James Setouchi

2024.11.23

 

読書会記録 R6.11.23(土)9:30~12:30

『平家物語』(3)              担当:N

 

1      作品情報

(1)作者:『徒然草』には信濃の前司行長と生仏の名が見える。原作者は一人とは考えられていない。

(2)成立:平信範の日記『兵範記』の1240年の記事に「治承物語、号平家、・・」とあるので同年以前の成立。承久の乱(1221)以前、後鳥羽院の時代に成立していた原作は3巻程度。語り継がれる撃ち増加加筆されたか。異本が多い。・・語り物は異本が多くなる。西洋でも。

(3)内容・構成:冒頭には仏教的無常観。前半は平家の台頭と栄華、後半は義仲、および平家の都落ち。合戦、恋愛、説話、各人物のエピソード、因果応報、儒教思想などが絡み合う。一大人間絵巻。

・・「無常観」とは何か? インドのお釈迦様の無常観は、はかなく滅んでいくというだけものではない。中国や朝鮮半島では? 日本では? 『万葉集』に無常観の歌がある(沙弥満誓の歌)がある。外来思想だったが、日本に定着した。『平家』『方丈記』は滅んでいくイメージ。そこに美を見るとも。『徒然草』は鎌倉末期なので少し違う、とよく言われる。月や花の観察からくる。(無常=死はいまそこに迫っているから、すぐ出家せよ、という発言も兼好はしているが?)愛する人の死がきっかけで仏教に入信した、というポジティブな「無常観」もある。大きく言えば中世は仏教の時代で、無常観、「憂き世」の捉え方だった。近世は儒教が強く、生々観(「天道流行して万物化育す」)、「浮世」の捉え方になった、と言われる。今の人はどうだろうか。

(4)文体:和漢混淆文。文法も平安時代とは異なるものがある。

 

2      冒頭 祇園精舎

(1)    祇園精舎の鐘とは? 今寺で見る釣り鐘は中国からであって、インドの祇園精舎の無常堂のはそうではなかった。内陣の4ヶはガラス、外陣の4ヶは白銀。鐘の音も今の寺のボーンというのとは違うはず。但し『平家』作者がどう理解していたかは別。

(2)      滅んでいった反乱者を列挙するが、反乱のあと王朝を築いた始皇帝や漢高祖(劉邦)らは数えていない。結果が成功かどうかから判断しているのはどうか? 日本では平家も滅んだものとして扱われている。

(3) 平家、貴族、源氏(木曽義仲)なども滅んでいった者と数えられている。様々な立場の視点から描かれていると言える。

(補足)「旧主先皇の政にも従はず」とあるので、旧体制のシステムに従うのがよい、とされている。「民間の愁うるとところを知らざりしかば」とあるので、「民間」への注目がある

(4)      安田登(能楽師)は、能の三井寺で、言葉の響きと三井寺の鐘の響きが響き合う、と言っている。とすると、平曲で「ぎーーー~~=おーー~~~んーー~~」とやるのも、祇園精舎の鐘の響きを演出しているのでは? 目の不自由な琵琶法師にとって、聴覚だけで捉える『平家』の世界とは、どのようなものだったのか? 当時の人びとはあのようなゆっくりしたもので娯楽になったのか? どのレベルの人が(知識層か、文字なき庶民か)聞き手だったのか? 娯楽ではなく鎮魂慰霊だったのか?

 

3        源義仲と平重盛の対比(主に安田登による)

 源義仲は奢りを示す。平清盛と同じになる。

 対して、諫めるのは、今井の四郎兼平と、平重盛。

 平重盛の実像はそうではないが、『平家』の中では、清盛を諫めるキャラクターとなっている。儒教の「忠」(真心を尽くすこと)、「孝」(子が親に尽くすこと)を重視している。「孝」は古代日本にはなかった。新しい儒教的倫理観を表しているのが平重盛。

 平清盛は、親が子を大事にする典型で、子供たちを政権につけ、能力を無視した。

・・本当か?

・孔子において「忠」は「真心を尽くす」は合っている。孟子において「忠君愛国」はある。日本では江戸以降特に「忠臣蔵」「忠義の臣下」「忠霊塔」「忠魂碑」などタテ社会の「忠義」の意味に偏ってしまったが、孔子においては実は違う。『平家』の平重盛において「忠」がどのような意味で使われているか、は、丁寧に引用例を拾ってみないと、軽々には言えない。

・「孝」は古代中国には明確にある。舜はDV父に殺されかかっても「孝」を尽くした。日本の古代にないだろうか? 儒教の「孝」は先祖崇拝も含む。仏教の「孝」も先祖崇拝(仏教語では「供養」と言う。「孝養」とも。)も含む。(生きている親の肩をもんだりするだけではない。)日本の古代にも、仏教や儒教の伝来以前から、先祖をまつる、ということはしていたのでは? 死者の埋葬は縄文時代からあるようだが、先祖崇拝はいつから? ユダヤ教・キリスト教でも、モーゼの十戒に「親を敬え」がある

・「忠孝一本」がイデオロギーとして強烈に主張されたのは後期水戸学(藤田東湖)から。明治の帝国主義でも主張され、カミカゼ特攻を生んだ・・親を放っておいても天皇陛下のために突入すれば親孝行にもなる、と。

 

4        木曽義仲と今井四郎兼平の関係(これも安田登?)

 乳兄弟は一心同体。対して、源頼朝と御家人の関係は、「御恩と奉公」という双務的な契約関係。木曽義仲の乳兄弟との関係など、極めて近しい者とのみ結びつくしくみよりも、源頼朝と御家人の関係の方が、組織を大きくしやすい。義仲と今井の乳兄弟のドラマティックな死は、古い時代の乳兄弟システムの最後の光芒として描かれているのでは?

・光源氏と惟光も乳兄弟。鎌倉は双務的な関係。江戸以降『葉隠』などは片務的な関係で、殿のおん顧みがなくても、臣下はひたすら滅私奉公のイメージになる。

・乳兄弟は身分差が大きいかも。

・「ひょうふつ」は何と発音したのか? 「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」?

彼らの死を英雄視してはならない。これは『少年ジャンプ』だ、今井は生き延びて人のために怪力を生かすべきだった、そもそもなんで戦争など始めたのか、平和裡に解決するには? などの問いを出すべき。

「一所に死ぬ」は武士の倫理。平家の全滅、北条氏の全滅、戦国期の城を枕に討ち死に、阿部一族の蜂起、幕末の白虎隊、乃木希典のご大葬の礼の日の自決、戦時中の玉砕、集団自決、一億玉砕などにつながる感性がこの話には埋め込まれている。要注意だ。仏教は、一人一人が修行して生まれ変わるしかない。対して武士の倫理は、心中死をよしとする倫理だ。『源氏』にはない。それ以前は? 蘇我氏の滅亡など、全滅戦争自体は史実としてはあったかもしれないが、言説(理念、理想)として語られているかどうか? 

・木曽には大将として公的な自害をしてほしいと今井は思った。それがかなわず、今井は壮絶な自決をする。木曽ははじめ京都で女性といて合戦に出てこなかったが、家来が腹を切って諫めて、「琵琶湖畔で今井と心中しよう(公的でなく私的な情死)」といくさに出てくる。・・おや、今井自身は木曽と心中死しようと思っていたのか? 今井は壮絶な死に様を東国の兵たちに見せることで、自分の主君の木曽はすごかった、と見せようとしてるのではないか?・・面白い解釈だ。だが、逆に、木曽とは別に独立の武士として自分を見せつけたとも取れるのでは?

・そもそも史実なのか? ・・史実かどうかは知らない。武勲を立てた側が恩賞を貰うために報告し、それを敗者の側から脚色して描いているかも。

・こういう話のニーズがあったのか? ・・衆道(男色)の例を探せばここにもある、とは言えるが、衆道(男色)を描くためにここを書いた、という感じではない。むしろ衆道(男色)は当然だったのでは。

・では、何のためにこれを書いたのか?・・広げると、『平家』は何を起点に描かれたか? 人間が必死で生きたかつ死んでいった、ということを描いた。・・そうではあるが、滅亡した者への共感、愛惜がある。鎮魂慰霊と言ってもよい。

 

5        那須与一(野中哲照『那須与一の謎を解く』武蔵野書院、2022 などから)

・平家はなぜ扇を出したのか? 扇の模様、女性の巫女の装束などからも、「礼」「祝儀」であり、戦闘のゆくえを占うためだろう。それゆえ応える側も、鏑矢(魔除けに使う。音が出る。風を受けやすく、当たりにくい)を使った。『盛衰記』では明確にいくさ占いとする。

後藤実基が「だまし討ちにするつもりかもしれない、義経でなく他の者が出るべき」と言ったのは、他の箇所からも、優れた参謀の、冷静で合理的な判断と見るべき。・・板東の荒い武者のゲスな判断ではないのか?・・平安貴族化した平家に対して、新時代を開く関東武者は合理的な判断ができる、というのは、一種の階級闘争史観からくる捉え方の影響を受けている、ということはないか? 関東武者も信心深いかも?

・与一は一度断る。義経は怒る。これは軍の命令系統(統制)の問題だけではなく、初心に返って頑張れとの励ましかも。

・距離は何メートルか? 諸説ある。

・那須与一は小兵。腕も短く弓はやや小さい(あまり飛ばない)。が、滋藤の弓は、よく飛ぶ。与一は海中に歩を進めて距離を縮めるのはリアリティーを出し、与一の心理も示す。しかし波を受けて不安定に。今の3月17日は春分に近い。午後6時頃は夕凪。・・最初は北風。神々に祈る。浪風が収まり、射ると、的中。春風に乗って扇は舞う。このV字の動きが書いてある。

那須与一は実在か? おそらく、虚構の人物。系図があいまい。この華やかな屋島の合戦自体がなかったかも。壇の浦で平家が滅ぶことの伏線? ここの部分だけドラマティックなものとして独立して語られ挿入されたのでは? 

・ここだけは人が死なない。中学校で教材にしやすい。

・このあとの平家の老人が殺されるのは、大変辛い。

 

6        灌頂の巻 大原御幸(佐伯真一『建礼門院という悲劇』角川選書 2009 などによる)

後白河はなぜ女院を訪問したのか? 親族だから? 怨親平等思想? (「怨親平等」思想では、敵味方の区別なく鎮魂慰霊する。一遍の時宗の藤沢の寺他「敵味方慰霊塔」がある。靖国は味方しか祀らない。「日本人は味方しか祀らない、これが伝統だ」と言い切ると、誤り。靖国は明治以降軍国主義が作ったもので、国民を兵にして戦地で死なせる装置。日本人の伝統とは言えない。)異本(四部本)では、後白河は女院と同宿しようとした、つまり愛欲だ、と!?

・風景描写で心理を語る。日本文化だ。・・本当か? ブロンテの『嵐が丘』の荒涼とした風景は、人物の荒涼とした内面を示しているのでは?

・建礼門院の六道語り:六道とは、天、人、修羅、餓鬼、畜生、修羅。「畜生道」だけ、異本により内容が違う。一般的には「竜」だが、『四部本』『延慶本』『盛衰記』では平家の近親相姦としている! 畜生に近親相姦の意味を込めるようになったのはこのころからでは? 江戸期には「禽獣」に近親相姦の意味を込める。

(・安徳天皇の入水の所は、涙なくしては読めない。)

 

7 その他

・小林秀雄『平家物語』S17とS35。

・唐木順三の『無常』

・大河ドラマ『清盛』ほか

 

*レポーターが実によく勉強していて、お互いに勉強になった。知っているつもりだったが知らないことがたくさんあった。数人で勉強会をすると刺激になるし楽しい。

ありがたいことだ。

 

*次は、12月はメンバーの多忙のため実施しない。

1月11日(土)9時半~『方丈記』。冒頭とラストは必ず扱う。途中は火事や震災のところを扱うかも? ビギナーズクラシック『方丈記』が入手しやすく、すぐ勉強になる。ほかに堀田善衛『方丈記私記』はすごい。(このブログの「日本文学」にアップ済み。)

2月は8日(土)に『宇治拾遺物語』の有名な箇所(禅智内供の鼻、絵仏師良秀ほか)を考えている。文庫本で一冊で買える。『今昔』は何冊もあるので買うと高くなる。

その次は『枕草子』『竹取』?