James Setouchi
2024.10.18
有島武郎(ありしまたけお)『星座』
1 有島武郎(ありしまたけお)(1878~1923)
東京生まれ。父は薩摩系の高級官僚、実業家。学習院に学び皇太子(のちの大正天皇)のご学友に選ばれる。新渡戸稲造をしたい札幌農学校に学ぶ。内村鑑三に学ぶ。札幌独立教会に所属。明治36年(1903年)アメリカ留学、大学院で経済学、歴史を専攻。内村にならい精神病院の看護夫などをした。エマソン、ホイットマン、ツルゲーネフ、イブセン、トルストイ、クロポトキンなどの著作を読む。
ロンドン経由で帰国。札幌農学校(当時は東北帝大農科大学)の英語教師となる。日曜学校長になり、また社会主義研究会を開く。札幌独立教会を離れる。武者小路実篤、志賀直哉らとともに学習院系の『白樺』同人となり作品や評論を発表。実弟の有島生馬・里見弴(さとみとん)も『白樺』派。妻・安子が肺結核で死去。
作家的地位が高まる。トルストイにならい大正11年北海道の有島農場の解放を宣言。大正12年、軽井沢で編集者でもある人妻波多野秋子と心中死。享年45。作品は『かんかん虫』『惜しみなく愛は奪う』『カインの末裔(まつえい)』『生まれ出づる悩み』『或る女』『宣言一つ』『星座』『ドモ又の死』『骨』『親子』など。(集英社日本文学全集の巻末解説などを参考にした。)
2 『星座』大正11=1922年発表。作者44歳。
札幌を舞台とする青春群像劇。作者の札幌の学生時代の学友たちの面影が投影されているようだ。本文に「伊東が政友会を率いてどう元老輩をあやつるかが見ものだよ」とあるので、明治33年(1900年)のこととわかる。大河小説『星座』は四部作ないし五部作として構想されていたが、未完に終わった。19世紀末の札幌農学校(注1)の寄宿舎「白官舎」(注2)には若者が暮らしていた。周囲の女性も含め、若者たちの内面の葛藤と生活が描かれる。同時に、札幌(当時は人口が4万くらいだったそうだ)の町の貧富の差、陰翳も書き込まれている。そう、19世紀都市小説の一つと言ってもよい。
解説書によれば、学生たちそれぞれをオムニバスに描いていくことで、当時の雰囲気を全体として浮き彫りにしていく手法を採っている。
女性に対する欲望を抑えきれない渡瀬と、清純なおぬいさんとが、二人きりで向き合うシーンがある。有島武郎は、まずおぬいさんの目線で描き、次に同じ時間帯を渡瀬の目線で描く。この試みは面白い。
内容的には、学問は今の時代に何の役に立つのか、社会主義運動を実践しなければだめだ、異性に対してよこしまな思いを抱く自分は偽善者だ、学資が得られない、貧富の差があって女性も苦界に身を沈める危険性が常にある、父と子の葛藤、兄と弟の葛藤、などなどが描き込まれる。これらについて真面目に悩み学び成長していく学生たち一人一人が夜空に輝く星であり、彼らが星座を織りなしている、という意味で題を『星座』とつけたのだろうか。
今の段階でまだ序章で、有島武郎はここから大きく展開させていく構想を持っていたが、未完に終わってしまった、と言われる。惜しいことだ。
(登場人物)
星野清逸(せいいち):学生。極めて優秀だが、病弱。肺を病み血を吐く。父母妹弟が千歳にいる。新井白石『折りたく柴の記』を賞賛する論考を書く。
園:学生。極めて優秀。浄土宗の寺の子。理系の科学者。まじめで禁欲的。学者向き。清純なおぬいさんに求婚。父の急死で急遽帰省する。
渡瀬(ガンベ):学生。酒飲みで、放埒なところがある。数学の計算をよくする。新井田という実業家の奥さんに惹かれている。おぬいさんと向き合い、その清らかさに己を恥じる。
西山:学生。フランス革命に詳しく、『ダントン小伝』を書いた。社会運動に携わるべく東京へ行く。理想主義者。
人見:学生。経済的にピンチ。
柿江:学生。夜学校(注3)の教師もしている。「大所高所と言うが、大所高所は札幌の片隅、女郎屋の廻し部屋にもある・・当世の学問なるものが畢竟何に役立つかを考え」るべきだ、と西山を批判する。渡瀬に連れられ薄野遊郭(注4)に行ったことがある。今も薄野遊郭の前で苦しんでいる。
石岡:学生。クリスチャン。
森村:学生。
婆や:寄宿舎で学生たちの世話をする人。
おたけさん:若い寡婦。その幼い娘が「クレオパトラ」。
三隅ぬい:十八歳くらいの清純な女性。学生たちに勉強を教わっている。学生たちの憧れの的だが、彼女自身はあくまでも清らかである。
三隅の母:おぬいさんの母親。貧民区に住む。夫が闘病の末病死した。
星野清逸の父:生活力がなく、他から借金をしている。
星野清逸の母:父に従うしかない女。
おせい:星野清逸の妹。家計を助けるため富裕層の家に女中奉公に出ている。そこの主人や若旦那に色目を使われ、奥様からはいじめられている。評判の悪い高利貸しから妾にならないかとの申し出があったが・・
純次:星野清逸の弟。実家に住み千歳川で水産業に従事。優秀な兄に嫉妬している。
新井田:実業家。新事業で金を稼ぐべく、渡瀬を利用しようとしている。
新井田の奥さん:渡瀬を誘惑している・・・ように渡瀬には見える。
園の父親:浄土宗の僧侶。急死する。
注1:札幌農学校:北海道大学の前身。クラーク博士がアメリカから来日して創設、1期生に圧倒的な影響を与えた。多くの俊秀を輩出した。新渡戸稲造(南部藩=佐幕)、内村鑑三(高崎藩=譜代)は、同級。(彼らはクラーク帰米後の2期生。)
注2:白官舎:「「白く塗られたる墓」という言葉が聖書にある。」と本文にある。「白く塗られたる墓」とは、マタイ伝23-27にある言葉で、パリサイ人の墓は外見は白く美しいが中にあるのは汚いものだ、として、パリサイ人が外見ばかりつくろい中身が偽善と不法ばかりであることを批判する言葉。ここではエリート養成の学校に学び表面は立派な学生のふうをしていながら、中身がなく、ことに道徳的には堕落した偽善者だ、と学生たちを(ひいては大日本帝国そのものを?)批判しているのだろう。
注3:夜学校:新渡戸稲造の妻、メアリー・エルキントン(クエーカー教徒)の遺産継承から開かれた札幌遠友夜学校がモデルか。有島武郎はメアリーにかわいがられた。
注4:薄野遊郭:札幌は開拓使・屯田兵など男だらけの町だった。そこに遊郭ができた。それが今のススキノの歓楽街の淵源である。
参考
波多野秋子:有島武郎が心中死した相手。Weblio辞書によれば、1894~1923。享年28。父は実業家・林謙吉郎。庶子と言う。実践女学校に学び、その後実業家の波多野春房(1881~1960か←藤本直樹氏による)(ハサン波多野烏峰=イスラム教徒、大アジア主義者と同一人物かと言われる。注5)と同棲、1913年に結婚。年齢差は13才か。春房は前妻を離婚して秋子と結婚した。秋子は女子学院、青山学院(英文科)に学び、『婦人公論』編集者となる。美人記者で有名だった。有島武郎(16歳差)と出会い1923年6月に軽井沢で心中死。
二人の不倫(当時は「姦通」と言った。刑法に姦通罪があった。)に対し春房は「俺も商人。タダで商品は進呈できない」として金銭一万円(今なら一千万円)を要求した、払わなければ刑法に訴える、家族にも言いふらし金を取ってやる、と脅したと言われる。(雑誌『ノジュール』2020年2月、「河合敦の日本史のウラ話 第5回」による。この話は里見弴が小説『安城家の兄弟』に書いている。)二人の心中死は関東大震災(9月)の2ヶ月ほど前だった。
各種の解説によれば(真偽の程は知らない)、有島武郎はもともと極めて品行方正で道徳的な人物だったが、(妻安子の死後子どもが3人あったが、)女性にもてる人で、各所の女性とも関係を持ったという。本当だろうか。波多野春房も最初の妻・安子(有島の妻とは別人。ファーティマ日置安子。イスラム教徒。)によれば、春房(アメリカ帰りで英語がよくできた)のところに勉強に行っている時期に関係をつけられた、後で聞けば彼は有名な色魔だった、という。(文化研究会編『厳正批判有島武郎の死』文化パンフレット二十三号、文化研究会出版局。他の資料からの孫引き。)また秋子が亡くなると春房はすぐ別の女性(新橋の芸者)と結婚している。本当だろうか。私は知らない。本当だとすれば、春房はここに見るだけで都合正妻が三人、ほかに多くの女性に手を出したことになる。春房は「寝取られ夫」だが、女性に値段を付け有島を脅し上げ二人を心中に追い込み、自分はすぐ再婚(再々婚)するとは、どのような人物だったのだろうか。このような男の妻として過ごし、やがて死んでいく秋子の心の中はどのようなものだったろうか。このような男たちが作り上げた大日本帝国(およびその実業界)とは一体何なのであろうか。有島は血迷ったとは言え根本は生真面目で道徳的な人間であり、あこぎな波多野春房とは全く違う人間だ。私は有島贔屓(びいき)なのでそう思う。秋子は若くして春房の妻にされ学費も出して貰えたが結局幸せではなかったのではなかろうか。人間を幸せにできない大日本帝国とは一体何だったのだろうな、とやはり思う。
注5:橋本順光「1920年代を中心とした在日外国人をめぐるネットワークの点描 : バラカトゥラー、グルチャラン・シン、イネ・ブリンクリー、ポール・ジャクレーとその資料紹介」(大阪大学大学院人文学研究科紀要. 2024, 1, p. 51-75)に言及がある。
19世紀都市小説
ドストエフスキー『罪と罰』:ロシア皇帝の聖なる都ペテルブルクの最底辺に暮らす貧しい酔いどれのマルメラードフ、娼婦ソーニャ。迷走する元学生ラスコーリニコフ。
森鴎外『舞姫』:ベルリン。日の出の勢いのドイツ帝国の華やかな首都ベルリンの裏町に貧しい少女エリスは住んでいる。
バルザック『ゴリヲ爺さん』:ゴリオ爺さん(父さん)は貧しい裏町に住みせっせと娘に金を貢ぐ。娘たちは社交界で華やかに活躍している。
ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』:ロンドン。オリヴァーは貧しく都会の下町で窃盗団に入る。だが・・
アメリカでは、フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』が1920年代のNYの光と影を描く。
日本では、漱石『三四郎』が1908年の日露戦争後の東京を描く。実は絶望して鉄道自殺する人の姿が描きこまれている。三四郎は帝大生でそのことに気付かないのだが・・