Jmaes Setouchi
2024.9.8
法・政治・国際・教育
施光恒『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』集英社新書 2015年7月
1 施 光恒(せ てるひさ)1971年生まれ。政治学者。著書『リベラリズムの再生』など。
2 内容の一部を紹介する
第一章 日本を覆う「英語化」政策
ここでは、高校や大学、また財界や行政の場で英語化が進行している、それはよろしくなく、懸念すべき事態だ、と述べる。
第二章 グローバル化・英語化は歴史の必然なのか
ここでは、「グローバル化=英語化=進歩」という意識に対し反論する。中世には、ラテン語を読み書きできる聖職者たちと、土着語しかできない一般人とが、分裂していた。近代になって諸国民の言語で聖書が読めたり学術を行ったりすることができるようになった。それをまた、英語のできるエリートと、土着語しかできないノン・エリートとに、国民を分断することになりつつある。近代化ではなく中世化であり反動だ。このように著者は述べる。
第三章 「翻訳」と「土着化」がつくった近代日本
明治初期、森有礼は日本の近代化の推進のために英語で国づくりを進めるべきだ、と主張した。対して、アメリカ言語学協会(初代会長)のホイットニーは、母語を捨て外国語による近代化を図った国で成功したものはほとんどない、大衆を啓蒙するのは主として母国語で行うべきだ、と反論した。福沢諭吉も、森有礼の主張を書生の馬鹿な論議だと酷評した。馬場辰猪も、英語学習は若者の時間の浪費だ、英語公用語化は国の重要問題を論じることができる人を一握りの特権階級に限定してしまう、英語の公用語化は社会を分断し格差を固定する、国民の一体感を失わせる、と主張した。穂積陳重は、西洋の法律用語を日本語に翻訳することに努めた。大槻文彦は、新しく作られた翻訳語を含めた国語の辞書を作った。東京専門学校(早稲田大学)の高田早苗は、日本語で教育ができるように出版部を創立、早稲田叢書を創刊した。これらの翻訳を含めた日本語の発展が、明治近代化の成功のカギだった。21世紀の英語化は、近代化150年への冒涜である。このように著者は述べる。
第四章 グローバル化・英語化は民主的なのか
EU内部を見ても、グローバル言語が民主的正統性を損なっている。連帯意識は民主主義の前提条件だ。日常の言葉で政治を論じることは大切だ。言語の分断は格差を生む。福祉政策にも連帯意識が必要。自由そのものも言語が基礎にある。グローバル化は自由民主主義を破壊する。このように著者は主張する。
第五章 英語偏重教育の黒幕、新自由主義者たちの思惑
財界の意を受けた政府の主導でやみくもに改革が進められているのが現状だ。新自由主義者たちは、開放経済・規制緩和・小さな政府を主張するが、それはとてつもない格差社会化を招いている。日本でも1990年代以降の新自由主義政策の本格化で、派遣労働が解禁され、実質賃金が低下、金融資産を持たない世帯が急増した。新自由主義は世界市場を奪いにゆくものであり、国内に「黄金の拘束服」(トーマス・フリードマン)を着込み外資を呼び込もうとして政策の自由度を失い国民一般の生活基盤を不安定化するものだ。オール・イングリッシュの授業はビジネス上のニーズから来たものだ。TOEFLは民間団体だが数百億円の受験料が毎年日本からアメリカに流れることになる。子ども達は質の高い教育を受ける機会を奪われ日本人の愚民化は進む。このように著者は主張する。
第六章 英語化が破壊する日本の良さと強み
英語は単なるツール(道具)ではない。言語は知性、感性、世界観を形作ってきた。英語化は、日本らしさ、日本の良さ・強みを破壊する危険性をはらむ。例えば、①思いやり・気配りの文化、②ものづくりを支える知的・文化的基盤、③良質な中間層と小さい知的格差、④日本語や日本文化に対する自信、⑤多様な人生の選択肢などが破壊される。このように著者は主張する。
第七章 今後の日本の国づくりと世界秩序構想
英語が覇権的な言語として世界で力を強めていけば、日本だけでなく他の非英語圏の人々にとっても、非常に不利な国際秩序が作り出されてしまう。アメリカ、イギリス、オーストラリアなど英語を母語とする国々の国民が特権表現階級、英語を第二公用語として使うインド、マレーシア、ケニア、フィリピン、プエルトリコなどが中流表現階級、日本、ドイツ、フランス、中国、韓国、タイなどは英語を外国語として学ぶしかないので労働者表現階級となる、と津田幸男(筑波大)は警鐘を鳴らす。非英語圏は英語学習のために多大の労力を強いられる。それは不公正な世界だ。非英語圏の星だった日本が英語化を進めることは、不公正な世界の完成に手を貸していることになる。グローバルな正義の実現のためには、トービン税、地球資源税、国際的な資産税などで財の移転をするほかに、言語による不平等(ここでは英語による文化支配)を打破すべきだ。例えば日本語の世界標準語化を狙うのも一法だが、それは日本人の道徳観にはなじまない。日本が主張すべきは、棲み分け型の多文化共生社会だ。経済は内需中心型経済に回帰すべきだ。経済的移民が生じなくてよい世界を築くべきであって、外国人を安価な労働力として見るべきではない。(政治的難民受け入れとは別問題)。日本の国際貢献は、翻訳と土着化の国づくりのノウハウを提供・支援するかたちがよい。目指すべきは、非英語圏の人々が安心して日本人と同じくらい英語が下手でいられる世界の実現だ。このように著者は主張する。
おわりに 「エリートの反逆」の時代に
クリストファー・ラッシュ『エリートの反逆―現代民主主義の病い』は、グローバル化が進展すると、エリート層の存立基盤は新しく成立したグローバル経済になるため、エリートたちは各国の民主主義や一般国民の生活を脅かす存在となる、と主張した。アメリカはすでにそうなっており、日本もそうなりつつある。シンガポールは政治経済上の深刻な諸問題を抱えており、フィリピンは「グローバル化」=「アメリカ化」の結果どうなったかは明らかだ。私たちは、英語化に踊らされ、明治以降の先人の努力、将来の日本人を、自分たち自身を、裏切ってはならない。このように著者は結語する。
3 感想
日頃感じていることと近いことを言っている人がいた。この本は皆に読んで考えてもらいたい。山中教授も益川教授も「自分は英語ができない」と言っておられるが、ノーベル賞受賞者だ。もし彼らが高校大学の授業をすべて英語で受けていたら、それに多大のコストを取られ、ノーベル賞には達しなかっただろう。大学院の相当レベルまで日本語で勉強でき、専門分野だけ英語でやるから、ノーベル賞に届いたのであろう。英語化が日本以上に進んでいるフィリピンや韓国で学術面のノーべル賞が出ていないのはなぜか考えてみるとよい(金大中は平和賞)。あるいはまた、熱心に英語を勉強しても、「『大鏡』『愚管抄』や『史記』とヘロドトスやプルタルコスを比較して、歴史と文学は洋の東西においてどう違うかを論ずる」あるいは「仏教が外来で神道が土着と言うのは誤りだ、という問題について証拠を挙げながら論ずる」作業が、あなたは英語でできますか? と問われたら、模試偏差値75程度の英語力でどこまでできるのか、疑わしい。日本語で相当程度できる社会の方が皆の文化のレベルが高くなるのは明らかだろう。
なお、「日本の大学は国際ランキングが低い」と言う人もいるが、事はそう単純ではない。国際ランキングはしばしは他の論文への引用回数に依拠しているのであって、英語圏の研究者は日本語を読めないので日本語の論文は英語圏への引用点数が少なく、日本の大学の国際ランキングは実力ほど高くならない、対して英語圏の大学のランキングは実力以上に高くなる、という事情がある。日本の大学の研究レベルが低いわけでは決してない。特に何のための(誰のための)研究かと考えると、今現に生活している日本人(国籍がなくてもかまわない。この列島の住民)の幸福のための研究論文であって、世界ランキングのための研究論文ではないのだから気にしなくてよい、と言えば言える。みなさんは、これについて、どう考えますか?
念のために付言すると、戦時中は勤労動員優先で英語学習は後回しだった。敵の言語だから禁止されたとの見方もある。(江田島の海軍兵学校では、敗戦とアメリカの占領を見越して英語を教えていたと言う。)戦後は「ギブ・ミー・チョコレート!」から始まって英語を全国の中学校で教えた。それで全員が英語に堪能になったわけではないが、戦前の偏狭な国粋主義に比べれば、アメリカの文化や社会(インディヴィジュアルやデモクラシーを尊重し、フランクでフレンドリーな態度があり、人生を肯定していて、クリスティアニティーがある)に目が開けたことは、よかった、と私は考える。お蔭で風通しのいい社会になった。私も英語の勉強は好きだった。私は全ての英語の先生に感謝と尊敬の気持ちを抱いている。(「グローバル化=アメリカ化」ではないのであって、英語以外にスペイン語やアラビア語や中国語、またペルシア語やインドネシア語などアジアの諸言語を学習する人ももっといていいとは思うが。)また、外交や貿易などで英語を使って相手の嘘を見抜き高度な交渉のできる人が一定数以上必要なのも事実だ。各国語を翻訳できる人も必要だ。言うまでもないことだ。
これらについて、あなたはどのように考えますか? 身近な友人と深く話し合ってみましょう。(H30.6)
(国際・国際地域理解)
ムルアカ『中国が喰いモノにするアフリカを日本が救う』(アフリカと中国と日本)、勝俣誠『新・現代アフリカ入門 人々が変える大陸』(2013年現在の政治経済)、中村安希『インパラの朝』、中村哲『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』、パワー『コーランには本当は何が書かれていたか』、マコーミック『マララ』、サラミ『イラン人は面白すぎる!』、中牧弘允『カレンダーから世界を見る』、杉本昭男『インドで「暮らす、働く、結婚する」』、アキ・ロバーツ『アメリカの大学の裏側』、佐藤信行『ドナルド・トランプ』、堤未夏『(株)貧困大国アメリカ』、トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』、多和田葉子『エクソフォニー』、田村耕太郎『君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!』、伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』、高橋哲哉『沖縄の米軍基地』、岩下明裕『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』、東野真『緒方貞子 難民支援の現場から』、野村進『コリアン世界の旅』、明石康『国際連合』、石田雄『平和の政治学』、辺見庸『もの食う人びと』、施光恒『英語化は愚民化』