James Setouchi
2024.11.15
柳美里『JR五反田駅東口』河出書房新社 2007年 (『山手線内回り』に所収)
1 柳美里(ゆう・みり)
1968年生まれ。横浜の高校を中退、役者などを経て劇団を結成。97年『家族シネマ』で芥川賞。『フルハウス』は野間文芸新人賞。『ゴールドラッシュ』『命』『8月の果て』『雨と夢のあとに』『グッドバイ・ママ』『まちあわせ』『貧乏の神様』『ねこのおうち』『人生にはやらなくていいことがある』など。震災後2015年福島県南相馬に移住。『JR上野駅公園口』の英語訳『TokyoUenoStation』(MorganGiles訳)で全米図書賞。(河出文庫の帯の紹介などを参考にした。)
2 『JR五反田駅東口』あらすじ(かなりネタばれあり) 初出は『文藝』2007年春、夏号。
・『JR上野駅公園口』が全米図書賞(2020年)受賞と言うので読んでみて、読み応えがあったので、他の作品も読んでみた。
・語り手・桑名伸生(のぶお)38才が、自分の半生や妻の史美(ひとみ)33歳ほかについて饒舌に(客に?)語るところから始まる。
・時代設定は、「祝日法の改正により今年から第三日曜となった海の日の今日」とあるのは2003年の7月であることから、その夏7月20日あたりから、冬を経て、2004年の3月まで。
・2003年7月20日の語り。桑名は五反田で妻からのメールを見る。都営浅草線と京成線を乗り継いで帰宅してみると、妻が帰宅しているはずが、妻の帰りが遅い。桑名は妻の浮気を疑い、喧嘩になってしまう。以来妻とは同居しているが口をきいていない。
・桑名伸生は、計算すれば1965年ころの生まれで、豊かな日本に育ち、関西の進学校の出身で、大阪市立大商学部に進み、証券会社に就職。バブル入社組。バブルがはじけ、桑名は「初心にかえって営業」をやっている。荒川のほとりの1LDK(家賃9万3千円)に妻(働いている)と住んでいる。子はいない。
・途中に関東大震災(1923年9月1日)の時の朝鮮人虐殺とその慰霊の話が入る。(注1)
・クリスマス・イブの語り。妻は鳥インフルエンザで寝込んでいる。桑名は妻との結婚のなれそめを語る。妻はなぜか桑名の親戚の家(滋賀)に挨拶に行ったとき、朝起きてこず、桑名家一同の顰蹙を買ってしまった。結果、桑名家からは断絶状態。なぜ彼女と結婚したのか? と桑名は問うが、明確な答えはない。
・桑名は今までの女性遍歴を、客に対して語る。桑名は今までに関係していた女性のリストを作っていた。
・桑名は妻と結婚して5年間働いてお金を貯めてから子どもも・・と話しあっていたが・・
・桑名は妻と話し合おうと思うが・・
・2004年1月。アテネ五輪の年。妻と話し合おうと思っているが・・・
・妻が、「おじいちゃんが死んだ」と言う。だが桑名は・・・
ここから先は書かない。ラストまで読めば、衝撃の結末が待っていて、小説は反転する。読者は全てを別の視点から読み返すことになる。
(注1)虐殺された実数は諸説あるが、「なかった」とは言えない。警察が「助けた」というケースもあるので、助けられなかったケースもある。なお大杉栄らもこのとき甘粕大尉に虐殺された。
3 コメント(完全ネタバレ)
桑名の一方的な語り、しかも関西弁の営業マンらしい軽快な饒舌にうまく乗せられていくが、だんだん雲行きが怪しくなり、ラストで悲劇が示される。読者は、妻の視点から本書を再読することになる。妻は、桑名の視点からのみ語られてきたが、実は妻の史美(ひとみ)には史美なりの切実な現実があった。桑名が浮気を疑った7月のあの日、史美は浮気をしていず本人の言うとおり友人の相談に乗っていたかもしれない。桑名と史美は口をきかなきまま半年が過ぎてしまうが、本当は史美は桑名と話がしたかった。受け止めて貰いたかった。桑名もそうだったが数少ない機会を失ってしまう。桑名が史美を探偵し、浮気の事実を突きつけ、離婚を迫る。この浮気も史実の寂しさゆえの出来心かも知れない。桑名自身は大勢の女性と関係を持ってきたのだが、それは桑名において不問に付されている。史美は死ぬ。最後に涙のメッセージを残して。日本の経済社会を代表するような、証券会社の饒舌な営業サラリーマンのすぐそばに、存在に気付いて貰えず内面を理解して貰えず黙って死んでいく不遇な女性がいる。関東大震災で理不尽に殺された人たちの姿が二重写しになる。力の強い声の大きい独善的な者たちが闊歩し、本当にたすけを必要としている人たちが踏みにじられる。それでいいのか!? 日本は、東京は、それでいいのか!? この異議申し立てと、助けてくれ!! という叫び声こそが、柳美里の書きたかったことであるに違いない。JR山手線はぐるぐる回り、人々は行き交う。しかしそこで抑圧された者の本当の悲しみに立ち止まって付き合ってくれる人は、いない。夫ですらも・・・
4 補足『山手線内回り』初出は『新潮』2003年9月号 (ネタバレ)
冒頭からこれはひどい。放送禁止用語や下品な描写、残酷なシーンのオンパレードだ。「読む気がしない」「吐き気がする」「女性への冒瀆だ」と本を投げ捨てた人もいるようだ。ゆえに健全な青少年諸君にはお勧めできない。確かにそうで、柳美里はここまで追い詰められて、ほとんど自暴自棄で、自爆テロのような手法で書いているのではないか・・?と最初は思った。
ただし、それにもかかわらず、絶賛する人もいる。主人公の「女」は山手線内回り(東京→上野→日暮里→・・と反時計回り)に乗り、耳に入る人声や物音に耳を澄ます。目に見える看板が過去を思い出させる。「女」は追い詰められ、自死する場所を探しているかのようだ。「女」のこれまでの人生は、安穏なものではなかった。「女」の人生とは無関係な所で明るく幸福に生きている人たちの会話が聞こえる。他方、人身事故(恐らく飛び込み自死)のため京浜東北線が止まっているというアナウンスが聞こえる。「女」はかつて14歳の時自死しようとしたことがある、その時すぐそばにいた人が飛び込み自死をした。「女」は自分の身代わりにその人が死んだと思いその人を悼もうと思う。「そうだ、発メロの代わりに、その日はどの駅もお経を流すというのはどうですか? JRもすべての自殺者の命日を記録して、せめて初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌ぐらいまではフォローしてほしいですよね、・・生前いちばん好きだった曲のほうがいいかな・・あなたの好きだった曲はなんですか? わたしにこっそり教えて下さい・・」こう呟く「女」は、黙って死んでいった無名の人たちに対して寄り添おうとしている。
こういうことが書ける柳美里の作品は決して自爆テロなどではない。「女」は自分も追い詰められて死に場所を探しているので、同じように追い詰められて黙って死んでいった人たちの気持ちがわかるのかもしれない。この騒がしく忙しい東京の動脈、他人たちが自分の都合だけを考えて行き交う山手線で、しかし「女」は見棄てられ見過ごされた人々が確かにいた、確かにいる、ということに注目し、忘れまいとする。ここに作者・柳美里の願いがあり、現代社会への批判(問題提起)があるだろう。他のJR山手線シリーズもすべてそうで、自死する人の人生を掘り起こし、確かにそこに生きていた、とうことを明らかにしていく。それでも山手線は忙しく回り続け、ホームにアナウンスは流れ、日本産業株式会社は「明るく」活動を続ける。誰かが「追い詰められた「女」の行き場所が結局山手線のホームにしかないとは・・」と書いていたが、いい指摘だ。では、「女」はどうするのか。
ラストをどう解釈するか。東京駅の地下道を鳩が飛ぶ。鳩は聖霊の象徴でもある。どこかからキリスト教聖書の言葉が聞こえてくる。「女」の頭に刻み込まれた、かつてキリスト教の学校で教わった聖句かも知れない。だがそれは聖書の文句そのままではなく、すこし違っているようでもある。ラストの「忘れないで下さい わたしの命は風に過ぎないことを・・」以下は旧約聖書ヨブ記7-7以下。「風」はヘブライ語で「ルーアッハ」(ギリシア語で「プネウマ」)。「風」「神の息」「命」という意味。ヨブ記の文脈の中では、このときヨブは苦しみの中で神に呼びかけている。作者・柳美里がどこまで意図しているか分からないが、「女」は苦しみの中で「わたしはもういないでしょう」と言いつつ神に救いを求めて、階段を上がる。駅長事務室に行こうとしているとすれば、「女」は生きようとしている。「危ないですから黄色い線の内側までお下がりください」を重く取れば(『上野駅』にあったのと同様)「女」はホームに上がって自死しようとしている。私は、前者を取りたい。「女」は絶望感の中でも、神に祈り、死んで行った人の痛みを抱えながらこの世を生きようとしている。
JR山手線シリーズは、日本産業株式会社で活発に活動する人々の片隅で、忘れられ自らを価値のないものとして葬ろうとした人々の人生を掘り起こし、忘れまいとする作品群と言えよう。
なお、五反田駅ですれ違う男は、『JR五反田駅東口』の主人公となる。「女」は『JR品川駅高輪口』にもチラと出てくる。 R6.11.15