James Setouchi 2024.9.22

法・政治学 

   樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』集英社新書2016年

 

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樋口陽一(1934~)憲法学者。東大・東北大名誉教授。法学博士。パリ大名誉博士。国際憲法学会名誉会長。『近代国民国家の憲法構造』など。

小林節(1949~)慶応大学名誉教授。弁護士。法学博士。モンゴル・オトゥゴンテンゲル大学名誉博士。『「憲法」改正と改悪』など。

                     (本書の著者紹介から)

 

2        樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』集英社新書2016年

 

 二人の憲法学者の対談。樋口陽一氏は護憲派。小林節氏は改憲派で自民党の勉強会などにも呼ばれてきた人物だが、今(当時は安倍政権)の政権のもとでは憲法改正はしてはならない、とする。この本は2016年に出た。当時安倍政権が「集団的自衛権」容認の解釈改憲と「安保法制」を強引に決めた直後で、多くの憲法学者はこの政権の動きに反対していた。対談なのでわかりやすく書いてある。勉強になるのでお薦めである。

 

 いくつか印象に残ったところを記してみよう。

 

・安倍政権は、憲法九条を無視した安保法制を立法した。また野党からの臨時国会開会の請求を無視した。これは憲法53条違反だ。異常な政治状況だ。(18頁)日本の与党の国会議員の多くは、「そもそも、憲法とはなにか」という基本的な認識が欠如している。(19頁)国民が、権力に対して、その力を縛るものが、憲法だ。(22頁)憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るためのものでなければならない。自民党の憲法観はずれている。(25頁)

 

・2009年の衆議院選挙で、勉強熱心なたたき上げの議員が多く落選した。政策知性が伴わなくとも選挙に勝てる世襲議員のような連中が生き残った。自民党議員の平均レベルが大幅に劣化した。(29頁)

 

2015年夏の安保法制安保法制成立までに三つの憲法違反があった。(1)憲法九条を無視する解釈改憲。(2)憲法改正の手続きを飛ばした、96条違反。(3)国会議員の憲法尊重擁護義務(99条)にも違反。(35頁)

 

・麻生太郎財務省は2013年に「ナチスの手口に学んだらどうかね」と言った。(42頁)

 

・多数派が何でもできる(絶対民主主義)は、非常に危ない。(44頁)

 

・自民党の憲法改正草案(2次)(2012年)は、明治憲法どころか「慶安の御触書」に近い。憲法なき江戸時代への回帰だ。(51頁)

 

・明治憲法の欠陥が全体主義と戦争を呼び込んだ。(53頁)他方、明治の先人が「立憲政治」を目指し、対象の先輩が「憲政の常道」を求めた歴史がある。単純に敗戦で憲法を「押しつけられた」わけではない。(55頁)→(JS)私も言おう、戦後憲法はアメリカの押しつけとのみ言うのは誤り。大正デモクラシーの流れを汲む憲法研究会(松本烝治の調査会ではない、民間の団体)の草案をGHQが受け取り参考にしたのだ。このことはすでに知られている。中学社会や高校の政経できっちりと教えてほしい。

 

日本国憲法で大事なのは13条、全ての国民が「個人」として尊重される、これが要だ。だが、自民党草案では「個人」という言葉を丁寧に消し、共同体から自由な「個人」を捨てた。自民党草案は「天賦人権説」を否定している。(67~71頁)だが、「天」の思想は西欧固有ではなく、古来から中国にもあるし、日本にも随分昔からある。楠木正成は「理非法権天」と旗に記した。天賦人権説は西欧だけの価値ではなく「普遍的」な価値だ。(75~76頁)→(JS孟子は誰にでも「良知・良能」が備わっていると言う。陽明学では「心即理」と言う。また佐藤一斎は「心即ち天なり」と言った。仏教でも、一人一人が輪廻転生しながら修行して悟りに至る。道元は『正法眼蔵』で「仏道をならうのは、自己を習うのだ」とまず言明する。個々の人間(個人)が本来天や仏と直結し尊厳である、という思想は、(中国にも)日本古来にもある。むしろ国家優先思想こそ西洋近代から輸入したものだ。近代国民国家の思想は(当たり前だが)西洋近代との接触以前には、なかった。

 

国民はもともと人権を持っている。それを尊重・擁護する義務は国側にある。国民に義務を押しつけようとする論理は成立しない。(81~83頁)スイス憲法は小さいサイズの州の連邦になっていて例外的なもの。日本の参考にはならない。(93頁)自民党案は「権利よりも義務」「秩序を保つ」という方向に持って行こうとしている。→(JS)やや脱線するが、国民に義務を果たせと言うなら、年収1億円以上の富裕層、5億円以上の超富裕層や再武装を主張する国会議員の方々は、真面目で穏やかな国民のお蔭で生活できているのだから、所得税をもっと高い税率(1970年代のように75%)で納め、また再武装にあたってあなたの家にミサイル基地を置くなどの「義務」を果たせばいいのでは? 裏金や脱税・節税などはいかがなものか。自分のことは棚に上げて他の人にばかり「義務」を押しつけようとしているのでは? と考えてしまった。

 

「緊急事態条項」は非常に問題だ。(107頁)憲法に書き込むべきでない。(110頁)今の自民党の改正草案そのままの緊急事態条項を与えたら、独裁制度に移行する道を敷くのと同じことになる。(118頁)ドイツのワイマール憲法の大統領緊急令の乱発が、ナチスの躍進をもたらした。(122頁)北朝鮮や中国が怖いと言うが、危機を煽っているのは政権だ。(126頁)

 

・自民党草案はフランスのヴィシー政権(ナチス従属政権)を連想させる。祖国愛や民族主義を煽って偏狭なファシズムを支えた。(132~134頁)法と道徳を混同してはならない。(139頁)教育勅語は国務大臣の署名がない。これは道徳規範だからだ。だがこれが神格化されてしまった。日本会議系の人々の思想だろう。(142~147頁)→(JS)統一教会も家族道徳を言いたがるようだが・・・?

 

・他方自民党草案は新自由主義の経済活動を推進しようとする。それは「和」「家族」「美しい国土」「良き伝統」などを壊すことになる。矛盾している。(148~156頁)

 

安倍首相の煽った脅威は、実際は個別的自衛権で対応可能なものがほとんどだった。(170頁)

 

・1985年、西ドイツのワイツゼッカー大統領は、戦争の「罪」ではなく「責任」を引き継ぐ、と演説した。2015年の安倍談話では未来世代に責任はないと言った。全く違う演説だ。ドイツは外交力を身につけたが日本は近隣諸国との緊張を深めている。日本では、主権者たる国民が9条を廃棄させずに守ってきた。それで世界で信頼を受ける日本という地位をかろうじて築いてきた。(173~177頁)→(JS)9条を守ってきたから世界から信頼されてきた、というのは同感。

 

・国民投票によって国防軍を憲法で承認するなら、徴兵制になるべきはずだ。名前が変わるだけではない。改憲論者はそこまで考えているのか。(177~181頁)

 

軍隊を持ちさえすれば対米従属から逃れられるわけではない。アメリカの二軍になるだけだ。ベトナム、アフガニスタン、イラクなど、アメリカが始めた戦争でまともに終わった戦争はない。敵を増やし人を殺しテロによる報復を恐れ軍事費がかさんだ挙句、国家が破産寸前になる。この路線は取れない。(183~186頁)

 

9条があったからこそ日本は海外で戦争をせずにすんだ。ベトナム戦争時韓国軍は戦争に巻き込まれた。(186~187頁)

 

・安倍氏の「戦後レジームからの脱却」はドイツのカール・シュミットを連想させる。ナチスによるワイマール憲法の破壊を正当化した。(208~209頁)

 

主権国家・大日本帝国の決断として、民主主義的傾向の復活強化、人権の補強と軍国主義の除去を終戦の条件としてポツダム宣言受諾で受け入れたのだ。(215頁)日本国憲法は実際に国民の幸福追求の役に立ってきた。(215頁)朝鮮戦争などでも憲法の規定のお蔭で兵隊を出さずにすんだ。(216頁)

 

・安保法案という名の戦争法案が成立してからというもの、政府が憲法を反故にするという異常な事態に突入している。まさに憲法停止状態だ。権力者が専制的に国民を支配する前兆だ。(222頁)

 

・国民は「知る義務」がある。沖縄返還の密約について知り、権力者のあり方をチェックし判断する材料にすべきだったのに、多くの人はスキャンダルに目が行ってしまった。(227頁)

 

・国家の政治に過失があれば積極的に警鐘を鳴らして是正させてこそ、真の愛国者だ。(231頁)

 

・戦争が起こればみんな平等に死ぬ、のではない。戦時中でも商売で儲けた人がいた。他方権力に逆らって懲罰徴兵で激戦の南方に飛ばされた人もいた。戦争で味わう苦しみに、人々の間の平等などなかった。(236頁)

 

「保守」という言葉には、(1)人類社会が普遍を求める歴史の中で積み重ねてきた知の遺産を前に謙虚、(2)他者との関係で自らを律する品性、(3)時間の経過と経験による成熟という価値を知るものの落ち着き、を託したい。(249頁)

 

 

付言

 念のために言っておくが、私は支持政党なし、いわゆる無党派層の一人だ。戦後自民党や社会党をはじめ大勢おられた優れた政治家の方々に対しては敬意を抱いている。だが、今はすいぶん変わってしまったようだ。

  後藤田正晴先生は、1987年にイラン・イラク戦争で中曽根首相がペルシア湾に対して海上保安庁の武装した巡視艇か海上自衛隊の掃海艇の派遣を言い出したとき、「これは戦争になりますよ」「日本の掃海艇が入っていってどっちかの国の機雷を除去したら敵対行動になって、戦争にまきこまれる」「戦闘が行われてる地域に自衛隊を出すことはまかりならん」と厳しく言った。2003年のイラク特措法(小泉内閣)のときは、「陸上自衛隊のサマワ派遣はいかん。絶対にいかん。・・」とカミナリを落とした。「学徒出陣の学友の三分の一は還ってこなかった」が口癖だった。(佐高信『反-憲法改正論』150~153頁など)

 かつての自民党にはこういう方がおられた。だが今の自民党は・・・!?

 

 自民党総裁選のさなかだ。(今日はR6.9.23。)あくまで私見ですが・・・ 

 TV討論会なども視聴する。候補者はみな良さそうなことばかり言うが、そもそも実行するつもりがないのでいくらでも言えるのではないか、今までもウソばかりだったではないか、と半ば以上幻滅している。

 

 

 中でも誠実な印象があるのは、国民に人気があると言われる石破候補。石破候補は「日本を守る」「国民を守る」・・と言われ、「国民を守る」が第一でなかったのが惜しかった。が、色々な場面で言われていることは的確で、合っていると感じた。(だが、やはり私が騙されているのだろうか? アメリカの軍産複合体にミスリードされているのだろうか?)

 「日本を守る」については、「ウクライナはNATOに入っていなかったから攻められた」と言われたが、「NATOに入ろうとした(緩衝地帯でなくなろうとした)から攻められた」という見方もあるので、どうなのか? と思った(小泉悠佐藤優を参照)。同じことが尖閣や台湾でも言えるかも?

 

 

 小泉候補は若くて男前でさらに人気があるようだが、あの見事な言いっきりぶりに騙されてはいけない。(親父殿もそうだった。私も一時親父殿をいいと思ったが、騙されていたことに気付いた。)物事は短時日で断定できないことの方が多いのだ。難しい問題はああでもないこうでもないとして据え置きにするのが妥当ということもあるのだ。

 すぐに国会を解散して信を問う、と言っておられたが、多党化した野党が選挙協力の準備が整わないうちに「みそぎ選挙」をして、裏金議員や統一教会議員を当選させ、「国民の了承を得た」形にしようとしているのではないか? 怪しい。

 夫婦の選択的別姓については、はじめから「選択的」と言っているのであって、「必ず別姓」というわけではないので、構わないと思う。こんな形の戸籍があるのは日本だけ? 他の国は?

 

 

 高市候補は、上の本で小林名誉教授に批判されている、まさにその人だ。旧安倍派で、今も統一教会との関係が取り沙汰されている。

 統一教会? 韓国にお金を貢ぐ団体ではないか? 麻生セメントは高市氏と組んで日韓トンネルを掘るつもりなのだろうか? 日韓トンネルなど掘った日には、北朝鮮の装甲車と戦車が天安門を突破してあっという間に福岡まで攻め込んでくるのでは? くわばらくわばら。言っておくが民間レベルで韓国の人と日本の人が仲良くすることは大変結構なことだ。私もドラマ『花郎』(読めますか?「ファラン」と読みます。「新羅花郎」で調べてみてください)などを喜んで見た。対して新大久保でヘイトスピーチをした人たちは猛省をすべきだ。また、信教の自由は当然あってしかるべきだ。だが、真面目で善良で純粋な末端の信者をロボット(集金マシーンや集票マシーン)にしてしまうのはよくない。山上家の悲劇を再び思い出すべきだ。

 覚えておいてほしいのだが、靖国を公人として参拝するのも完全におかしい。政教分離に反している。(自由時間に私人として参拝するのは、信教の自由があるので可。)靖国はそもそも国民を兵隊にして死なせるための組織で、近代になってできたものだ。日本古来の伝統ではない。それが分からない人は勉強不足だ。そもそも、御所に大砲を撃ち込んだ久坂玄瑞をまつってあるとは? 

 そもそも高市候補は自分がまず一兵卒になって前線で背嚢を背負って塹壕の中で血まみれ・泥まみれになって飢餓や疫病に苦しみながら苦労する覚悟がおありか? 女は行かずにすむと思ったら大間違いだ。いや今の戦争は、主戦派の人の家をピンポイントで狙ってミサイルや爆撃ドローンが飛んでくるのですぞ。軽々しく憲法改正を言わないでほしい。

 決選投票に上がったら、麻生派が大挙して高市候補を応援するのだろうか。岸田さんが派閥解散をしたのに、結局麻生派と安倍派が残存することになるのか。

 高市候補の応援団には杉田水脈という差別主義者もいる。「同性愛者は生産性がない」の差別発言で有名だ。口だけで謝罪しても、根本の発想が怪しい。生産性? 子を生まない女性も生産性がない、ということになる。「人口→生産力・労働力・経済力」といった発想しかない。人権の発想がない。(自民党改憲草案も基本的人権が弱いとされる。)中国古代の愚かな王(人口=家畜の数、くらいに考えていた。人口が増えれば兵力と生産力が増える、と。)と同じ発想だ。大間違いだ。女性の皆さん、いや、男性も含めた日本国民の皆さん、そんなのを許すのですか?

 都知事選で石丸フィーバーを起こした藤川某が高市陣営について宣伝に努めることになった、と記事で読んだ。そのせいか画面の目立つところに高市候補の顔が出てくるようになった気がする。こういうのを世論操作と言う。世論操作に騙されてはいけないのであって、その候補が何をしようとしているかをしっかり見ないといけない。ローマは、市民が愚民化した挙げ句に滅んだ。ああ、「憲法改正」論議のときにも、必ず世論操作がなされるだろう。そして人々は踊らされるだろう。西部邁(すすむ)はこういう大衆の状況を「JAP.COM」と言って嘆いて自死した。

 

 

 河野候補は、(父上は偉かったが、と言うとお怒りになるかも知れないが、)河野候補は(背後に安倍・菅氏がいたから言わされていたのかも知れないが)マスコミの質問に対し答えず「次の質問」「次の質問」「次の質問」とやったあの映像が忘れられない。対話を拒否する姿勢であり、言論を封殺する姿勢だ。

 五・一五事件の時犬養首相は「話せばわかる」と言ったのに、押し入った山岸宏(海軍中尉)は「問答無用、撃て」と仲間に射殺させた。軍部はこうして言論を封殺した。(あのころは原敬刺殺、張作霖爆殺、浜口雄幸銃撃、血盟団事件、二・二六事件などテロが続発した。)河野候補の姿勢は「問答無用」の姿勢においてそれと同じことなので、信頼できない。(他の人も同じなのか?)(それとも安倍さんなきあと、心と態度を入れ替えて、話し合いの姿勢になったのか?)

 原発事故の直後に原発反対の本を書いておられた(私は買って読んだ)が、その主張はどこへ? 

 彼が担当するデジタル化も、だから信用できない。あの怪しい竹中氏とどれだけ絡んでいるのか知らないが、国民に数字を付けて家畜や奴隷のように監視する手段にしようとしているのではないか? と疑ってしまう。(天皇陛下もマイナンバーカードをお持ちなのだろうか? とチラと思ってしまった。)

  父上は(比べてはいけないが)自民党を良くしようとし、新自由クラブを作り、また自民党に戻られた方だ。尊敬できる方と承っている。そのご子息で同じような考え方のはずだから信頼できるにちがいない、と最初は(私はよく知らないながら)思っていたのですよ。

 

 明治天皇は言われた、「広く会議を興し万機公論に決すべし」と。(五箇条の御誓文の一)

 

 林候補は、よく存じあげないが、官房長官をされているので全般の実務がおわかりだろう、宮澤蔵相の時政務次官だった(99年~)のでその薫陶を受けているはず、何と言っても「仁の政治」を謳っておられる。これはいい。実は林候補が一番いいのかもしれない。岸田さんの「新しい資本主義」も、競争して勝てばいい、のではない理念だった(はず)。岸田さんがやろうとしてできなかったことをやって頂けるならよい。規制緩和ではなく規制改革を言っておられる。何でも自由競争にして外資にむしられて最後は荒れたまま放り出される(人間も土地も)というのはたまらない。人間を大切にするために必要な規制はある。「赤信号は止まれ」などはわかりやすい例だ。食品の安全、労働者(管理職も含めて)つまり働く人の健康と安全、環境(自然を含む)の保全など、規制の必要なものはある。期待してもいいですか?

 

 

 他の候補についても一言ずつあるべきだが、割愛する。申し訳ない。

  

 

 多くの人が経済成長・経済大国を口にしたが、生活大国を言ってほしかった。女性も高齢者も働け、と言うが、働くとは一体何か? 

 家事や地域の仕事は無償で(タダで)専業主婦や高齢者が担ってきた。

 詩人や音楽家の創作やスポーツ選手の練習は「働いている」と言えるのか? 政治家の辻説法や討論会(や密談や裏取引!)にかける時間は? お坊さんが葬儀や法事をタダで行ったらGDPは増えない。暴利をふっかけて1億円の巨大葬儀をすればGDPに貢献する。医師が初診に時間をかけ問診、触診、聴診、・・と丁寧にやったら報酬は少ない。一人10分で雑な初診をして回転数を多くすれば報酬が上がる。これは一体どういうことか? それでもあなたはGDPや経済成長にばかりこだわるのか? 

 ソクラテスは広場で若者と値打ちのある議論(2500年も読み継がれる)をしたが、妻のクサンチッペはその価値を理解せず「ちゃんと靴屋の仕事をしなさい」と罵った。プラトンアリストテレスの考えでは、いったん物事から離れて静かに物事を見つめて初めて深い真理が見える。観想的生活の中でテオリアが行われる。

 目の前の金儲けで金を稼ぎ出すだけが人間のやることではない。 

 

 

 

 どの候補か忘れたが、「ノイジーマイノリティーではなく」(正確ではない)、という言い方をしていて、非常に残念だった。「サイレントマジョリティーの言うことなら聞くがノイジーマイノリティの言うことは聞かない」ということは、「それはおかしい」「もうだめだ、助けてくれ」と必死の思いで声を上げる人は「ノイジーマイノリティ」でしかない、お前らは黙ってオレたちに従っておれ、(ひいては、黙って死んでいけ、)ということになる。上に書いた「対話を拒否する」姿勢であって、実に残念だ。安倍さんがまじめにやって真に国家を憂えている国民に対して「あんな人たち」と言ったのと同じ姿勢だ。そういう姿勢の国会議員や候補者がいるのは残念だ。「自由」で「民主」的で多様な意見が存在し言論・対話に開かれていたはずのかつての「自由民主」党はどこへ行ったのか。いつから専制的で独裁的で偏狭な集団に成り下がったのか。

 

 

更に付記

 鶴彬(つるあきら)という人の川柳を最近知った。(佐高信の本からの孫引き)

 

万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た

手と足をもいだ丸太にしてかへし

 

 マルタ、とは「731部隊」の話にも出てくる用語だ・・・

 

 くわばらくわばら。

 

 

 

 

(政治学、法学)

丸山真男『日本の思想』、石田雄『平和の政治学』、加藤節『南原繁』、高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』、橋場弦『民主主義の源流 古代アテネの実験』『古代ギリシアの民主政』『賄賂と民主政』、湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』、イェーリング『権利のための闘争』、樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』佐高信『反-憲法改正論』、木村草太『憲法の創造力』、太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』、青井未帆『憲法を守るのは誰か』、加藤晋介・監修『今さら他人には聞けない日本国憲法』、『マガジン9条』編集部『みんなの9条』、伊藤真『憲法の力』、松元雅和『平和主義とは何か』、高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』、伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』柳澤協二『自衛隊の転機』林信吾『反戦軍事学』、岩下明裕『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』、石破茂『国防』、兵頭二十八『東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる』、中島武志・西部邁『パール判決を問い直す』、田中森一『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』、長嶺超輝『裁判官の爆笑お言葉集』、読売新聞社会部編『ドキュメント検察官―揺れ動く「正義」』、原田國男『裁判の非情と人情』、秋山健三『裁判官はなぜ誤るのか』、志賀櫻『タックス・ヘイブン』『タックス・イーター』、富岡常雄『税金を払わない巨大企業』、斎藤貴男『消費税のカラクリ』、水木楊『東大法学部』、大下英治『小説東大法学部』(小説)、大岡昇平『事件』(小説)、川人博『東大は誰のために』、川人博(監修)『こんなふうに生きているー東大生が出会った人々』、三浦瑠璃『「トランプ時代」の新世界秩序』、池上彰『世界を動かす巨人たち<政治家編>』『世界を動かす巨人たち<経済人編>』、堤未果『政府はもう嘘をつけない』『日本が売られる』、山田正彦『売り渡される食の安全』、植草一秀『25%の人が政治を私物化する国』東京新聞社会部編『兵器を買わされる日本』適菜収『自民党の大罪』などなど。