James Setouchi

2024.10.3

 

 レマルク『凱旋門』 (ドイツ文学)

 

1 作者:エリヒ・マリア・レマルク(1898~1970) Erich Maria Remarque

 レマルクはドイツ西部のオスナブリュック出身。父親はフランス系製本屋。中学の時学徒出陣で第1次大戦に出征。戦後学生、小学校教師、会社員、ジャーナリストを経て、1929年『西部戦線異状なし』を発表、有名になる。アメリカで映画化された。1939年の『帰り行く道』も戦後の社会的荒廃を糾弾した作品。ナチス政権下禁書リストに入れられ独国籍も剥奪される。スイスを経てアメリカに亡命、アメリカ市民権取得。1946年『凱旋門』も大きな反響を得た。他に『愛するときと死するとき』『黒いオベリスク』『リスボンの夜』など。多くが映画化された。(集英社世界文学全集の解説および新潮文庫『西部戦線異状なし』巻末の秦豊吉の解説を参考にした。)

 

2 『凱旋門(がいせんもん)』(1946年出版)“Arc De Triomphe”( 河出世界文学体系93、山西英一訳)

 戦後すぐ出版。当時レマルクはアメリカに亡命していた。原作はドイツ語か?(1947年の井上勇訳は英訳およびフランス訳からの訳1955年の山西英一訳はドイツ語からの訳、とwikiにある。)舞台はパリ。末尾近くラヴィックはドイツ語で、ジョアンはイタリア語で話す。それまではフランス語で話していたということになる。

 第2次大戦前夜の1938~39年頃のパリが舞台。主人公ラヴィックはドイツのナチス政権から亡命してきた。避難民の集まるホテル。パリの町で女優志望のジョアンと出会う。

 

(登場人物)(ややネタバレ)

ラヴィック:ドイツ出身。ナチス政権に拷問され、恋人シビールを殺された。パリに亡命しオテル・アンテルナショナールで避難民生活を送る。婦人科医だが外科手術に有能で、フランス人医師の仕事を秘密裏に代行する、言わばドクターXのような仕事をしている。娼婦の性病検査や中絶の仕事が多い。ある夜女優志望のジョアンを救ったことから・・

シビール:ラヴィックのかつての恋人。ナチスのハーケに拷問され自死に追い込まれた。

ハーケ:かつてドイツでラヴィックを拷問し恋人シビールを殺した男。

ジョアン・マヅー:女優志望の若い女。恋人を失い絶望してパリの町を彷徨うところをラヴィックに救われ恋に落ちる。父はイタリア系、母はルーマニア系。ナイトクラブ「シェーラザード」で歌うことに。

ヴェーベル博士:パリの医師。ラヴィックの味方。

ウーゼニー:看護師。(女)

デュラン:パリの医師。富裕な病院長。上流階級と交際。ラヴィックを闇で使い搾取する。

ルヴァル長官:避難民を追放する役職にある高級官僚。ラヴィックが極秘で手術をした患者。

ローランド:娼家オシリスの女中頭。ラヴィックはオシリスの娼婦たちの性病の定期検診を行っている。

ケート・ヘグシュトレーム:豊かなアメリカ人。上流社交界の女性。ラヴィックの患者でもある。ラヴィックと親しい。

リュシエンヌ:中絶をした女性。つまらぬ男ボボに貢いでいる。

マダム・ブーシェ:中絶を専門にするあやしい女。腕が下手で大勢失敗している。

ジャンノー少年:交通事故で大けがをした貧しい少年。ラヴィックが手術をし足を切断。保険金が下りるか気にしている。

 

(以下、オテル・アンテルナショナールの住人たち)

ボリス・モロソフ:ラヴィックの友人で理解者。ロシア出身の避難民。ナイトクラブ「シェーラザード」の門番をしている。

ゴールドベルグ夫妻:避難民の夫婦。夫はアメリカへの亡命を望んでいるが・・

ヴィーゼンホフ:避難民。ゴールドベルグ夫人と密通している。

ザイデンバウム博士:避難民。言語学・哲学博士。運命論者。独仏開戦前夜アメリカに亡命。

ローゼンフェルト:避難民。海外亡命はできず国内残留。

 

(コメント)(ネタバレします)

 2次大戦前夜のパリが舞台。カフェやビストロ(小レストラン)、ナイトクラブや娼家があり、カルヴァドス(リンゴ味のブランデー)やウオッカを飲む。頽廃と享楽の雰囲気が残っている。凱旋門が見える。

 

 避難民が集うオテル・アンテルナショナールの地下食堂を彼らは「カタコウム」と呼ぶ。ローマ時代に弾圧されたキリスト教徒たちが地下の墓地を集会所にした、それがカタコウムだ。隣国ドイツはミュンヘン協定を破り盛んに周辺に軍事進出する。そこから逃れた避難民たちだが、フランス当局からも取り締まりを受ける。彼らが非合法に身を寄せるのがこのオテル・アンテルナショナールの「カタコウム」なのだ。そこだけは辛うじて息をすることのできる秘密の場所。そこには過去の怪しい多様な人びとがいる。富裕な人、貧しい人、学者、庶民、ユダヤ人、ロシア人、スペインのフランコ派、共和派など。ヨーロパの縮図だ。

 

 ラヴィックは外科手術の腕がいい。闇医者が扱うのは、娼婦の中絶など。手術で救命しても、また男に騙され捨てられ落ちぶれていくのが明白だ。また上流社交界の女も不治の病に犯されていて、インオペするしかなかった。無力感を抱きつつ、それでも医師としての腕を振るう。生と死について考えざるを得ない。

 

 ジョアンとの恋愛は進展しない。ジョアンはラヴィックを求め、ラヴィックもジョアンを求めるが、ラヴィックの側がわけありなので、ジョアンを受け入れることができない。二人は会えば喧嘩ばかりしている。やがてジョアンはつまらぬ男に撃たれた傷がもとで死ぬ。

 

 偶然、仇敵ハーケと遭遇。モロソフの協力の下ラヴィックは復讐を果たす。ラヴィックは積年の苦しみから解放された。

 

 が、ドイツの拡大は止まず、亡命できる人はアメリカなど国外へ。親しかったケート・ヘグシュトレームもアメリカへ帰国する。パリの短い享楽的な時代は終わりを告げる。

 

 フランスはついにドイツに宣戦布告。亡命できなかった残留避難民たちは、フランス政府の手により収容所へ。(その後については書いていないが「月報」の岩淵達治によれば見通しは絶望的だ。)灯火管制のもと、すでに凱旋門は見えない。

 

 ラスト80ページはぐいぐい展開する。そこまではだらだらと長いとする感想もあったが、ラストのための必要な伏線であるだけでなく、大戦前夜のパリを描くために必要なページだったのだろう。貧富の差がある。貧しい娼婦たちは男に騙され身を落としていく。彼女らの悲劇はジョアンの悲劇とパラレルだ。ジョアンとラヴィックは喧嘩ばかりしたが本当は求め合っていた。それでも悲劇的結末に陥る。富裕層上流社会に食い込む医師もある。実際の手術の腕はないのに、ラヴィックの腕を闇で使っている。欺瞞の世界だ。上流社交界のケートの参加するルイ14世時代風の仮装パーティーは雨に降られて終わる。華やかな虚飾の時代の終焉を象徴するかのようだ。ルーブルの作品は疎開。共産党のデモを警官が追い散らす。ドイツの周辺国への侵攻の報道が随所に入る。騎兵や艦隊の姿を見る。まさに第2次大戦前夜

 

 このころ日本はどうであったか。

 既に国際連盟からは脱退し、1937(昭和12)年盧溝橋事件、南京事件。日中戦争の泥沼がエスカレートしていく。

 イタリアも1937年に国際連盟を脱退。

 日独伊三国防共協定は1936年。三国軍事同盟は1940年。

 その悲劇的結末は誰でも知る所だ。フランス・イギリスは戦勝国だが事実は言わば辛勝で、フランスは占領され、ロンドンは空襲で破壊された。国民生活は圧迫された。ソ連も独ソ戦が悲惨だった。中国ももちろん。ドイツ、イタリア、日本はもちろん・・・

 

 「近代兵器を使った戦争に勝者なし」と第1次大戦で学習したはずなのに、第2次大戦をやってしまった。そしてもっと悲惨なことになった。

 

 では、今の日本はどうか。「大戦前夜」ということはないか? 恐ろしい感じがする。

 

 本作は映画化された。出演シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマン他。

                                (未見)

 

 

 老子は言った、「そもそも武器は不吉な道具だ。・・戦勝しても立派だとは讃えない。立派だと讃える者は人殺しを楽しむ者だ。人殺しを楽しむ者は、志を天下に果たすことはできない。・・戦って勝ったとしても、喪礼の気持ちでおらねばならない。」                        (『老子』第31章) 

  

                                R6.10.3

 

*ドイツの作家・詩人と言えば、ゲーテ、シラー、グリム、リルケ、トマス=マン、ヘッセ、カロッサ、ツヴァイク、カフカ、レマルク、ブレヒト、エンデらがいる。最近では多和田葉子がドイツ語で小説を書いている。ドイツでは哲学者・社会科学者が有名。(カント、へ―ゲル、ショーペンハウエル、マルクス、ニーチェ、コーヘン、ヴィンデルバント、マックス=ウェーバー、ハイデッガー、ヤスパース、ハーバーマス、ルーマンなどなど。)心理学のフロイトもユングもアドラーもドイツ語圏の人。音楽家は多数いる。森鴎外、北杜夫、柴田翔らはドイツ文学に学んだ。

 

*フランス文学では、ラブレー、モンテーニュ、モリエール、ユゴー、スタンダール、バルザック、フローベール、ゾラ、ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ、カミュ、サルトル、マルロー、テグジュペリ、ベケット、イヨネスコ、プルースト、ジッド、サガンなどなど多くの作家・詩人がいる。中江兆民、永井荷風、萩原朔太郎、堀口大学、島崎藤村、与謝野晶子、高村光太郎、小林秀雄、横光利一、岡本かの子・太郎、遠藤周作、渡辺一夫、加藤周一、大江健三郎、内田樹らもフランスの文学・思想に学び多くを得た。 

 

 

 イスラエルがレバノン(ヒズボラ)に侵攻し、イランがイスラエルにミサイルを撃った。イスラエルはイランに報復すると言っている。これまでイスラエルはガザ(ハマス)にも侵攻し、大破壊・虐殺を行ってきた。アメリカは困っている。

 喜ぶのはロシアや中国では?

 

 昔、鳥が貝をついばもうとした。貝は鳥のくちばしを捉えて放さなかった。お互いに負けるまいとして、放さなかった。このままでは両者とも死んでしまうと分かっていたが、放さなかった。・・・そこへ漁師のおじさんが通りかかり、「しめしめ」と喜んで貝と鳥との両方を手に入れてしまった。これを「漁夫の利(漁父の利)」と言う。

 隣国の燕と趙とが抗争を繰り広げ消耗しているうちに、強大となった秦が両国を征服してしまう。まさに「漁夫の利」だ。

 そうならないために、燕と趙とは、南北同盟を結んではどうですか? と国際外交官の蘇秦(蘇代かも)が言った。こうして秦を封じ込める南北六カ国同盟が成立し、20年間の平和が訪れた。『戦国策』などに載っている有名な話だ。中学生でも知っている。                        R6.10.4付記