでなく、その後の韓国の社会情勢の中で、特攻に参加した人が「親日派」として糾弾される様子も描く。但し2009年の本なので、その後については書いていない。

 

・「あとがき」には、「私が親日派という存在に興味を持ったのは、・・国民が血眼になって親日派を糾弾する姿に違和感をおぼえたのがきっかけだった。」「朝鮮人特攻隊員の実像に初めて触れたとき、・・皇国に捧げた命が、いったい誰のためのものだったのかを探るうち、それが彼らの自尊心のためであることに気づいた・・・親日派という曖昧(あいまい)な表現からは理解できない、歴史の実像がそこにあった。」(182頁)とある。・・確かに、「自尊心」ゆえ敢えて特攻に参加したということはあるだろう。だが、「自尊心」ゆえに平和な社会を建設することに参画するのではなく、特攻に参加するという選択を取らざるを得なかったのはなぜか、まで言及して欲しかった。書名の「英霊」という言葉遣いも気になる。確かに「英霊」だとも言える、だが、「犠牲者」でもある。「英霊」だからほかの者も後に続け、と言うとすると、非常に困ったことになるのだ。題名をつけるときには屈折した思いでつけているのかもしれないが。使い捨てられるのは末端の兵士、参謀たちは生き延び、政財界の実力者たちも前線には行かない。これが戦争だ。殉国(じゅんこく)の美談を語って国民を使い捨ててはいけない。

 

・「まえがき」には、「現在の韓国で、親日派を売国奴と決めつける議論に歯止めがかからないのは、身近な存在である彼らが、日本に対する屈折した感情のはけ口となっているからではなかろうか。」(4頁)とあり、現代の韓国社会の人びとの心理が問題をこじらせている、という視点を示す。

 

・また、「朝鮮人にとって軍への志願が、差別社会の構造を変えうる千載一遇のチャンスに思えたのは、否定のできない事実である。」(8頁)とあり、植民地支配の差別の現実の中に彼らが置かれていたことへの言及は、あることはある。が、

 

・「いずれの朝鮮人軍人も、祖国を売って陸軍に志願したのでもなく、天皇に忠誠を誓うために死を選んだのでもない。それは時代が彼らに強いた、宿命だった。」(9頁)と「時代の宿命」にしてしまうとき、社会への分析がストップしている。何でも「時代の宿命」にしてしまったら、「仕方がなかった」となってしまい、「では次にどうすればいいのか?」が考えられなくなるのだ。下手をすると、「宿命」だから後に続け、もう一回やろうぜ、とされてしまう危険性がある。この本が惜しいと思うのは、そこだ。(さらに後述)

 

第1章「ある朝鮮人特攻隊員の死をめぐって」では、Y少尉について触れる。本名はKさんで、Yは創氏改名した日本名。父が大韓帝国の失業軍人、本人は延禧(ヨンヒ)専門学校(後の延世(ヨンセ)大学校)を経て陸軍航空隊に志願し航空見習士官(特別操縦見習士官、特操)の一期生になった。

 

 Y少尉の実兄は「弟は日本軍のために志願したのじゃない。日本という国家から、暴力的に拉致(らち)誘拐されたのだ」と言う(23頁)。

 

 延禧(ヨンヒ)専門学校のK校長は、「ある者は、「内鮮一体」を信じ、・・日本人として認められるために、日本人以上に日本人として働き、日本人らしく死んでいく道を取ったと思われる。」などと言った(24頁)。

 

 本人の手紙には「・・戦果報告後、直ぐ爆弾を抱いて、・・体当たりします・・厳粛な仕事です。」などとある(25頁)。著(裴氏)は「文中のY少尉は明らかに奮い立っている。壮絶な任務を前に、迷いなど一つも感じられない。」と評する(29頁)。

 

 著者はソウル市内の実兄の夫人に電話をするが、実兄の夫人は「そっとしておいてもらいたいのです。・・」「弟が特攻で死んだのは栄誉なことではないし、韓国人遺族代表として慰霊祭に参加することは二度とありません」と言う(38~39頁)。

 

 これは一例であるが、この一例に、朝鮮人特攻兵の問題の持つ難しさが凝縮されているかもしれない。本人の誇りを持った志願だと著者はすくい上げたい。だが、実兄は、「拉致誘拐」だと言う。実兄の夫人は「そっとしておいてもらいたい・・」と言う。家族の死がつらいのは言うまでもないが、加えて、韓国社会において「親日狩り」が苛烈だからだろう、と本書を読んでいると想像したくなる。だが、私は更に、Y少尉が優秀な人でもあり意欲もある人であったのだから、彼を生かして平和な社会で活躍できるようにどうしてできなかったのか、彼の選択肢が特攻にしかなかったのはなぜなのか、を追究して欲しかった。これが本書の「惜しい」ところである。

 

 私は近現代史の専門ではないが、朝鮮半島では収奪され差別され致し方なく日本列島に出稼ぎに来た、エリートは軍人になった、ということではないか? Y少尉も高学歴のエリートだ。日本の東北地方など農村も貧しく、致し方なく海外に開拓団で出て行く、兵士になるなどの選択をした、エリートは軍隊で出世できた、と言う。陸士(陸軍士官学校)・海兵(海軍兵学校)に進学した人は極めて優秀だった。給料も出た。大前提として社会背景に階層格差(貧富の差、貧困)がある。日本人で朝鮮人に対する差別心がなく平等な同胞の意識を信じていた人もいるかも知れない(婚約した人の例も本書には出てくる)が、朝鮮語で育った人が日本語を強いられる時点で不利なところで頑張っていると想起すべきだ。今の日本人もロシアやイランに住んだら、たちまち言葉が不自由、社会的立場は不利、になるだろう。まして共有地(入会地)を奪われたなどなど。社会的な有利不利をなくすように社会をよくするべきなのだ。誰でも安心して胸をはって生きていけるように。また軍産複合体の暴走を許してはならない。ここの分析は本書にはほとんどない。

 

 第2章「親日派狩りであぶりだされる「不都合な真実」」では、盧武鉉(ノムヒョン)大統領が「親日法」を改正した(厳しくした)2005年頃の状況を中心に描く。盧武鉉大統領の狙いは実は朴正熙(パクチョンヒ)もと大統領の娘・朴槿恵(パククネ)の追い落としにあったと著者は言う(43頁)。親日法は、「親日狩り」をする政治家の身内にも及んだ。著名人(画家のY、スポーツ選手のS、音楽家のA、作家のIなどなど)もやり玉に挙がった。詳細は略。

 

 第3章「「空への夢」に殉じた女性飛行士」では、朝鮮人初の女性飛行士・朴敬元(パクキョンウォン)を描く。当初英雄視されたが、日本の政治家Kとの関係が取り沙汰された。羽田から満州の新京に飛行しようとして墜落して死亡。親日的だったが、売国的ではなかった、と著者は言う。(81頁)その前に飛行操縦士免許に合格したA飛行士は「民族の英雄」と称えられた。後日談もあるが略。(82~86頁)

 

 第4章「南方戦線の朝鮮人特攻隊」では、M伍長(「半島の神鷲」と讃えられたが実は米軍の捕虜となり生還)、K伍長(陸軍万朶(ばんだ)隊だったが事故死)、H伍長(勤王隊で「第二の神鷲」と言われた)、また台湾の高砂族の兵士たちについて紹介している。

 

 第5章「沖縄戦線の朝鮮人特攻隊員」では、M少尉(知覧から出撃前に「アリラン」を歌ったとして有名)、T中尉(4月2日に沖縄で米機に体当たり特攻死、二階級特進)、O伍長(少年飛行兵、3月29日に19歳で戦死、「半島第四の神鷲」と言われたが戦後一家には親日派のレッテルが貼られた)などを紹介。

 

 第6章「特攻隊遺族が歩む隘路(あいろ)」では、ソウル出身のK少尉について、60年間も遺骨が放置された事情を述べる。

 K少尉の学んだ京城法学専門学校(のちソウル大学法学部となるエリート校)のM校長は「K少尉は・・三年間私から日本精神とともに剣道をたたき込まれた。ことに私の突きの精神、すなわち国のため己を捨て、無心となって敵を倒すことを体得したのである」(132頁)と述べる。

 さらに、K少尉の実弟は「ソウルの放送局が兄を特攻隊として報道しようとしたことがあったけど、そんな出鱈目(でたらめ)なことをしたら、名誉毀損(きそん)で訴えるから覚悟しておけと言っておいた」と言う(139頁)。

 また、T中尉(第5章)について、陸軍士官学校出身のエリートだったと確認した上で、彼の最期は「天皇陛下の御為に」ではなく、「軍人として、力の続く限り戦っただけである。」(145頁)と著者は言う。

 

・・・第6章への私(JS)の感想。

(1)K少尉の遺族の複雑な思いを重く受けとめる。ここでは詳述しない。

 

(2)それにつけても、このM校長の発言が残念でならない。当時はこのような考えの者が指導者になって得々と演説し、若者を死地に送り込んでいたのだ。(自分は生き延びたのですか!?)国のため社会のため人のため「生きて皆を幸せにせよ」となぜ言えない。今だったら考えられないことだ。それに「日本精神」はそんな簡単なものではない。本居宣長は「朝日を受けて咲く桜」を賞美したし、光源氏も人に「突き」を入れたりしない。法然も親鸞も伊藤仁斎も宮沢賢治も人を殺したりしない。中江藤樹は武士を捨て刀を売り親孝行をした。一遍上人の時宗は敵味方の区別なく鎮魂慰霊する。江戸時代は対外戦争をせずに200年以上も平和を維持した。これらの事実を無視して、「日本精神=己を捨て無心となって敵を倒す」などと日本人の精神を歪曲してしまうのは、実にけしからん。日本人の精神を限りなく愛する私としては、ご意見申し上げたいところだ。一体あなたは何を勉強してこられたのですか? 明治以降の特に昭和の「日本精神」なるものの歪曲(わいきょく)本当の意味での日本人の精神の伝統に対する否定、伝統なるものの捏造(ねつぞう)が、ここにもはっきりと見える。このM校長の発言を紀貫之や光源氏や藤原定家や中江藤樹や伊藤仁斎や本居宣長が聞いたら、「全然違います、あなたは全く分かっていません」と言うはずだ。明治以降にドイツかどこかで習ってきたナショナリズム(わが民族の歴史、言語、宗教、文化はコレだ! として宣伝するやり方)にしたがい「これが日本民族」などと使っているだけでは? ああ、狭い狭い。日本人は実はもっと開けているんだよ。米も漢字も梅も馬も大陸から来ているじゃないか。西洋からも学んできた。早い話が、ひと様に「突き」を喰らわす暇があったら、困っている人を少しでもお助けになってはいかがですか? (念のために言っておくが、剣道をやっている全ての人がこんな困った人ばかり、というわけではない。私の知るある剣道の達人は、気は優しくて力持ちを地で行くような人だ。勉強しておられるので視野も広い。なお、今の私の考えは、言うまでもないが、「全ての人が剣を捨てて、鍬(くわ)や鋤(すき)に持ち替えればいいのに!」である。)

 

(3)T中尉が「軍人として、力の続く限り戦っただけである」とする著者の評に、踏み込みの甘さを感じる。職業軍人として与えられた職務を全うしさえすれば(命令に従いさえすれば)それでいいのだろうか? 「虐殺せよ」「核を投下せよ」「生体実験せよ」と命令されればそのまま任務を遂行するのだろうか? 鮨(すし)職人は鮨だけ作り力士は相撲(すもう)だけ取りウイルス兵器研究者はウイルス兵器の研究だけしていればそれでよく、社会的責任について一切考えなくていいのだろうか? いや、そんなはずはない。「命令に従うしかない」との思考停止状態に追い込まれていたのではないか。某(ぼう)カルト宗教で上の命令のままに毒ガスを撒(ま)いたのとどう違うか? 日頃の教育・学びの体験の中で、自分の頭で考える訓練を、させていなかったのではないか? 「最後の特攻」中都留大尉は終戦後の米軍キャンプへの突入命令をとっさの判断で拒否できた城山三郎『指揮官たちの特攻』)。「不死身の特攻兵」佐々木友次氏は何度も出撃したが何度も生きて帰ってきた(鴻上尚史『不死身の特攻兵』)。「何のために戦艦大和を作り特攻で出撃したのか?」 「それはおかしい、別の選択股はないのか?」と考えをめぐらせることの出来る頭を育てなければならないのに、陸士(陸軍士官学校)は一体何を学ばせていたのか? 「軍人として」と言うが、「そもそも軍人はこの世の中に要るのか?」から始めて、「要るとすれば軍人とは社会のために何であって、どうであるべきか?」をしっかり考えなければならない。「軍人だから四の五の言わずにやるしかない」で思考停止してはならない。

 

(今で言えば、甲子園や箱根があるから野球や駅伝をやる、というのがすでに思考停止なのだ。なぜ甲子園や箱根をやっているのか? それが本当に皆の幸せになっているのか? ろくに勉強もせずに? などを問わず、ただただ甲子園や箱根が自己目的化していることを、現代における思考停止の表れとして、大いに危惧している。反知性主義の愚民化政策の表れだと言える。「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」と孔子は言った? これについては私は別の意見を持っている。民もまた本当は知るべきなのだ。「性(せい)相(あい)近し、習い相(あい)遠し」(本当は誰でも良知良能を持っている。学べば誰でも大したものになる、ただ、学ぶ習慣がないのでダメになってしまうのだ)。愚民でなく賢い民。「あたらしい憲法のはなし」はそのつもりで語られたはずだ。ああそれなのに・・という孔子の深いため息を私は聞く。愚民化で平気なのは『葉隠』だ。要するに勉強しなくていい、突っ込めばいい、と言っている。トンデモ思想だ。)

 

 第7章「韓国空軍を作った日本軍人たち」では、韓国空軍を創設した功労者の一人、K将軍について記す。彼はもとは日本陸軍の航空兵だった。戦後南北の危機を踏まえK将軍は韓国空軍を創設。初期のころ韓国空軍参謀長には旧日本軍の陸士や少年飛行兵出身の者が多かった。

 

(コメント)

 航空自衛隊を作った功労者、カーチス・ルメイは、日本の勲章を貰ったが、実は彼は戦時中に本土を爆撃し焦土と化す命令を出した張本人だ。だから東京大空襲に怒っているある人は、カーチス・ルメイの勲章受章についても、激怒していた。歴史のひずみの中でそういうことは起きる。

 

 日本でエリートの飛行機乗りだった人たちが、戦後韓国空軍を作り、或る場合には過去の「親日」を問われ批判される。

 

 どの人も与えられた場所で頑張ってきただけなのに・・と言えば言える。だがそれを「時代の宿命だった」で済ませず、二度と同じ悲劇が起きないためにはどうしたらいいのか? と頭をめぐらせたい。日本の戦後の学びはそこから始まったはずだ。韓国は朝鮮戦争もあって、よりつらかったが、それを乗り越えて進んでいる。ご近所として喜ばしい限りだ。もともと(長い歴史上)聖徳太子と百済の時代から、いやそれ以前から、日韓は仲が良く、交流も深いのだ。

 

 できれば、だれも武器を持たず丸腰で平和裡に仲良くできる社会にしてしまうのがよい。日韓はますます仲良くなっている、と私は実感している。日台も。日米も()。ほかの多くの国とも。皆さんはどうですか?

 

)80年前あれだけ虐殺されたのにおまえはアメリカを許すのか? と問いますか? 確かに原爆はつらい。空襲も機銃掃射も恐ろしかった。グラマンから撃ってくる操縦士のロイド眼鏡は恐怖だ。だが、アメリカ人を尊敬するのは、アメリカに武器で勝てないからではない。アメリカに民主主義があり平等があり自由と公正があり個人の尊重があり困っている人を助けるキリスト教精神があるからだ。内村鑑三に親切にしたシーリー先生のおられた国だからだ。賢く公正なGHQ(男女同権もGHQが憲法に織り込んだ)のいた国だからだ。ジョン万次郎を育ててくれたホイットフィールド船長のいた国だからだ。札幌農学校を作ったクラーク博士の国だからだ。ペンシルバニアを作ったウィリアム・ペンなど本当にエライのではないか? 戦後マッカーサーはミルクやおむつをくれたので人気があった。アメリカは時々間違う、いや、何度も間違ってきた。だがアメリカは修正できる。アメリカ人の中には尊敬できる人が沢山いる。最近の人で尊敬している人ももちろんあるが、今日は敢えて書かない。

 では、今日の日本で、世界に尊敬してもらえることがあるとすれば、それは何か? 何だと思われますか? 私は、平和で安全な社会、平和を愛し弱者を思いやって生きていこうとする若者たち、まじめで心優しく、環境問題や平和問題や国際問題(グローバルなヒューマン・セキュリティの問題)に感度の優れた若者たちこそが、今の日本の誇れる最大のものだと思います。(だから彼らに妙なサギとかをさせてはいけないのだよ・・そこは大人の責任ですよ)

 

高史明『生きることの意味 ある少年のおいたち』ちくま文庫1986年(もとは1974

 年):著者は1932年生まれ。「在日」として育ち特攻に志願して立派に死んでやる!  

 と決意した少年時代を振り返る。当時のベストセラー。中学生でも十分読める。

城山三郎『指揮官たちの特攻』新潮文庫2004年 最初の特攻・関大尉と、最後の特

 攻・中都留大尉。

鴻上尚史『不死身の特攻兵』講談社現代新書2017年 生き延びた特攻兵。

島尾敏雄『魚雷艇学生』新潮文庫1989年 わかりやすく言えば、モーターボートに魚

 雷を載せて突っ込むのである。特攻と言っても、様々なものがあった。

日本戦没学生記念会編『きけわだつみのこえ』第1集、第2集 光文社カッパブックス

 

益川敏英『科学者は戦争で何をしたか』集英社新書2015年 科学者の戦争責任