James Setouchi

2024.11.29

  坂本龍馬関連からいくつか(H22記)

 

 NHK大河ドラマで福山雅治主演『龍馬伝』が大人気だ。

 

 坂本龍馬については、これまで何度も小説やドラマになっている。私自身は、龍馬については素人で、「土佐に生まれた→武市半平太の土佐勤王党と関わる→勝海舟の客分となり海軍創設の土台づくりに努力→薩摩・長州の同盟を推進→海援隊結成→土佐藩の建白により大政奉還→1867年(慶応3年)、近江屋で暗殺された」というおおまかな流れは知っているつもりだったが、従来語られてきた龍馬像のどこまでが史実でどこからが虚構(フィクション)なのか、厳密には知らない。確かなことを知りたいと思っている。

 

1 平成22年10月5日の朝日新聞のオピニオン面で野田正彰氏(精神科医)が、龍馬人気は幼稚さの表れだ、龍馬は自由民権運動にもつながるが、軍国主義にも利用された、などとコメントしている。どう考えればいいのだろうか?

 

2 松浦玲(れい)『坂本龍馬』(岩波新書、2008年=平成20年)は次のように言う。

*「・・あれほどまでも京都の政局に全力を傾注した龍馬が生きていれば、慶喜(よしのぶ)の運命は変わったに違いない。・・突破力を持つ三十三歳の龍馬の存在は大きかったのである。・・」「龍馬を欠く後藤象二郎は王政復古クーデタに加わる。後藤や土佐勢はよく努力して政変の性格に「公議」を持ちこんだ。「やわらかさ」を持ち込んだと言えるかもしれない。龍馬の構想は、いささかは生かされた。しかし龍馬自身が生きていればとの思いを禁じることができない。・・」(「あとがき」)

 松浦玲の本を素人なりに勉強すると、龍馬が京都での薩長盟約に立ち会ったのは事実。大政奉還論は龍馬のオリジナルではなく大久保一翁や松平春獄から継承した。木戸孝允(桂小五郎)が龍馬に示唆(しさ)して山内容堂を動かす。龍馬は倒幕挙兵のための時間稼ぎに動く。龍馬の予想に反し慶喜が大政奉還を断行すると、龍馬は薩土芸(「芸」とは広島藩)で慶喜を押し立てる方針に転換し永井尚志(なおゆき)(慶喜の側近)と協議する。「船中八策」には龍馬の自筆本が存在しない。「八義」には自筆本があり、議論がある。

 

3 池田敬正(よしまさ)『坂本龍馬』(中公新書、1965=昭和40年)(歴史の某先生が紹介して下さった本)は、次のように言う。

*「・・動乱と変革の明治維新を、・・・成功させた最大の功績者はだれかとたずねられたら、私はためらうことなく、それは勤労民衆であると答えるであろう。」「私は、維新という大きな歴史の変革のなかで―そこではすべての勤労民衆の苦悩が表現されているが―その変革の指導者の一人であった龍馬を描きたかったのだ。・・」(「まえがき」)

*「中岡らの倒幕派指導者は、・・統一国家を建設していったが、その近代化は、専制と侵略の汚辱(おじょく)にみちていた。だが日本近代史のすべてがそうであったわけではない。すでに自由と平等と独立へのたたかいははじまっていたのである。龍馬とその海援隊が生みだしつつあった「自由」と「平等」と「独立」の芽は、むしろそのたたかいのなかにこそ、結実の可能性を見いだしていくであろう。・・」(「むすび」)

 

4 司馬遼太郎『竜馬がゆく』(字は「龍」でなく「竜」)は、小説。ベストセラーになり、虚像も含めその後の坂本龍馬像を決定づけた。「サンケイ新聞」連載1962~66(昭和37~41)年。あくまで小説であり物語である。その中で、時代の先駆者としての若々しい「竜」馬像が描かれる。青春小説と言っていい。江戸の千葉道場で修行し最強の剣の達人だった(活劇シーンもいくつかある)、平井加尾のかわりにお田鶴(たづ)様が出てくる、盗人の藤兵衛が出てくる、などは誇張やフィクションを含むであろう。薩長同盟・大政奉還・「船中八策」および新時代の構想などについても、どこまでが史実かどこからが虚構が、丁寧に腑(ふ)わけしてみることが必要だろう。(さもないと歴史そのものを見誤る。面白いだけに要注意である。)

 

5 天道荒太『青嵐の旅人』(2024年)にも坂本龍馬が出てくる。エンタメで、思い切って明るく痛快な人物に振り切って描いている。

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