James Setouchi
2024.9.15
渋沢栄一『論語と算盤』角川文庫
1 渋沢栄一 1840年現埼玉県深谷市生まれ。富農の家に生まれ、当初尊皇攘夷の志を持つが、一橋家に出仕し、幕臣となる。徳川慶喜の弟に随行し遣欧使節の一員としてフランスに渡る。維新後は明治政府に仕えたがまもなく辞し、民間人として多くの事業を手がけた。国立第一銀行、東京商業会議所、東京商科大(現一橋大学)、東京市養育院(慈善事業)、株式取引所、日本郵船、人造肥料会社、理化学研究所、東京海上保険、各種鉄道会社、東洋紡績、煉瓦産業、浅野セメントなどの基礎を築いた。日本の資本主義の基礎を築いた人、と言われる。『論語』の愛読者としても知られる。アメリカの排日問題にも取り組んだ。著書『論語と算盤』『論語講義』『雨夜譚』『青淵回顧録』など。1931(昭和6)年没。2021(令和3)年NHK大河ドラマとなった。福沢諭吉に続き一万円札の肖像になる。(文庫カバーの人物紹介などを参考にした。)
2 『論語と算盤(そろばん)』 忠誠堂昭和2年刊の『論語と算盤』を底本とする。渋沢栄一の民間時代に行った訓話を集めたもの、と加地伸行の「解題」にある。惜しむらくは個々の訓話の語られた年月・状況が書いていない。が、渋沢は繰り返し同じ事を言っているので、これが渋沢の人生観だろうということは大体分かる。(あくまでも編集者の解釈に沿った方向であるが。)編集者による配列は次の通り。:「処世と心情」「立志と学問」「常識と習慣」「仁義と富貴」「理想と迷信」「人格と修養」「算盤と権利」「実業と士道」「教育と情誼」「成敗と運命」
いくつか印象に残った内容を記してみよう。(引用は原文のままでなく大意である。)
・「士魂商才」。渋沢において「士魂」とは『論語』を中心とする儒学だ(23頁)。徳川家康の「神君遺訓」も『論語』と同趣旨だ(24頁)。孔子は商人でも農民でも誰にでも会って教えてくれる方で、孔子の教えは実用的な卑近の教えだ。学者だけの論ずる難しいものではない。(34頁)
・「仁義と富貴」。論語と算盤は一致すべきものである。経済と道徳とを調和せねばならぬ。(137頁)宋の大儒の朱子が貨殖功利をけなした。全ての商業は罪悪だとアリストテレスも言った(143頁)。結果、仁義道徳は仙人じみた人の行うこととされ、利用厚生を行う者は仁義道徳を顧みなくなった。江戸時代も朱子学が行われたので今日の社会に弊害をもたらしている。利用厚生に従事する実業家たちは、利己主義に陥り、仁義も道徳も念頭になく、法の網を潜ってでも金儲けをしたい一方になった。(144頁)。これは誤りであって、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めていくという方針を取り、義理合一の信念を確立するよう努めねばならぬ。富みながら、かつ仁義を行いうる例はたくさんある(145頁)。
・ヨーロッパ戦線について。文明とは何か。今日の世界は、まだ文明が足らない。弱肉強食に対処する一定の主義を考え、一般の国民と共にこれに拠っていきたい。おのれの欲せざる所は人にも施さず、東洋流の道徳を進め、いやましに平和を継続して、各国の幸福を進めていきたい。(163頁)
・わが帝国において患うるのは、文明の治具(国体、制度、陸海軍の力、文物など)を張るために、富実の根本(一般国民の人格と智能、富の力、実業)の根本を減損して顧みない弊である。(176~177頁)
・女子も道具視してはいけない。男子同様重んずべきだ。女子も男子同様、国民としての才能智徳を与え、ともに相助けて事をなさしめたら、五千万の国民中二千五百万ではなく五千万人を活用せしめることになる。(282頁)
少し疑問を記す。
①仁義道徳にかなう利財とはいかなるものか。脱税ではないが節税、株主や雇われ重役が利益を持ち去り一般の従業員や末端の非正規労働者の所得が少ない、などの現状に対し、渋沢は「仁義道徳にかなう」と言うだろうか?
②「逆境はない」「本人の努力不努力が招くのだ」「独立独歩」をしきりに言うが、結果として成功した人の発言だと感じる。当初からハンディを負った人や、中途で挫折して心身に苦しみを負った人への配意が不十分だ。渋沢さんは当時としては珍しく弱者への配慮のあるリーダーだった。が、人権を重んじ、はじめから誰も挫折しない(失敗しても大丈夫な)社会にしておく、という発想は、まだ弱い。ヒロシマやフクシマで、またブラックワークで、誰も潰れない社会にしておくべきなのだ。誰かが潰れたらケアする、のではない。誰も潰れない社会(ノーマライゼーション、ユニヴァーサル・デザイン)。これが正解だろう。幕末維新では多くの人が死にまた障がい者となった。それを肯定していいのではない。 2024.9.15