James Setouchi

2025.2.15

芥川賞 安堂ホセ『DTOPIA2024年下半期第172回芥川賞受賞

 

1 安堂ホセ:1994年東京生まれ。『ジャクソンひとり』だ第5回文藝賞。『迷彩色の男』が芥川賞候補。その他のことは隠されている。長身だそうだ。イケメン。

 

2 簡単な紹介

 まず、2024年におけるポリネシアの恋愛リアリティショー(メディア番組)の作成が描かれる。次に、東京でも主人公たちのブラックな日々が描かれる。2010年代だ。また2024年のポリネシアの恋愛リアリティショーに戻る、という展開。そこで語り手「私」(途中で「モモ」という名だと明かされる)とキース(「私」は「おまえ」と呼びかける)の姿が描かれる。

 性と暴力が描かれ、気持ちの悪いところがある。清純な青少年にはお勧めしにくい。大学生以上かな。

 

3 登場人物 なるべくネタバレしないように

(二人の主役)

モモ:語り手。鈴木桃太郎。ノンバイナリー(性自認を男とも女ともはっきりしない)、母はポリネシア系フランス人、父は東アジア(日本)系のミックス。キースの幼なじみ。

キース:井矢汽水。Mr.東京でもある。モモから「おまえ」と呼ばれている。モモの一歳上。

 

(ポリネシアで会う人びと)

ミス・ユニバース:白人。DTOPIAの中心になる女性。

マルセル:ミス・ユニバースの世話係のタヒチ人。ポリネシア系と少しフランス系白人が混じっている。

DTOPIAの出場者たち:Mr.東京を含め世界から集まった10人の男たち。競い合ってミス・ユニバースの愛を獲得しようとするが・・

 

(東京の人びと)

パパ:モモの父親。毒親ではなくむしろ理解のある寛容な父親だが・・

キースの母親:キースのやったことにおろおろする。

メグ:キースの姉。

Kちゃん:オカルトライター

土沢剛碧(とざわこうへき):渋谷の、呪物など怪しげな物を扱う店の店主

大野ファイアード純:富豪トレーダー見習い。キースと同年齢。

ダイモンケネス:富豪の依頼を受けて尋問を行う。日本とジャマイカとイギリスのミックス。

Luv奈:シンガー。日本人で、黒人と離婚して息子を育てている。

虐殺投資家A:民を虐殺する政府に投資して稼ぐ。

クライアントB:拷問の依頼をしてくる。

 

4 コメント ネタバレします

 まずまず面白かった。私のが一目(いちもく)以上は置いている奥泉光平野啓一郎が褒めているので、きっと値打ちがあるのだろうという目で読む。全体として、まずまず面白かった。

 

 私には、冒頭のポリネシアは異世界体験で面白かった。第二場面の2010年代の東京(回想)は重苦しい。ここまで作者の狙いは成功している。第三場面で再度ポリネシアになるが、ここで何か解決・変容したのか? この点はよくわからなかった。

 

 あらすじを確認すると、モモはキースと別れて以来、キースを追い求めていた。キースは世界の大人たちのつくるシステム(そういう言い方をしてはいないが)の中の部品にとどまらない、独特な魅力のある人間だった。だが、歳月を経てポリネシアで再会したキースは、メディア番組の提供する物語に完全に乗っ取られ、部品と化していた。だが、モモは知っている、キースは本当は世界の部品じゃない、自分は今世界の中で異物でも孤独でもないが、「おまえ(キース)を呼ぶときにだけ、・・どこかからよび覚まされるような感じがする」のだ。

 

 (安堂ホセさん、ざっとこういう読み取りで合っていますか?)

 

 モモは少年時代、恐らくはミックスと性自認において、世界のシステムの中に自分の居場所が見つけにくい存在だった。キースだけはモモにとって特別な存在だった。別れて以来モモはキース(おまえ)を追い求め続けてきたが、再会した時の感慨は以上の通りだ。これは一種の純愛片想いストーリーかもしれない。だが、モモがどうやって世界の中にまずまず安定した居場所を獲得したかは、描かれていない。

 

 キースが東京で経てきた苦しみ、行ってきた所業は、ここでは書けないほどひどい。だが大人たちのやっていることはもっとひどい。作者の書きたいことはこのあたりにありそうだが、キースがなぜメディアの提供する物語の部品に成り下がってしまった(とモモに見える)のか、も追究が甘いかも知れない。

 

 モモやキースの中学時代の愚行をパパは叱る。パパは毒親ではないが結局わかっていない。パパが判断の根拠にしているものは? 本作では「国」だ、となっている。本作は国籍にこだわる作品なのでないものねだりで仕方がないのかも知れないが、パパの捉え方は甘い。第三場面までパパは出てくるのだが・・

 

 大人が判断の根拠にするものは「国」だけではない。国家の法も大事だ、だが、それだけではない。神や天から与えられた良心、良知のようなものもある。社会の良識・常識のようなものもある。常識・良識は何を根拠とするか。経験と書物の学問の学びの要素が大きい。歴史や伝統を見出して語るのはコンサーヴァティブと言われるが、知見が世界レベルに広がれば国民国家の歴史や伝統を脱構築化して人類コンサーヴァティブとも言うべきものになる。(本作はそのための素材の一つを提供しているとも言える。クレオール文学もグローバル・サウス文学もそうだ。)

 

 本作では神、天、仏への言及はない。私には物足りない。

 

 パウロは「我が国籍は天にあり」と言った。孔子も場合によっては夷狄の中に移住する、と言っている。釈尊(お釈迦様)ははじめから地上の国籍など飛び越えている。親鸞聖人を見よ。梁石日柳美里も国籍については悩んだがそれ以上の所に達している。李琴音『彼岸花の咲く島』は現代の東アジアのクレオール文学だ。ジーン・リース『サルガッソーの広い海』は少し前のカリブ海のクレオール文学。国境を越える文学は多い。

 

 天使も菩薩も男性女性を越えた存在だ。アウグスティヌスが同性愛を不可としたのであって、それ以前にはそうではなかったのかもしれない。アダムは、イブが生まれるまでは、男性ではなく、ただの人だった。スメルジャコフ(『カラマーゾフの兄弟』)も去勢派だったのではないかとの推論がある。日本でも明治以降に同性愛は闇に隠れたのであって、明治以前は当たり前だった。井原西鶴『好色一代男』を見よ。

 

 「正統な日本人が正しい」「異性愛が正しい」という「常識」に対する異議申し立ては本作では全編に漲(みなぎ)っている。そう言えば2010年代はA政権的な人びとが固定的な日本人らしさを言いLGBTQの多様性を否定したがった時代だった。本作第二場面の暗黒の東京はまさにこの時代だ。

 

 国籍、民族のミックスおよびLGBTQ、性自認については繰り返し言及があるが、それ以外の時代批評も随所にある。深めてはいないが触発的・喚起的・挑発的だ。例えば、在日韓国人へのヘイトスピーチ、野球部の体罰、出生前診断と中絶、女子高生のリスカメイク、部活は善か、父親とは何者か、イスラエルとガザ、白人による白人の懺悔のための映画(その実白人のみの世界を描く)、デート兵(フランス軍の兵隊で現地女性との間に子どもを残す。フランスとポリネシアの加害者と被害者の関係を強制的にひきわけにするため)、などなど。問いは沢山あって面白い、だが答えと展望に乏しい。

 

 ネットの反応を物語の中に取り入れているのも面白い。現代社会はこんな感じだろう。但し権力によって統制されていなければ。オーウェル『1984』だと違った形になる。

 

 PC用語が多い。「キーフレーム」「サブスク」「トラッキング」「SSD」「Mac Book」など。

 

 ファッション用語も多い。「ドレッド(絡まって束になった髪型)」「スキニーデニム(脚にピタリと付くタイプのデニム)」「マンバン(男のお団子ヘア)」「ハイブリーチ(髪の色を非常に明るくすること)」「タンニング(日焼けをして肌を黒くすること)」など。作者はモデルでもしていたのだろうか。私は全く興味がないので、今回辞書を引いて上のように理解した。

 

 現代の音楽関係の流行語も多い。「R&B(リズム&ブルース)」「フラッシュモブ」「ラッパー」など。

 

 現代の若者言葉(もしくはネット・スラング?)「界隈」「エグくない」「沼る」「スピ」「ドヤる」「誰得」「ブッチする」「レベチ」なども多い。シニアの皆さん、おわかりになりますか?

 

 以上は私が知らない分野であって、それらの得意な人たちにはハードルではないだろう。だが、カタカナ言葉(外来語)が多すぎる。「アグレッシブ」は「攻撃的な」ですむし「フェーズ」も「局面」ですむ。全体としてカタカナの多い文体になっている。作者にとってナチュラルなワーズであるのか、それともインテンショナリーにやっているのだろうか。

 

 流行語を使いすぎると、その時はテンポラルに読み手のレセプティビティがインクリースするかも知れないが、その作品はたちまちアウトデイトイドなものになる。流行語の賞味期限は短いからだ。

 

 きらびやかなカタカナ言葉を使うのも挑戦の一つではある。だが、思想内容を深めなければ、現代社会への問いや提言にはならない。この点はどうか? 田中康夫は深めた。大江健三郎も深めた。安堂ホセ氏には今後に期待しよう。         

                           2025.2.15記す 

 

 

補足2025.2.17

 

 今回の芥川賞二作を比較対照するならば、二作とも現代の若者が書き現代の若者が登場するが(安堂ホセ氏の方が数年年上ではあるが)、違いは、

 

安堂ホセ『DTOPIA』

・ポリネシアと東京が出てくる。世界の多国籍の人びとが出てくる。

・主役は若者。

・アウトローの性と暴力の世界が出てくる。知的な世界はあまりない。

・現代のファッションや若者言葉が多出。(これはこれで私にはハードルとなった。)

・音楽も現代の流行音楽。アリアナ・グランデなど。

・国家、民族、家族への問いがある。家族はうまくいっていない。

・性自認の問題が出てくる。

・形而上学的な議論は出てこない。思索的ではなくもっと肉体的、感覚的。

・神、仏、天が出てこない。

 

鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』

・東京とドイツが出てくる。安定的な形で日本人とドイツ人が出てくる。

・主役は一つ上の世代。

・アウトローは出てこない。大学の研究者が出てくる。知的な世界だ。

・西洋古典古代以来の作家や文学者の人名が多出。(これは多くの若者にはハードルか。)

・音楽はバッハやビートルズ。ビートルズも今の若者には古典?

・国家、民族、家族への問いはない。家族愛はうまくいっている。

・性自認の問題は出てこない。

・多様性と統一性をめぐる形而上学的な(?)議論がある。思索的。

・神(神信仰)が全編に出てくる。