James Setouchi

2024.11.3

 

埴谷雄高(はにや ゆたか)『埴谷雄高独白「死霊」の世界』日本放送協会

 

1        埴谷雄高(はにや ゆたか)(1909~1997)

 父(先祖は南相馬の中村藩士)の仕事の関係で台湾に生まれる。13歳で東京の目白中学2年に編入。結核になる。日大予科に入りマルクス主義に影響され演劇活動に没頭。学校は出席不良で除籍。農民闘争社に入り、さらに日本共産党(当時非合法政党)に入り、地下活動を行う。昭和7年22歳の時検挙される。獄中でカントやドストエフスキーを読む。出所後平野謙・荒正人らと同人雑誌『構想』を出す。戦時中は官憲に監視され、反ナチの書やドストエフスキー研究の書を翻訳したりした。戦後、平野謙、荒正人らと『近代文学』創刊。『死霊』を書き始める。ドストエフスキー論などの文学論、政治評論、エッセイなど多数。第一次戦後派で、かつスターリニズム批判の先駆者と言われる。(各種年譜を参照した。)

 

2 『埴谷雄高独白「死霊」の世界』日本放送協会 1997年

 『死霊』を読んでよくわからなかったので図書館で借りてきた。93~94年のNHKによる本人へのインタビューを本にしたもの。埴谷自身は97年に亡くなった。よって『死霊』は未完となった。

 

 本人の自作に対するコメントが1~4章で、末尾にguideとして「『死霊』の周辺」(白川正芳)が付いている

 

 本人のコメントがすべて正しいわけではないし、むしろ本人のコメントから離れて作品テキストを読むべきだという立場もあるが、参考にはなった。1~4章から、参考になったところをいくつかメモしておこう。本文の文言そのままではなく、適宜まとめたところも多い。

 

・7章「最後の審判」は長く書きすぎた。短くしても良かった。食われたものが食ったものを審判する、というテーゼだ。(44頁)(→私は、あれはあれでよいと思った。食われたものが食ったものを弾劾し、しかしその先の先の先がある、という展開はよいと思った。JS)

 

・5章「無魔の世界」もあれだけでよく、「死者の電話箱」は入れなくても良かった。(45頁)(→「死者の電話箱」は確かにどうしてあるのかなと思った。夢魔と対話する前段階として、科学の方法を置いてみた、ということだろうか、と私は思った。JS)

 

・父方は福島の相馬だが、母方は薩摩の東郷平八郎の隣で、母方の曾祖父は陽明学者で西郷隆盛を教えた。(51頁)

 

台湾に生まれ日本人が台湾人を殴るのを見た。日本人が嫌いだった。だから子供も持たなかった。(61頁)

 

プルーストを読んだ。プルーストは感覚が思想化する。日本人は桜が散るのを見ても五弁の桜がはらはらと散るで済ませるが、プルーストは、花弁の一つ一つが散るのを見て、他の弁はどうやってしがみついていたいか、を思索する。日本人は感覚でとどまり、思索の苦闘がない。(67~69頁)

 

台湾に生まれ、結核になり、文学をやり、社会主義になり、刑務所に入った。それらがすべて「自同律の不快」につながっている。(72頁)

 

・戦時中は翻訳をしていた。戦前戦中と押さえ込んでいたものがあった。敗戦の8月15日に「しめた、これで文学をやれる」と会社を辞めた。(76頁)

 

・『近代文学』には平野謙、荒正人、佐々木基一、山室静、小田切秀雄、本多秋五と、埴谷雄高が集まった。鶴見俊輔によれば、この7人は1935年頃にある一点に立っていてそこから動かなかった人たちだ。(78頁)(→小田切秀雄は小田切進の兄。秀雄は『近代文学』から離れ『新日本文学』に参加。JS)

 

・埴谷雄高は「政治的党派からの自由」を主張した。(79頁)

 

・『死霊』の出発点は非現実の場所。(80頁)

 

・戦争で大勢死んだ。生き残った自分は死者の代わりにやらなくちゃと思う。(83頁)

 

三輪四兄弟は、それぞれに、bad,sad,glad,mad(スウィンバーンの詩から)を体現している。(84頁)(→アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンは1837~1909、イングランドの詩人。JS)

 

首は社会革命、他の三人は存在の革命を考える。黒川建吉は三人の補助者で、『罪と罰』のラズーミヒンにあたる。(85頁)

 

・ドストエフスキーはキリスト教だがアニミズムもある。東洋にはアニミズムがある。ほんとうの文学はその時代のイデオロギー、哲学を超える。(87~89頁)

 

・「自同律の不快」、あらゆるものが自己超克に向かって働いている、から出発して、「虚体」まで行くのが、『死霊』の大雑把な見取り図。(89頁)

 

・三輪与志が無口なのは昭和7,8年頃のインテリの雰囲気。(94頁)

 

三輪高志は完全な自由の世界を目指した。自在宇宙は本当の自己をまだ解決していなくて「死者の宇宙」だった、と最後にはっきした。スパイとして殺されたやつがそこから夢魔として来た。死者の私性、自己をまだ克服できていない。(95~96頁)(→本文からその意図を読み取れなかった。ここは私の読解力の不足のせいだろう。JS)

 

・7章でイエスとシャカが裁かれ、牛は藁から裁かれるが、「それだけじゃないんだぞ」という声がする。これを言ったやつはゼロから無限大を所有している何者かで、はっきりしていない。9章で三つ目の虚体に近づき、最後の12章のシャカと大雄の時に本当の形を出す予定。(96頁)

 

・9章で「黒服」と「青服」が話す。「未出現宇宙」について話すが、これが難しくて小説がストップしている。(97頁)

 

・実体は、自同律によって支えられている世界。虚体は、自同律でない世界、時間と空間と自分に制約されない世界、現宇宙を超えたもの、実体のないもの。(100頁)

 

・あらゆる生物、存在は夢を見ている。実際を体現したものはすべて夢を裏切っている。実現しているものはすべて誤謬だ。(103頁)

 

・2章で首が津田康造に宣戦布告するのは「死のう団」だ。現実の死だ。対して黒服、青服は非現実の死だ。(105頁)(→「死のう団」は戦前にあった過激な団体。調べてみて下さい。JS)

 

文学の力は、結局は「おまえは何か」ということを教えることだ。それがわかったら、人は殺さない。(113頁)

 

・3章「屋根裏部屋」の黒川は三輪与志の考えをかなり代弁している。(116頁)

 

・ドストエフスキーは女をうまく使うのがうまい。埴谷はそうではない。(116頁)

 

・運河の原型は昭和7,8年頃の隅田川だが、非現実だ。小山内薫や永井荷風のイメージとは違う。霧も現実の隅田川では発生しない。(122~124頁)

 

4章、赤ん坊に限らずあらゆるものが泣いている。泣いているものを止めてはいけない。三輪高志はあらゆるものを揺すぶって変革するためにはあらゆるものを初めから弾劾する。三輪与志は最後まで泣かせ続けて存在革命をやる。李奉洋は自己革命家。サボテンはわずかな水分で自立して生きる植物。三輪家は子供を生まず、尾木家は子供を産み育てる。(126~128頁)(→これについては、尾木家の女性たちの方に救済の光明を託したのかと私は思っていた。JS)

 

・赤ん坊が三輪与志に這っていき三輪与志がこれを抱くところで、和解の道の可能性を示した。(130頁)

 

・4章完成前に結核で寝たり起きたりの生活になった。全体として10年かかった。第5章発表まで26年かかった。(132~135頁)

 

・ベッドの中で政治論文「永久革命者の悲哀」を書き、スターリニズム批判の先駆となった。ソビエトの崩壊も予言した。(137頁)

 

戦後文学は時限爆弾である。人間の精神とか自由というものはどういうことかということを戦後文学が明らかにしておく。やがて政治的人間は全部それに撃破されてしまう。集団は個に解体して、しかも個にして自由に連帯できる。(139頁)

 

・第5章。虚体は三輪家にずっとある。三輪高志は社会革命をした挙げ句に「自在の国」に到達したと思ったが、それは実は「亡霊宇宙」でしかなかった。本来の虚体ではなかった。殺されたスパイが夢魔になって出てくる。(143~144頁)

 

死から本当の復活をやるのが文学だ。文学の中では死者を生かす。(149頁)

 

・三輪高志は死者から、自分から、自同律の不快から、自由になっていない。まずそこから出る。絶えず、何かになった途端にまた新しい罠にかかっている。あらゆる宇宙的存在が全部そうだ。だから全体を総合したら未出現。出そうで出ないものだ。それは埴谷の『死霊』の本だ。(150頁)

 

・今の普通の革命は、今の日本やフランスのここに作る、というものだが、三輪与志の革命は、うーんと離れたところにある。『死霊』の革命は宇宙論的な革命だ。『死霊』は魂の渇望型の文学だ。(155~157頁)

 

・漱石の代助はヨーロパやロシアの余計者みたいなもの。誰でも思いつく。人間を通過して宇宙にまでいかない思想は本当の思想ではない。梶井基次郎は感覚的であって同時に思索的だった。梶井の『説教強盗』の棒は空間に対する探知作用をする。棒を持って闇から光に入りまた闇に入る。宇宙における人間とはそういうものだ。梶井はそう書いている。(158~162頁)

 

・ドストエフスキーを10とすれば、日本の思想小説は、梶井基次郎の延長の島尾敏雄『死の棘』が5,武田泰淳『富士』が10に近いが、日本の思想は伸びない。『死霊』は思索を伸ばして、人間とは生物の中で何であるか、を明らかにしようとした。(163~165頁)

 

・マクベスの魔女は「きれいは汚い」と言った。浮世の約束をとっぱらった魔女だけの世界の文学があってもいい。これを「不可能性の文学」と言う。文学は歴史から始まり人の心を書き自分の心を書くようになったが、非在のことは書いていない。しかし『死霊』は書こうとしている。(171頁)

 

・7章で矢場が遂に語る。最後の審判では食われたものが食ったものを弾劾するが、それでは最後の審判にならない。それは「違うぞ」と言いたい。最後の審判ではなくて、新しい存在の革命をするべきだ。最後はシャカが大雄(ジャイナ)と対話しシャカは抗弁できなくなる。今インドに残っているジャイナ教ではない。虚体それ自体がジャイナになる。大雄が勝利するが崩れ落ち、それを見てシャカがもう一度大悟するという構想はある。しかい、「違うぞ」以下がうまく書けていない。(171~179頁)

 

・8章。4章「霧のなかで」と8章「月光のなかで」は対照。赤ん坊は津田安寿子の膝に座ると大転換が起こる。翌日の「未出現宇宙」がうまく書けず、筆が止まっている。(180頁)

 

・印刷所の活字のエピソードも、考えた割には、うまくいっていない。月光とベンチは、うまくいった。(182~184頁)

 

・9章。安寿子の誕生祝い。青服は生き物について、黒服は存在について話す。誤謬の宇宙史に対して、未出現宇宙が本当はあるはずだ。この夢の夢に較べたら、この現実の宇宙は億万分の一でしかない、と読者に思わせる。ものの究極、最高のものだ。だから根源と究極を考えた。虚体は、ものの根源というよりは、ものを超克したもの。(186~189頁)

 

・この宇宙は、時間、空間、重力に支配されている。そうではない自由な宇宙は「未出現宇宙」だ。人間は自由になりたかった。例えば他の生き物を食べなくてよいように。だからシャカと大雄の対話になる。(193頁)

 

ニュートリノはほとんど質量がないから障害もない。宇宙線は鉛で止まるが、ニュートリノはそれでも止まりにくい。通過してしまうので、自分も「自同律の不快」も感じにくい。(195~201頁)

 

・三輪高志と矢場との告白は書いたが、首と三輪与志の告白はまだ書いていない。構想では、黒川は爆弾の上に乗って死ぬ。黒川の死んだ部屋で首が告白する。最後に三輪与志が告白する。シャカと大雄の対話だ。完全な自由の虚体は本の中にしかない。(202~206頁)(→そういう構想だったのか・・・JS)

 

大雄はシャカの言うことを全部否定する。今のところは虚無は実在に勝てないと読者は思いがちだが、ここでは虚をめざさなければ物の存在や生命はだめなんだと読者に納得させたい。シャカは大雄に負けたと読者は思う。だがその否定自体に根拠が無かった。大雄は砂のように崩れて消える。シャカはそれを見て、自己反省をする。(206~211頁)

 

20世紀の文学が果たすべき任務とは。無限の中の宇宙とは何か、存在とは何か、人間とは何かを考える。文学を作りだす根源の動機は<生>の発動だ。すべての人間が詩人になるのでなければ人間の真の幸福はない。これからは人類を救えるのは文学だけだ。文学はもう娯楽でも楽しみでもない。新しい宗教になるべきだ。信じることを失った人間、醒めきった人間の心を、文学によってそう思わせて、意識を変えてゆく。それが真の革命だ(211~216頁)

(→「そう思わせて」はどうかなと思うが、文学の使命を語っていて注目したいところだ。JS)

 

・ソビエトは崩壊した。『死霊』は誰かにもう少しやってもらいたい。アンドロメダに兄弟がいてこちらを見ている。(214~218頁)

 

3 コメント

 小説を読んでよくわからなかった部分があったが、この本を読んで少し理解が進んだ。

・未完の10~12章の構想を知ることができた。

・読み落としていたところもあった。

・作家自身が「こういうつもりだったが、うまく書けていない」と言うところもあるとわかった。

・大雄とシャカの対決はぜひ読んでみたかった。

・作家は「夢」に重きを置いているが、フロイトやユングならいざ知らず、今日の脳科学の知見では「夢」はそんなに重視できないのでは?

 

・この本には、参考文献他も紹介してあるので、埴谷雄高を研究したい人には便利だ。NHKHはいい本を出した。だが、ちょっと高価で今の私には手が出ないし、多分品切れでもはや売っていないだろう。図書館にあってよかった。公共図書館の役割の一つは、こういう値打ちのある本をストックして貸し出すことだ。この本の借り出し回数は恐らく多くはないだろうが、少数の借り手は真剣に読む人たちだろうから、こういう本を大事にしないといけない。(貸し出し冊数の成果主義で評価するのは不可。)

・45頁の「沼」(複数ある)は「夢魔」の誤植ではないか。NHK出版の方、いかがですか。

 

 これを読んで多少理解が進んだが、既にupした『死霊』のブログを書き改めるかどうかは未定。R6.11.3