James Setouchi

2024.8.30→2024.9.14

総裁選のさなか(2)  前回(1)の続きです。

 

 仕事と労働、勤勉であるべきか など(加筆して再掲) 

モランテ『禁じられた恋の島』から発展

(長文です。)

 

 エルサ・モランテの『禁じられた恋の島』では、アマルフィ人ロメオが「私」の父に財産を譲るときに、ロメオは「父」に言った。・・今お前にちょっとした財産を譲る。お前は働かないで暮らせるようになる。仕事はうすのろがすることで、立派な男のすることではない。努力も時として喜びを与えるが、労働ではダメだ。無償の努力なら有益で快いが、努力は無益で想像力を損なう。万一金が不足して働くときには、想像力を損なわない仕事をすることだ。例えば探検家のような。しかし、仕事を持たないことが一番だ。パンしか得られないなら、パンだけで我慢する生活をしてもだ。・・

 

 ロメオの主張はおおむねこのようであるが、少し概念を書き改めてわかりやすくしてみよう。ここで「報酬のために致し方なくする努力」を「労働」と呼び、「報酬のためではなく喜びを与える努力」を「仕事」と呼ぼう。すると、ロメオの主張は次のようにまとめ直すことができる。

 

「労働」は報酬のためであり想像力を損なう。「仕事」は報酬のためでなく想像力を損なわない。報酬(生活)のために「労働」することがあっても、それは最低限にとどめるべきだ。生活水準は低くて構わない。大切なのは想像力を損なわないことだ。

 

 こうロメオが言えるのは、ロメオに多くの財産があり、また養うべき家族がいないからではある。が、必要以上にいわゆる「生活水準」「賃収入」「所得」を高くすることはないのであって、人間として大事なもの(ここでは想像力)を損なってはならない、とロメオが言うのは、一考に値する主張かもしれない。

 

 ヘンリー・ミラーも、要約すれば、「アメリカの資本主義システムに組み込まれて嫌な仕事をするのは嫌だ、自分は文筆で精神界に偉業を為すのだ」とうそぶく。(その実彼女が高級娼婦をしていて食わせて貰う。ヒモであり人間のクズだとも言えるが・・)(『ネクサス』ほか)・・ヒッピーの元祖のような考え方というべきか?

 

 キリストは、「神の愛と神の義をまず求めよ、そうすれば皆与えられる」と言った。マルタが働きマリアがキリストの話を聞いたとき、あくせく働き客人のもてなしに精力を使い果たすマルタに対して、神の声をじっくり聞くマリアをよしとした。もちろん上記のロメオは無神論者であってキリストとは違うが、つまらない「労働」によって大切なものを損なうべきはない、という主張は同じだ。

 

 ロメオの主張は作者エルサ・モランテ自身の主張ではないが、「想像力を大事にする」という言い方には、作家である作者の主張がこめられているかもしれない。

 

 ここで、「仕事」「労働」「勤勉」というものについての捉え方をおさらいしてみよう。(辞書的な知識ではあるが。) 2回に分ける。その第2回目です。

 

2      働いて金を稼ぎ税金を納めることについて、あわせてタダの仕事について

 

  仕事は何のためにするのか? 思いつきで列挙すると、

 

お金を稼ぐため(所得、収入のため)。家族を養うため。

自己実現のため。(自分の名前の入った高い塔を建ててみるとか。)

社会に参加し維持するため。(タダの社会奉仕も含む。給料を貰いながらやる警察官も。)

他者を助けるため。(自殺防止のゲートキーパーとか。)

後世(未来)を作るため。(環境浄化に取り組むとか。)

 

  これらは相互に関連していることもあるが、両立しない場合もある。(会社があくどく儲けて環境を破壊するとか。戦場にどんどん武器を売り込んで世界を破壊するとか。)

 

 高齢者も女性も働いてカネを稼いで税金を納めなさい、と言うとき、上記の一番上だけを想定していないか?

 

 自民党総裁選候補者は口々に「誰もが働く社会」と言う(R6.9.13)が、カネを稼いで税金を収める(健康保険や介護保険、年金も積み立てる)という発想が先に立っていると感じた。日々GDPや税収のことばかり考えているからだろう。ふとした疑問だが、毎朝のゴミ出し当番や地域の作業(すべてタダの仕事)に彼らは出ておられるのだろうか?

 

 赤ちゃんは働いていない。高齢者も働けない。無理をして大けがをしたら大変だ。(一例だが、北関東のある駅前の立ち食いそば屋で、ご高齢の女性がため息をつきながら働き、同僚の(こちらもご高齢だが少し若い)女性から「何をしている、とろくさい」などと叱責されているのを目撃し、非常に辛い思いをしたことがある。高齢者の職場だから牧歌的でいいにちがいないと思うとしたらひどい思い違いだ。そんな末端に至るまで資本の=時間内の利益至上主義の=論理が浸透していて、働く高齢者が非人間的な事態に追い込まれているのだ。叱責した方もだ。)障がい者も能率が悪くなることがしばしばだ。(ダイバーシティ重視の会社の社長が、工夫次第で身体・精神・情緒の障がいについては十分クリアできる、と言っていた。そういうもののわかったエライ社長ばかりならいいのだが。)背負うものが多すぎ働き過ぎてメンタルにやられた人ももはや働けない。(あなたの回りにも沢山いますよ。気付いていないだけ。またはたまたま会えなかっただけ。)株主は働いていると言えるのか? 自分の資産を運用しているだけで、働いていると言えるのか? 株式のデイトレーダーは? 

 

 障がいのある家族や高齢者を大勢世話をしていて会社勤めができず無収入、ゆえに税金を払っていない人を、「金を稼いでいないから価値がない」と見下し指弾するのか? いや、それは人間として間違っている。知りもしないくせに他人を「怠け者」とレッテルばりしてはならない。家の中の家事は、電気洗濯機や炊飯器などのお蔭で大分楽になった。が、家庭内に高齢者や病気の人が複数いるから世話をし、壊れた家具や雨漏りを修繕し、草引きをし、剪定をし、家庭の周辺に壊れかけの家があれば見回り、鼠や蜂の巣やシロアリを駆除し、どぶをさらい、・・と、拡大された家事が結構多くある。地域社会の世話だって本当にやれば相当に大変なのだ。民生委員、保護司でなくても地域の独居老人の見回り、学童保育、防災、高齢者福祉施設でのボランティア、海岸なら海水浴場の監督、水門の管理、農山村なら用水路の管理、竹林の管理、山の石垣の管理、古い神社の草刈りやシロアリ退治、雪国なら当然雪かき、雪下ろし、小学校の冬のスケートリンクの管理などなどをはじめ、やるべきことは沢山ある。それらは全てタダの仕事だ。自分でやれずに人を雇うとどんどん出費がかさむ。そもそもふところにカネがない。業者も逃げ出している。いたしかたなく大変でも自分でやる。それらを本気で引き受けるとまず会社勤めはできない。無収入になる。故に所得税は払えない。税収は増えない。総裁候補者の皆さんは、ここをどう考えるか?

 

 昔の金持ちブルジョワ階級のマダムなら余裕を持ってできたかもしれない。今は中堅サラリーマンの妻(夫)にそれは押しつけられがちだ。だがすでに共働き時代でそれらの引き受け手がいない。PTAのなり手すらいない。地域の区長区長会会長をやる人がいない。「だって(所得のための)仕事があるんですもの。」こう言って、(厳しいようだが)これらを切り捨ててきたのでないか? たまたまラッキーなことにそれらを他の人が肩代わりしてくれたからやらずにすんできただけではないか? 

 

 昔は専業主婦や60歳で引退して地域の世話をしてくれる元気な高齢者がいて、彼らを頼りにするシステムだったのだ。だが、今の共働き社会では、かつ高齢者も(貧しいし年金も出ないので)何らかの形で「賃仕事」に出ざるをえないので、上記のタダの仕事をしてくれる人がいない。すると、「私は(賃収入のための)仕事がありますからできません」と言う。これを一体どうとらえどう解決していけばいいのか?

 

 漱石『それから』の代助は、父親から「会社の仕事をして天下国家のために尽くす熱誠がお前には足りない」と批判され、違和感を持つ。代助の父親の場合、利己と利他が混濁した意識の中で区別されず混同されている、と代助は批判する。天下万民のためと称してその実は自己利益のためであることはしばしばある。孔子・孟子が聞いたら嘆くであろう。渋澤栄一が聞いたら『論語』を読もうと言うだろう。

 

 いわゆる専業主婦(専業主夫の場合もある)は、上記の仕事をタダで(無償で)引き受けてきた。(統計を取ったわけではない。経験的な話だ。)だから配偶者控除があるのは当然だ。夫(妻)がリゲインを飲んで「24時間働けます」と頑張って、一切家事や地域の仕事ができないから、専業主婦(夫)がやってきたのだ。法定労働時間は週40時間(8時間かける5日)のはずだが、土日・夜も含めて週に40時間の残業(月に160時間残業。完全に過労死ラインを越えている。)をしている夫(妻)は結構いる。(統計を取ったわけではない。経験的な話。)その分専業主婦(夫)が上記のことをタダで引き受けてきた。上記のことをやるためには、外に稼ぎに出ることは事実上できない。その間誰が年寄り3~4人(高齢者の世話は1~2人だと思っている人は古い。)の相手をしてくれるのか? 

 

 ああ、認知症の高齢者が外にさまよい出たとき探しに行くのは大変だ。夜起きて物を探し「そこに変な人がいる、怖い」などと言うのをなだめるのは大変だ。ユマニチュードという方法論があって有効だがつまりはてまひまをかける必要がある。それは尊いことなのだが時間はかかる。サ高住(サービス付き高齢者住宅)の管理人(所有者じゃないよ)がヘトヘトになる話を聞いたことがあるだろう? それを自宅でやっているのだ。帝舜は親父に殺されそうになったがそれでも親孝行を(当然タダで)したから偉かったことになっている。だがそれは帝舜だからできたことで、天下万民に要求することはできない。家族道徳を過度に強調している人は、よくよくご自分のありかたを振り返ってみて、本当に十分にできているか、お考えになってみてください。あなたが本当の仁者であるならば、あなたの周辺を初めとして、果ては天下万民がすべて幸福になっているはず(学校のいじめもなくなりウクライナやパレスチナの人も死なずにすんでいるはず)ではないか?・・・現状ではお互い足りないのであるから、システムで対応しかないのだ。

 

 一方は、夫(妻)のみが稼ぐ1馬力の所得しかないが、妻(夫)が拡大した家事や地域の世話をして、2馬力分の仕事をしている。

 対して、もう一方は、夫婦共働きで夫婦2馬力の所得があるが、拡大した家事や地域の世話はほとんど(いや、一切?)やらない。

 

 おかしいと思いませんか? それなのにヒステリックに専業主婦(夫)を攻撃するのですか?。

 

 これだけのことをタダで貢献してきたから、所得はない、貯金も少ない。今までのシステムの結果そうなったのだ。それなのに年金3号被保険者制度をなくすと、たちまち貧困化する。そういう人が沢山出現する。深刻な社会問題になる

 

 長年タダで社会貢献してきた人がひどい目に遭い、社会貢献をほとんどせず利己的に稼いできた人が優遇される。それはおかしい。社会正義ではない。公正ではない。愛もない。惻隠もない。慈悲もない。仁義の政治ではない。

 

 何故人を攻撃するのか? それは、自分も余裕がないからだろう。彼(彼女)も追い詰められているのだ。誰かが道徳的に悪いとは言いたくない。システムに歪み、改善すべき点があるのだ。攻撃対象を間違えないように。

 

 では、家のローンもあるのに、2馬力で働かざるを得ないのに、子どもも沢山いて障がいもあって老親3人の世話もあるのに、地域の(無収入の)仕事に奉仕せよ、と言うのか? 

 

 それは無理だ。「もう無理です!」という叫び声が聞こえてきます。そうです。よくわかります。

 

 では、これら無収入の価値ある・必要な仕事を誰が担うのか? 

 

 やってくれる人はいない。ここでも人手不足だ。課題ばかり山積みなのだ。誰かの唱えた「自助・共助・公助」の順番が逆だとよくわかるはずだ。これからは、せめて、これらを黙ってやってくださっている方々に対する批判を止めないといけない。

 

 「あたしはやりました!」と叫んだ人がいるが、いわゆる「やった、が違う」。「やった」うちに入らない。

 

 「控除のための年収108万円の壁はおかしい」(厳密には少し違う)などと言い、「専業主婦の控除の仕組みをやめればいいのよ!」と叫んだ人に申し上げたい。発想が逆だ。一人年収500万円(せめて300万円)まで非課税にし、配偶者なら扶養の対象にしてはどうですか。そうすれば夫婦で働いて稼ぐ人が増えるだろう。いわゆる「経済が回る」だろう。そうしたいのなら、その方が得策だ。弱い人をたたくのはもうやめにしませんか。

 

 かつ夫婦子ども合わせた世帯全体の所得に課税するとよい。(ドイツを見よ)。それで格差が縮まる。子どもや高齢者などを含めた同居の人数で割り算してもいい(フランスを見よ)。それで子育てが楽になる。今の日本やアメリカのシステムは歪んでいて格差が広がる一方なのだから、世帯所得年間1億円以上の高額所得世帯から税金をもっと取り(応能負担)、公的サービスの現物支給で対応するとよい。国家や市町村は何のためにあるのか? 軍隊を並べてパレードしてもらってカッコつける(どこの国ですか?)ためにあるのではない。国民を(国民の生活を)守るためにある。一部の富裕層の利権を守るためにあるのではない。鰥寡孤独を大切にせよと孟子は叫んだ。

 

 自民党総裁選候補者のどなたかが所得倍増を言っておられた。が、働けない人、生活保護者、年金生活者はどうなる。生活保護や年金も倍増するのだろうか。だがその時には物価が3倍になっていないか。それでは生活が成り立たない。紙幣を刷って刷って市場に出回るマネーを増やせば、見かけ上所得は倍増するが、物価も2~3倍になり、今までの預貯金の価値は半減する。本当の狙いは、国の赤字を実質的に半減させることではないか? 

 

 よくご存じだと思うが、ハイパーインフレになったら人々の生活は破綻する。ワイマール共和国(第1次大戦後のドイツ)はどうだったか。ジンバブエはどうか。ジンバブエドルで10兆ジンバブエドルなどという法外な紙幣を刷って、結局紙くずだ・・国家の役割は国民の生活を守ることのはずだから、結局。モノやサービスの現物支給が一番いいと言うことになるのか? (全て統制経済にするのは不可。戦時中は統制経済だった。政府と癒着した資本が権益を独占、軍隊では、一部の上級軍人が高給を食み、一般兵卒の給与は安かった。)

 

 ベイシック・インカムも現状では不可。ベイシック・インカムの財源として各種手当てを撤廃すると言っている。富裕層から税金を取ると言っていない。富裕層や大企業や外資など一部の人の権益を温存したままで、各種手当てを廃止しようとするまやかしの理屈だろう。声高にそれを言っている人は例のあの人だ。全く信用できない。あのせいで毎年3万人の自殺が出た。10年間続いた。計30万人が自死した。地方の県庁所在地の人口が一つ消滅するほどの痛ましい犠牲だった。職を失い生活に困った人や、辛うじて就いた仕事がブラックワークだった人がいた。マスコミが「ブラックワークの現状があるのではないですか?」と質問したら、「労働基準監督署が怠けているんだ、私の規制緩和のせいではない」と責任転嫁をしていた。労基が少ない人数で一杯一杯であるのに、そうやって他者を責める。保身の理屈を言うときだけ頭が素早く回り、根本的に他責的な人というのは、恐ろしい独裁者になるのだ。歴史上の例のあの人やこの人がそうだ。くわばらくわばら。

 

 日本は現物支給が弱い(イギリスを見よ)。義務教育の学費・教科書代だけではなくその他必要なことは全て無償にすべきだ。高校も制服や模試やITや部活動で金がかかりすぎる。家庭のカネのかからない、しかし上質な学びを! 貧しくて演劇もクラシック音楽も東京見物(修学旅行)も家庭でやってあげられないから、学校で格安や無償でやってもらえれば助かるのだ。いや、中学高校に行っていない子もいる。真面目な子がいじめられ不登校になってそれら有益な学校行事への参加の機会を奪われる。いじめっ子が学校行事を我が物顔にしきって好きなように享受する。これは間違っている。学校以外の場で有益な体験が(無償で・格安で)できるようにするほうがいいかもしれない。キイワードは、現物支給だ。無力な民を大事にしてこそいい政治だ。それがわからない人を「冷たい人」「冷血漢」「利己主義者」「エゴイスト」と呼ぶ。孔子孟子が聞いたらそう言うであろう。

 

 会社で働くことについて。もちろん会社の仕事自体が「人間の安全保障」を実現するいい会社もあるだろう。医療・食糧・子育て・福祉・安全などに関わる会社を見よ。(会社の目的は「利益」だ、とすぐ言う人は、考えが足りない。利益を度外視して長期的に世のため人のためになる会社もある。もちろん上のジャンルでも悪徳業者は存在する。)会社とは何か。カンパニーとは仲間という意味ではなかったか? 江戸時代の株仲間は独占という悪いイメージがあるが、何か社会課題を解決するために仲間を集めて利潤度外視でやっていく会社があってもいいはず。目的を達成したら解散してもいい。対して、今稼いでいるように見えても1年後には職場の仲間の仕事への意欲がすっかり破壊されている会社だったら? 反対に、今赤字でも過疎地の医療をはじめ人びとの暮らしを支えている会社があったら? ローカル路線やローカル郵便局、ローカル診療所をあなたは直ちになくせというのか?

 

 働く人は? 職場で弱い人をカバーし皆を助けていい仕事につなげる人もいる。そういう人は本当に偉い。そうした尊敬できる人を私は何人も知っている。ただしそこを上司が見抜いて評価するとは限らない。3ヶ月ごとの短期決済しか見ない株主たちにはもちろん見えない。過度の競争主義・成果主義・実績主義の会社で、他の人を押さえつけて出し抜き(部下の手柄を奪い失敗は部下や同僚に責任転嫁し)自分だけが「成果」を上げたことにする人が評価される会社だったら? 隣の席の人は同僚ではなく敵でしかない、と? (シンガポールはそういう過酷な競争社会なので、隣席の異性は競争相手であって、恋愛の対象にならない、非婚化が進む、とニュースで言っていた。)対して本当はいい仕事をしているのに、自己PRをしないという古来の美徳を守っている人がいたとしたら? 目先の利益をかっさらって他の会社や他国に逃げ出す人がいたとしたら?(そう言えばそういう人がいたなあ・・)

目に見える数字の「成果」だけではやはりダメだ。

 

 「働く」「仕事をする」って、改めて、どういうことなんだろう?

 

 生前金儲けができなかったゴッホは働いていなかったから無価値だと見なすのか? 「お釈迦様は金儲けをせず納税をしなかったから2級国民」とあなたは言うのか? 金が全ての風潮はおかしい。

 

 わかりきったことなのに、「働いてカネを稼げ」と言うのは、結局、大企業中心の政策にするから、働く者は会社にもっとむしってもらえ、と言いたいのではないか、と疑りたくなる。

 

 パーティー券を含む資金監理団体などの収入(2022年)は、茂木候補が1.8億円。林候補が1.7億円、加藤候補が1.5億円足らず、人気のある高市・小泉候補は1.3億円、河野候補が1億円、と続き、1億円を切っているのは、小林候補0.8億円、石破候補0.5億円足らず、一番少ない上川候補が0.3億円。(R6.9.14朝日新聞30面)(数字は棒グラフを読んだので概数)やはり自民党()の大物議員は大企業の利益優先なのだろうか? 総裁や総理になったら、パーティーをどんどんやって収入を増やすのだろうか? また、企業で「ウチは○○候補にみんなで入れよう」と言っているとしたら(そういう話を聞いたことがある)、それは個人の自由を大事にする民主的な選挙と言えるのだろうか? 中学社会科で学習したこととずいぶん違ったことが起きているようだが・・・

 

*当初「保守党」と書いていたが、「自民党」と書き改めた。「今の自民党は既に保守党ではない、アメリカ(の資本)に忠実な党になっている」「保守とは、人類の知の歴史遺産を前にした謙虚さ、他者との関係で自らを律する品性、時間の経過と経験による成熟という価値を知るものの落ち着き、の三つの要素が不可欠なのに、今の自民党にはそれがない」「同じ自民党という名前を名乗っていても、昔の自民党とはすっかり違ったものいなってしまった」「新自由主義勢力、財界、政商、カルト、半日姓勢力の複合体となっている」と適菜収という人が書いている。

 

 大企業に入れば福利厚生もしっかりしている。対して中小企業は給与が安い上に福利厚生も不十分だ。だから東大京大一橋でなければ早慶などから、または親のコネを使って、大企業に入ろうとしてきたのだろう。あらかじめそこから排除されている人はどうなる。

 

 フィンランドでは政治家のカネの流れがネットで公開されていて、国民が見ていて、「バスで通える議事堂にタクシーを使ったのはケシカラン」として、二十万円だったか政治家は返還することになった、という記事を読んだことがある。公金だから厳密なのだ。日本では億単位のかカネの報道に麻痺してしまってはいないか? ああ、自民党の大物だからそれくらいあるよね、と思ってスルーしてはいけないのでは?

 

 「働き方改革」「働かせ方改革」で、終身雇用でなく柔軟に解雇しやすくする、というのは、企業にとっては都合がいい。が解雇される側は生活できなくなる。将来の安定した見通しがあるからこそ十年先を見据えて地道で継続した努力もできるのに、明日は解雇される身なら、努力しなくなる人が増えるのでは。同僚が敵になるので成果の奪い合い、ミスの押し付け合いになるのでは。でも終身雇用の困るのは、22歳入社時にいわゆる「いい会社」に入った人と、そうでない人との間に、一生分の大きな格差が生じてしまうこと。22歳で「いい会社」に入れなかった人が一生貧しい暮らしになってしまう。(神の目から見れば大したことではないが、人間の目から見れば大きな違いだ。子どもを学校に行かせる、病人を病院に行かせる、ある程度の社会体験を積む、現状ではすべてお金が要る。)また、「いい会社」だと思って入ったが、たままた上司に憎まれて、すごい外国(ジャングルとか砂漠とか)に転勤になり向いていない仕事を命ぜられても、やめるわけにいかないので、我慢してやらないといけない。やめたら次がない。こういう問題もある。

 

 だから雇用(というより就労)は自由に流動的になった方がいいとも言える。但しその場合、働く人が次の職場に(すぐ安全に安心して)移行できるように社会で支えることが必要だ。または移行できなくても十分暮らしていけるようにすることが必要だ。リスキリングはドイツなどでは当たり前だが、リスキリングができにくいメンタルにやられている人やすでに障がいのある人、すでに高齢の人はどうする。「お前は怠けている」とは言えない。前の職場で働き過ぎてメンタルにトラウマを負ったのであるからだ。何でもうまくいく人などいない。誰でもどこかでつまづく。(みなさんの好きな安倍さんでも、1回目は政権を放り出し、2回目再チャレンジをしたのだ。対してあのY上氏にはどれだけのチャレンジの機会が与えられていたのか? Y上氏のお兄さんもつらかったはずだ。いもうとさんも。おかあさんも。おとうさんも・・・)

 

 「雇用の柔軟化」と言わず「就労の柔軟化」と言ってみては? 会社側ではなく、働く人・働けない人に目線を合わせて

 

 就労が柔軟でも安心して暮らせる社会とは、どのような? セーフティネットが十分にある社会。ドロップウトした人を網ですくい上げるセーフティネットではなく、初めから誰もドロップアウトしない、ノーマライゼーションの社会。だから現物支給にすればいい、と私は言っている。どうしてデンマークやフィンランドには安心感があるのか。社会主義国ではない。

 

 何でも商品化し売買する風潮は間違っている。臓器も生命も快適な環境もケータイの番号や戸籍まで商品化し売買するとは!? (中国できれいな空気の缶詰を商品にして売ったというブラックな話(笑い話ですませられない)がかつてあった。今や日本でもきれいな水をペットボトルに入れて売っている。昔は「水を買うなんて!?」と言っていたものだが・・)商品化してはいけないものがある。水道水くらい、きれいなものがタダで飲めないといけない。(今や地域によっては水道代は非常に高い。これからも高くなる!?)宇沢弘文は「社会的共通資本」という概念を提示した。斎藤幸平は「コモン」の回復を言っている。

 

 先に述べた地域社会の世話は、タダで、心ある誰かに押しつければいいのか? これは、タダでやる人がいないのだから、有償のビジネスにしてはどうか? でもそもそも人がいない過疎地で、有償ビジネスにしても、ペイしない。ビジネスとして成り立たない。企業が逃げ出す。郵政民営化の結果を見よ。地方の過疎地からはNTTも銀行も支部が撤退していく。離島はどうする。クロネコやペリカンは。過疎地に住んでいろんなものを背負ってご覧なさい。あなたは言う「なぜいつまでもそんな限界集落に住んでいるのですか。コスト高になるじゃないですか。私が払った税金ですよ。せめて県庁所在地に移住して下さい」と。これを棄民政策という。非人道的・非人間的な主張ですね。高齢者は引っ越すと、ぼけるのだ。そのつけはあなたの税金から払うことになるのですよ。しかも明日は我が身です。J・ロールズでも読みますか?

 

 民営化・自由化してはいけないことがある。ではどうすれば? 絶対に必要なことは、税金を投入して、現物支給で行う。防衛費についてなら税金を投入することにみなさんすぐ賛成されるのでしょう? 国民の生活を守ることに直結する福祉・教育・医療などなども、税金を投入して、現物支給にしてはどうですか? 

 

 財源は、高額所得者から累進課税で取ります。今の集金システムに乗っかって稼いでいる人。ニッサンの最前線の労働者の賃金を低く抑え、何とかゴーンとかいう人が巨額の年収を得ていたのは覚えていますね? 資本家とか雇われ社長とかが何億円も年収で取るのは、もうやめましょう。アマゾンも最先端のワーカーは低賃金でこき使われていますよね。ああいうのをやめないといけない。私はアマゾンでは(他の同類の通販でも)買いません。土光敏夫(経団連会長)のころは社長と平社員の給料の差は5体1だったとか。それでも(ああそんなに差があるのか)と感じますが、今やどうですか? 柳井さんの資産はいくらですか? 日本でいくら金持ちを増やそうとしても、それでもアラブの大富豪に比べれば大したことはなく、むしろ中間層が弱体化し、つまるところ日本の国力を弱めるだけですから。今起きていることはそれです。ハリスさんも「中間層に手厚く」と言っていました。日米とも中間層が「下流」化して国家の危機ということでしょうか。それだけでなく「下流」、また「鰥寡孤独」(読めますか? 漢和辞典を引けますか?)を切り捨てず大事にしましょう。それが仁政です。

 

 (それに大富豪の皆さんは、イザとなれば前線で一兵卒になって日本を守るとか今での過疎地の最前線に立って困っている人を助けるとかしないで、あっさり逃げ出すのでは? というよりはじめからそういう責任感はなさそうですね。・・中間層を強化し、大富豪は作らないのが上策だった、ということになります。あのころ=累進課税を縮小し始めた頃=中曽根内閣の頃=1980年代=大富豪を作ろうと大きな声で宣伝していた人たちは、間違っていたことになります。ああ、二・二六事件はなぜ起きたのでしょうか。貧富の差が大きかったからでしょう。東北の長男は家が継げるが次男以降は兵隊になって満州で死んでくれたら遺族へのお金が出るからその方が有り難いなどという社会を作ってしまったから、不平不満がたまって爆発したのではありませんか? テロはダメですよ、でも不平不満を溜まらせる社会システムがダメのです。修正しておくべきでした。)

 

 みんながオータニさんはなれないし、ならなくていい。多くの人は草野球で無償で近所の人と幸せを分かち合う。これこそ真にスポーツ(「スポーツ」の原義は「気晴らし」)かもしれない。NYの片隅でバスケの3×3をする。震災後の神戸の壊れたストリートでサッカーごっこをする。ヨハネスブルクのストリートでサッカーをする。そうすれば気晴らしになる。立派なスタジアムでユニフォームをそろえてマスコミに騒がれて年収何億円と言い始めると歪む。(これはオータニさんへの批判ではないよ。彼は彼でエラいのだが、システムが問題なのだ。)「働け、稼げ、GDPに貢献する人材になれ、GDPのために結婚し子育てせよ、そのためなら支援する、だから税金を納めよ」というのは、何か一面的で偏った、奇妙な思想だ。特に今のように「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり」(石川啄木)(実際、所得が低いので賃収入のためにダブル・ジョブにならざるをえず長時間労働になってしまう。果ては体を壊してお金は残らない)の人と株やITや親の資産で巨額の金が自動的に入ってくる人との差が開く一方の時代社会においては。

 

 そこに人間がいる。人間として大事に扱われるべきだ。国家や戦争や資本のための道具ではない。基本的人権を大事にする現行憲法を変えてはならない。国家(帝国)だけが価値の源泉であるような全体主義の国(どこかに今もあるが・・)に逆戻りしてはならない。

 

 『禁じられた恋の島』のアマルフィ人ロメオは、偏った奇人だが、案外鋭いところを衝いているのかも知れない。本当はここから始まった話だった。

 (1)もお読み下さい。

 

(参考になるかもしれない本)

聖書、仏典、法然・親鸞・道元の本、『論語』『孟子』

ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』

マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

小林秀雄『平家物語』(昭和17年)

川端康成『美しい日本の私』

法然『選択本願念仏集』

夏目漱石『それから』

佐多稲子『キャラメル工場から』・・小学校を中退して工場で働いた。低賃金の不安定雇用。

林芙美子『放浪記』『風琴と魚の町』・・同様に、工場に出たり行商に出たりした。同上。

大熊由紀子『寝たきり老人のいる国いない国』・・社会福祉の古典とも言える本。

堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』

ブレイディみかこ『ウエストサイドをほっつき歩け』・・イギリスの状況。現物支給があるとわかる。

筒井淳也『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(光文社新書2016年)・・有益。

石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』

栗原康『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』(NHK出版新書、2021年)も参考になる。

 

宇沢弘文『社会的共通資本』

斎藤幸平『人新世の「資本論」』

適菜 収『自民党の大罪』祥伝社新書2024.8・・これはすごかった。1990年代の橋本内閣あたりから説き起こしている。

西部邁(すすむ)『保守の遺言』