James Setouchi

2024.12.12

 

平和憲法・平和主義はアメリカの押しつけではない

(日本やアジアに平和・非戦の思想がある。帝国憲法こそドイツのまねだった。

 

1        憲法9条は、GHQが押しつけたものではなく、幣原喜重郎の発想だという説がある。また、憲法研究会(民間。憲法調査会ではない)の案にも平和条項がある。

(戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、日米貿易摩擦などの危機に際して、戦争をせずに平和裡に乗り切った。厳密に言えば沖縄(返還前)の米軍基地からベトナム空爆に行ったなどのことはあるが、正面切って自衛隊や日本国が戦争に参加することはなかった。「平和主義」の国是が守られたのだ。)

 

2        平和主義・非戦主義は、戦後に急に出てきたものではなく、戦前の日本にもあった。以下を参照されたし。

 

3        日中戦争・太平洋戦争に反対し弾圧された人々がいた。キリスト教徒のうち矢内原忠雄(内村鑑三グループ)と明石順三(灯台社。エホバの証人の一派と言える)、妹尾義郎の新興仏教青年会(浄土宗の林霊法らも)、真宗大谷派の竹中彰元(終戦直後の10月に死亡)、日本共産党の人々。またホーリネス教会は弾圧され多くの幹部が獄死した。ひとのみち教団(PL教会の前身)、天理ほんみち(天理教の分派)も弾圧された。大本教は国家神道に近しい教え(反戦とは言えない)のはずだが弾圧された(有名。日本史の時間に学習する)。牧口常三郎は軍部・国家神道に弾圧され昭和19年11月に獄死。彼は創価学会・公明党の原点にいる人で、創価学会と公明党は戦争が嫌いである。もちろん、身内が戦死し家が空襲で焼かれて食べ物もなく、戦争は厭だと思った人々は沢山いたはず。

 

4        私は必ずしも詳しくないのだが、自治労北海道の「トピックス」(2015.04.24)によれば、連合北海道が4月23日、ホテルポールスター札幌で第2回「憲法と平和」学習会を行った。その中で、荻野富士夫・小樽商科大学教授は「戦争への抵抗」と題し、講演をした。その中で、戦争や軍隊への抵抗をした人々として、共産主義者以外に、三國連太郎、細川嘉六、鈴木弼美、浅見仙作、竹中彰元、浪江虔、作曲家・吉田隆子、藤沢武義(無教会派キリスト者の内村鑑三の教えを守り戦争への抵抗に取り組んできた)、斉藤隆夫(反軍演説で『聖戦』の欺瞞性を痛撃)、正木ひろし(弁護士)、桐生悠々(新聞記者。知人に戦争の批判的姿勢を伝えていた)、清澤洌、金子光春(詩人。自分の息子を戦争に行かせたくないと考え、個人レベルでの抵抗をした)、横田正平(玉砕しなかった兵士。グアム攻防戦でアメリカ軍に投降、捕虜となり日本軍の欠陥、精神的な貧困を発見した)、藤田嗣治、松本竣介(画家)・・らの名を挙げ、抵抗にもいろいろなパターンがある、としている。

 

5        水野広徳は反戦軍人だった。軍部を批判し続けた。『興亡の此一戦』は日米戦争の行方を占い東京が焦土と化す様を予言している。

 

6        新渡戸稲造は国際連盟その他で世界平和のために尽力した。三浦銕太郎は大陸植民地を手放す方が経済的だと主張した。軍事大国主義へのアンチである。石橋湛山もそうだ。

 

7        日露戦争に反対したのは、幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三。有名な与謝野晶子は反戦・非戦主義者というわけではなかったが「君死にたまふことなかれ」という詩を書いた。もちろん、身内が戦死したり無理な軍事工場の稼働で事故にあった人びとで「ああ厭だ」と思った人は大勢いたはず。

 

8        日清戦争以前に北村透谷は日本平和会を作り雑誌『平和』を発行した。

 

9        大日本帝国憲法はドイツ憲法のまねだ。大日本帝国は西欧列強のまねなのだ。日本人独自のもの、ではない。靖国も明治以降に作ったものだ。「これが日本の伝統」と声高に主張する人には気をつけた方がいい。

 

10   徳川時代は「徳川の平和(パックス・トクガワーナ)」が200年以上続いた。庶民は丸腰で平和に暮らした。対外侵略もしなかった。

・明の滅亡に際し鄭成功が幕府に明復興の救援を求めてきたが、幕府は協力しなかった。

・織豊時代と江戸初期には巨大な船で南シナ海まで運航して貿易で稼ぐ商人があったが、その後は巨大な船を作らず(技術水準を落として)近海のみの運航にして海外勢力に巻きこまれない内陸型・自給自足地産地消型のシステムに移行し平和を守った、とも言える。

(完全な「鎖国」がいいとは思えないが、自給自足型を大事にするのは、一つの智慧ではある。明治以降あれほど回復しようと願った「関税自主権」を、グローバル自由経済の名のもとで進んで手放してしまうのはなぜか? せめて食糧生産くらいは守ってはどうですか?)

(例外は江戸初期の薩摩の琉球侵攻。大坂の陣、島原の乱は悲惨だった。それ以降は由井正雪の乱や赤穂浪士討ち入りなどはあるが17世紀後半以降はおおむね平和だった。)

・幕末に薩摩と長州がイギリスなどを相手に戦争を仕掛けた。井伊大老暗殺以来悲惨なテロと内戦が繰り返された。明治以降は西南戦争も含めて内外の戦争が連続した。それをやめたのは昭和20年だ。

(念のために言うと、江戸期も身分差や飢饉があったので、全肯定はできない。しかし戦争をしていないことは事実なのだ。対して明治帝国は、貧富差もあり、いや、貧富差はかえって拡大し、かつ十年に1回大きな戦争をしては国民を兵にして死なせていった。挙げ句の果てに日本列島は焼け野原だ・・)

 

11     戦国時代は悲惨な殺しあいが続いた。それが厭で人々は平和を求めたかも知れない。豊臣秀吉の刀狩りも、厭戦的な人々が進んで刀を差し出し自ら武装解除したのではないか。それに続く「徳川の平和」のお蔭で五街道が整備され、松尾芭蕉や弥次さん喜多さん(虚構だが)ほかも全国を旅することができた。(戦国末期の一向一揆弾圧は悲惨だった。武田信玄の軍が他を襲って略奪したなど、悲惨な戦争が続いた。)

 

12      平安末期以降戦乱が続いた。鎌倉以降は基本的に軍事政権だ。相対的に平和で安定した時期もあったが、軍事政権だったし、「仁義なき戦い」が続いた。下克上・裏切り・嘘つきが横行した。その中にあっても、時宗のグループは敵味方の区別なく供養する、といった営みを行った。「敵味方供養塔」がある。殺しあいも裏切りも嘘もいやだ、と思った人は沢山いたはずだ。平安末、法然の父親(漆間(うるま)時国。押領使、つまり武士、あるいは軍人だった)は自分が殺されるとき「仇討ちをするな」と言った。

 

13     平安期は地方は乱れた(平将門の乱など)が、原則として対外戦争も行わず平和な時代だった

九州では平安始めには新羅が弱体化し新羅の賊が入る、また1000年頃にもいわゆる「南蛮賊」(高麗人?)などがあったが、大戦争などには発展しなかった。有名な「刀伊の入寇」(11世紀初め)においてもそれによって過剰に防衛軍事大国化しようとはしてないし、ましてや「自衛のため」と称して他へ侵攻しようともしていない。おおむね平和に暮らした。(現代で言えば自衛隊を出さなくても海上保安庁と内政(賊への対応)と外交でうまく解決する、ということだろうか?)

(もちろん身分差があるなど同時代を全肯定はできない。しかし戦争をしていないのは事実だ。)

NHK大河ドラマ『光る君へ』R6.12.15(日)最終回。主人公まひろが道長亡きあとの戦乱の時代を予感して「嵐が来る」と真剣な表情をして終わったのは、印象的な終わり方だった。実際、平安時代中頃は戦争・内乱のない時代だったが、平安末期には武装勢力が台頭して戦争・内乱が多発する時代になってしまった。但し、道長がいたからこそ平和が保たれたのか? というと、そこは議論の余地がいくらでもありそうだ。ドラマでも道長の一族が地位を独占することと、地方で戦乱が起きることとが、平行して描かれていて、視聴者に考えさせようとしているのかも知れない。また、道長周辺の高級貴族の世界でも、呪詛や毒殺が沢山あったのではないか? とドラマでは描かれていた。呪詛も毒殺も地位や利権の独占と排除、つまり収奪のシステムから起きるのだから、それが起きないシステムを考案すればいいのに、それはやっていないということだろう。平安期の収奪システムがその後の戦乱を生んだ、と強引に説明できなくもない。それでも、平安中期は、平安末期以降の戦乱の時代に比べれば、おおむね平和だったということは確かではある。では、今は・・?(R6.12.15補足)

・平安期に主流だった宗教は仏教で、仏教は平和の教えだ。

・東北は例外だ。坂上田村麻呂の出兵や前九年の役、後三年の役などがあった。そこで勝利した連中の子孫が鎌倉幕府=軍事政権を作っていくのだ。奥州藤原は戦争が厭で平和な仏国土を作りたいと願っていたと言われるが、頼朝にやられた。

 

14     平安以前はどうか。大和朝廷は戦争続き。朝鮮半島に出兵している。蘇我物部戦争や壬申の乱、奈良時代も、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂乱、藤原仲麻呂の乱など内戦・政変も多発。なんでこうなるのか? 

 

15     道家思想(老荘思想)は平和の教えだ。老子は「柔弱謙下」「不争」を説き「兵器は不吉な道具だ」と看破した。墨家思想も平和(非攻=専守防衛)の教えだ。東アジアに平和の教えがある

 

16     仏教は平和の教えである。重要な戒律の一つとして「不殺生」を説いている。釈尊はヒマラヤの麓のカピラ城の王子だった。大国・マガダ国とコーサラ国の争いに巻き込まれそうになったとき、抗争に参加せずかえって両国の平和を実現した、という解釈を読んだことがあるが・・?

 

17     キリスト教は平和の教えである。十字軍は例外で、誤り。イエスは剣を捨てよ、とペテロを戒めた。旧約のイザヤ書にも剣を捨てて鋤に持ち替えよう、とある。モーゼの十戒にも「殺すな」とある。神は殺人を禁止しておられる。殺人者カインは荒野に追放された。