読書会

 

徒然草 兼好法師 R6.9.28(土)午前 に予定している。

 

1        日本の三大随筆とは

・清少納言『枕草子』・・平安中期1000頃・・宮廷生活が舞台、断片的エッセイ

・鴨長明『方丈記』・・・平安末期1192頃・・京の南の日野にて、天変地異と閑居

・兼好法師『徒然草』・・鎌倉末期1331頃・・断片的エッセイ

Q1:そもそも随筆とは何か? 中国では宋代に『容斎随筆』がある。江戸の伴蒿蹊(ばんこうけい)が『枕草子』を「随筆」と呼んだ。随筆的なものは多く書かれてきたが、あえて「随筆」と呼んだのは誰か? 西洋のエッセイに対応して狭義の「随筆」(身辺雑記でも紀行文でも日記でもなく)を考えたのは大正時代か? 大正末期に改造社が「随筆叢書」を出した。(ニッポニカなど)

Q2:誰がこの三つに決めた? 

Q3:なぜこの三つにした?

 

2        他に日本の随筆的なものは(思いつくまま)

・本居宣長『玉勝間』

・松平定信『花月草紙』

・新井白石『折りたく柴の記』

・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)『知られざる日本の面影』

・夏目漱石『硝子戸の中』

・三木清『人生論ノート』

・唐木順三『鳥と名とー不期山房雑記』

・小林秀雄『考えるヒント』

・村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?』

・森下典子『日日是好日』(お茶の本)           

 などなど、大量にある。

Q4:私小説と日記と随筆と評論と紀行文はどうちがうか?

 

3        世界の随筆で有名なものは

・モンテーニュ『エセー』フランスこ

・パスカル『パンセ』フランス

・ソロー『ウォールデン 森の生活』アメリカ

 などなど、当然沢山ある。

Q5:西洋のエッセイとは? ロック『人間悟性論』やルソー『言語起源論』などもessay,essai。ICUのAO入試でもessayを課す(アメリカンスタイル)。ただの身辺雑記ではなく、思索があり、小論文的なものだと言える。

 

4        兼好法師とは誰?:吉田兼好は江戸以降の呼称、本名は卜部(うらべ)兼好(神主の家系)、京都の出身、堀川家に仕える、蔵人として宮廷に、若い頃鎌倉にもいた? 出家して兼好、有職故実に詳しい、二条派の歌人でもある、山科に所領があった、NHK「知恵泉」では出世のために出家した、と。(出家して僧の形で貴族社会で活躍)

 

*私的な感想:中学で学習し、いくつか暗誦した。10月に山里で隠棲している人を見ていいなと感じたくだり(「神無月のころ、・・」)などはいいなと思った。この世は無常で人はすぐ死ぬから今すぐ出家を決意すべきなどのくだりも印象に残った。欲望を肯定して猛烈に生きるのではない生き方が書いてあると感じた。物質的な享楽主義の世の中で私がそれに熱心になれないのは十代の頃に『徒然草』をはじめとする隠遁者の文学を読んだせいか、だとすると若者の情熱をそぐ『徒然草』など中学で教えない方がいいのではないかとあとで思ったりした。二十代で再読、小林秀雄を通じて、兼好は人生の達人ではないかと考えるようになった。三十代でもさらに兼好の評価が私の中で高まった。・・ところが、最近(六十以降)鴨長明の『方丈記』だけでなく『発心集(ほっしんしゅう)』(仏教説話集)を通読した。また、NHK「知恵泉(ちえいず)」で「兼好はいったん引退するがそれは一時力を蓄えて再び宮廷で活躍するためだった」という見方に接した。そうだとすれば兼好はつまらないと思ってしまった。鴨長明の方が現実にひどい目に遭っており、かつ信仰に対して(迷うところも含めて)まじめに考えようとしているのではないか、と考え始めた。対して兼好は断片を書いているだけで、本当の姿が見えにくい。「すぐ出家すべき」「死はそこまで迫っている」と言いつつ他方では「祭りの前後もいいな」「都の高級貴族はすてきだな」「田舎の教養のない人はダメだな」などと言う。「見方が固定せず柔軟でいい」と評価するのは一つの立場であって、「分裂している」「徹底していない」「都の高級な文化へのとらわれから脱していない」と批判的に評価することも出来るはず。・・・この読書会のためにざっと再読して感じたのは、「閑居の楽しみ」を語っているな、ということだ。(下の10へ)

 

 

5 序段

6 仁和寺にある法師

7 丹波に出雲

8 最終段 

9 小林秀雄の読み方

 

10 閑居の楽しみ

 兼好は宮廷文化にとらわれた人だが、そこから一歩脱して閑居の楽しみを述べた人でもある。多忙さや立身出世やきらびやかな文物に埋もれる(それらに煩わされる)のではなく、静かに自分の審美眼・好みを大事にしながら日々を大切に生きる、自分のゆっくりした時間を大切に生きる、そういう人だったのかもしれないなと感じた。(自分のコンディションにマッチしたところだけ読めて気に入った気になっているのかもしれないが。)参考までに

・鴨長明(平安末)・・出家ののち、大原(京都の北)、日野(京都の南)へと隠棲。

・親鸞(鎌倉はじめ)・・流罪となり「非僧非俗」、晩年京都に戻り市井(しせい)への隠遁。

・兼好法師(鎌倉末)

・橘曙覧(たちばなあけみ)(江戸)「たのしみは・・」の歌(50首)

·  たのしみは艸(くさ)のいほりの莚(むしろ)敷(し)きひとりこころを静めをるとき

·  たのしみはすびつのもとにうち倒(たふ)れゆすり起(お)こすも知らで寝し時

·  たのしみは珍(めづら)しき書(ふみ)人にかり始め一(ひと)ひらひろげたる時

·  たのしみは紙(かみ)をひろげてとる筆の思ひの外(ほか)に能(よ)くかけし時

·  たのしみは百日(ももか)ひねれど成(な)らぬ歌のふとおもしろく出(い)できぬる時

·  たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物(もの)をくふ時

·  たのしみは物をかかせて善(よ)き価(あたひ)惜(を)しみげもなく人のくれし時

·  たのしみは空暖(あたた)かにうち晴(は)れし春秋(はるあき)の日に出(い)でありく時

·   たのしみは朝おきいでて昨日(きのふ)まで無(な)かりし花の咲ける見る時

·   たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつづけて煙艸(たばこ)すふとき

·   たのしみは意(こころ)にかなふ山水(やまみづ(さんすい))のあたりしづかに見 

      てありくとき

·   たのしみは尋常(よのつね)ならぬ書(ふみ)に画(ゑ)にうちひろげつつ見もてゆく時

·   たのしみは常(つね)に見なれぬ鳥の来て軒(のき)遠からぬ樹(き)に鳴きしとき

    (以下略)

・中野孝次『清貧の思想』(1992=バブルの頃):バブルの頃にあえて清貧の知恵を言った。

・五木寛之『下山の思想』(2011=平成23):高度成長・経済大国は終わった。では・・・

・鎌田實『○に近い△を生きる』(2013=平成25):医師だが生き方論を含む。

 

*仏教思想をはじめ、俗世間にまみれずそこから一歩引いて落ち着いた暮らしを楽しむ思想は、日本には古来多い。年を取って隠居する、という思想もある。(政治権力闘争史観では見えない部分。)

*中国は? 老荘思想は隠遁主義(だけでもないが)。孔子の弟子の顔回も事実上隠遁者? 魏晋南北朝時代は隠遁者多し。竹林の七賢に実像はともかく説話としては隠者として語られた。陶淵明は隠遁した。菊を愛した。唐代以降も自然を愛した人多し。王維は早熟の天才で20代で官を辞し30歳で隠遁生活に。(また官界に復帰もするが。)静かな画と詩を愛した。孟浩然、韋応物、柳宗元も自然を題材とした。(「王孟韋柳」)・・

*インドは? 

*ギリシア・ローマは? 

*イスラム圏は? 

*キリスト教圏では? 清貧の修道会で隠遁してしまうタイプあり。(イエズス会のように火の玉になって活動するところばかりではない。)

*アメリカでは? エマソンとソローはどうか。

*近現代では?・・1960年代のヒッピーの思想。産業化社会からあえてドロップアウトする。

 

*概念の整理し直し

 出家・・インドではカーストの外に出てサモンになること。日本では、僧になること。鎮護国家思想では東大寺の僧などは官僧(公務員のようなもの)で、公的な仕事がある。そこからさらに隠遁する人がある。

 隠遁・・世を隠れ逃れること。出家者がさらに寺から逃げ出して山奥に隠遁する、在家者が貴族社会から離れ隠遁するなどがある。山中、海辺、川辺への隠遁があるが、市井(しせい)への隠遁もある。

 隠居・・仕事を引退して老後を静かに過ごす。町中で隠居する人もある。

 閑居・・多忙な仕事から一歩引いて静かに過ごす。多少仕事をしていてもよい。

 

 修道院に入る場合・・世俗から離れ神に仕える。神のお仕事で多忙になることも。アトス山については村上春樹が『雨天炎天』で書いている。ユゴー『レ・ミゼラブル』には、ジャン・バルジャンがコゼットを連れてパリの町なかの奥まったあたりの女子修道院の庭男になって隠れ住むくだりが出てくる。昔読んで憧れた。

 

*自分のゆとりある生き方を、というだけでない。多忙すぎる社会の渦中にいれば見えないことでも、一歩引いて全体を俯瞰することでより深く本質的なことが見えてくる、ということもある(唐木順三が書いていた)。

 

 以上を事前の問題提起として、9月28日(土)に読書会を行う。参加者は限定です。