James Setouchi

2024.11.10

文学 

 

ドナルド・キーン『ドナルド・キーン自伝』(角地幸男 訳)中公文庫2011年

 

1 著者ドナルド・キーンDonald Keene 1922~2019 

 日本文学研究者、翻訳家。NY生まれ。コロンビア大学在学中、第2次大戦初期にアーサー・ウェイリー訳『源氏物語』に触れ感銘を受ける。太平洋戦争中、海軍で日本語を解読する訓練を受ける。戦後。ハーバード大、ケンブリッジ大を経て京都大学へ。永井道雄(のち文部大臣)と親友に。コロンビア大学で教鞭を執りながらしばしば日本を訪れる。『徒然草』『奥の細道』三島由紀夫、安部公房などを翻訳。吉田健一(英文学者)、嶋中鵬二(中央公論社)らとも交流。文化勲章受章。日本国籍を取得しキーン ドナルド(鬼怒鳴門)を名乗る。『百代の過客』『日本文学の歴史』等の著書もある。(コトバンクほかから)

 

2 『ドナルド・キーン自伝』

 もとは『私と20世紀のクロニクル』として2007年に出た。日本文学・日本文化について並の日本人よりも詳しい。いわゆる知日派知識人だ。それどころか、日本人になってしまった。戦中戦後の米日関係史の一面としても面白い。いくつか紹介してみよう。

 

・コロンビア大学に16才で入学した。李(Lee)という中国人と隣席になり東アジア世界に目が開かれた。李は日本を嫌っていたが、キーンは、ドイツが侵略戦争を開始した頃、1940年秋、アーサー・ウェイリー訳『源氏物語』をたまたま読み、戦争のない美しい世界に引き込まれた。「源氏は深い悲しみというものを知って」いた。「この世に生きることは避けようもなく悲しいこと」だった。(37~51頁)

 

・コロンビア大学では角田柳作の日本思想史の講義を受けた。学生は一人だったが、角田先生は熱心に教えてくださった。(57~58頁)

 

・真珠湾攻撃のあと、海軍の日本語学校に志願して学んだ。(61~67頁)

 

日本兵の日記を読んだ。日本兵は思想調査のために日々日記をつけることを強制されていたが、彼らは死ぬ直前には苦悩をありのままに書き留めて死んでいた。(68~71頁)

 

・沖縄近海で、神風特攻に遭遇した。(84頁)

 

・戦後すぐ焼け野原となった日本を訪れた。日本人は誰もが親切にしてくれた。(102~103頁)

 

・戦後ケンブリッジでアーサー・ウェイリー本人に出会った。彼はアイヌの叙事詩「ユーカラ」の講義をした。彼は日本語、中国語、サンスクリット語、モンゴル語、アイヌ語まで知っていた。(135~136頁)

 

・1953(昭和28)年、京都大学に留学した。そこで永井道雄と同宿の親友となった。私は下駄で京都の町を散歩し、狂言の稽古をした。(150~174頁)

 

・日本家屋、日本の国宝、禅の教え、映画『羅生門』などがアメリカで人気となり、私は名士たちのちょっとした関心の対象となった。(189頁)

 

 ここまでで約半分。他にソ連訪問、三島由紀夫との交遊、川端康成のノーベル賞受賞など、興味深い記述が続く。一読を勧めます。         R4.12.3