James Setouchi
2024.9.6
安田登『ウェイリー版・源氏物語』
NHK「100分de名著」テキスト2024年9月1日
1 安田登:1956~千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。HHK「100分de名著」シリーズで『平家物語』『太平記』も扱っている。
2 アーサ・ウェイリー1889~1966イギリス生まれの語学の天才。十数カ国語を解する。1925~1933年、『源氏物語』を英訳した『The Tale of Genji』(英語)を出し、『源氏物語』が世界に知られるきっかけをつくった。ドナルド・キーンはウェイリー訳で『源氏物語』に出会い魅せられ、日本文学研究者になった。
3 毬矢まりえ・森山恵:毬矢は俳人・評論家。森山は詩人・翻訳家。二人は姉妹。二人でアーサー・ウェイリー訳『The Tale of Genji』(英語)を現代日本語に訳し戻した『源氏物語 A・ウェイリー版』(日本語)(いわゆる「らせん訳」)を出した。
4 安田登『ウェイリー版・源氏物語』NHK「100分de名著」テキスト
アーサー・ウェイリーの名は知っていたが毬矢まりえと森山恵の「らせん訳」の方は不学にして存じあげなかった。このNHKテキストで購入して勉強になったので紹介する次第。すぐ本屋に行って購入し線を引きながら読まれることを薦める。面白い。税込み700円。
『源氏物語』の入門書ではない。『源氏』の英訳とその日本語訳(らせん訳)の紹介をする。
『源氏物語』は、平安時代の古文で書いてあり、当時の人びとにはわかったのかもしれないが、今の日本人が読んでもわかりにくい。
アーサー・ウェイリー訳は英語の読める人にとって読みやすい。なぜか。安田登によれば、
・主語を補ってくれている。
・敬語を省略している。
・平安時代の概念(文物や年中行事など)をイギリス人にわかる言葉に置き換えている。例えば「几帳(きちょう)」を「curtain」、「青海波(せいがいは)」を「Blue Waves」、「光源氏」を「the Shining One」など。
→これで西洋人にとって読みやすいものになる。
従って、これを日本語にした毬矢・森山のらせん訳も現代日本人にとって読みやすく、かつ独特の味わいがある。
・ウェイリー訳に基づいていてよみやすい。
・「curtain」を「カーテン」、「Blue Waves」を「<青海波>」、「the Shining One」を「シャイニング・プリンス」と訳す。有名な『桐壺』巻冒頭は「いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。」となる。このように、現代日本人(平安文化よりも西洋文化に近い)にとってわかりやすく、かつ異国情緒ただよう風情になっている。(なお、NHKテレビの方では、挿入される絵がどこか異国の雰囲気で描いている。実にうまい。)→原文に戻すところ、カタカナのままにするところ、をうまく訳し分けているということか。(JS)
原文、ウェイリー訳、らせん訳を比較すると、安田登によれば、
A ウェイリー訳・らせん訳の方が原文よりも優れていると思える箇所がある。
B ウェイリーが英訳しきれなかった箇所もある。
C 原文とウェイリー訳を並べて読むとより意味が豊かになるところがある。
Aの例は、「須磨」「明石」の嵐の場面。らせん訳では、「嵐の凄まじさや、皆が恐れおののいているさまがダイレクトに伝わって」くる表現になっている。他にもある。ウェイリー訳の世界の方が原文の世界よりも現代日本人の生きている世界に近い。ウェイリー訳には英文学などの「伝統や文化が重なり合って」いるので「原文よりさらに重層的になっている」。
Bの例は、「あはれ」「ゆゆし」などの訳。また古文ならでの文体や韻律も訳出しにくい。
Cの例は、「紅葉賀」の「青海波」のところ。
原文は「小高き紅葉の陰に、四十人の垣代(かいしろ)、言ひ知らず吹き立てたるものの音(ね)どもに・・色々に散りかふ木の葉の中より、青がい波のかかやき出でたる・・」。
ウェイリー訳は「When at last under the red leafage of tall autumn trees,forty men stood circlewise with their flutes,・・the Dance of the Blue Waves suddenly broke out in all its glittering splendor・・」。
らせん訳では「紅葉する大樹のもと、四十人のフルート吹きが輪をつくりました。彼らの笛の音に・・紅葉渦巻き、舞い散る中、光り輝く華麗さで躍り出たゲンジの<青海波>の舞い。・・」となる。
原文では「吹く」という「行為がそこにしっかりある」(安田)。
かつ、もみじは平安では黄もあり赤もあったはず。らせん訳では「渦巻き、舞い散る中」とする。「青がい波」のウェイリー訳はブルー・ウェイブス。→「レッドやイエローのもみじ渦巻く中からブルー、すなわちゲンジの舞が」「光り輝く華麗さで踊り出」る。「とてつもなく美しい」(安田)。原文とらせん訳の両方を読むことで「イメージが大きく膨らむ」(安田)。
また、『源氏物語』はそもそも中国の古典の引用をする、高麗人や渤海系の人(末摘花=スエツムハナ=は色白で鼻が長く大陸渡来の皮衣を着ている)が出てくるなど、世界文学と言えるが、ウェイリー訳は騎士道時代のヨーロッパのイメージ、ブロンテ姉妹、プルーストなどに通ずるものがある。シェイクスピアの『リア王』の嵐の場面や旧約聖書ノアの洪水(『須磨』の海岸のところ)、神のモーセへの預言(『須磨』で亡き桐壺帝が源氏の夢枕に立つところ)と重なるところもある。
安田登はこのようにウェイリー訳とらせん訳を紹介する。安田氏はもっと書いておられて勉強になる。ぜひ各自でお読みください。税込み700円でまずまず勉強できるのでおトクですよ。(ちなみに私は安田氏の関係者ではない。)
能楽師ならでは指摘もある。上記四十人の笛吹きが「吹く」という行為がしっかりある、と注目しているところなどは、さすがアクターだと感じた。黄色と赤のもみじの世界にブルーの青海波のゲンジが登場する、と色彩の注目するのも、舞台芸術をやっている人の視線だろう。
また、『紫式部日記』への言及もある。
もっと考察すべき点もある。上では触れなかったが、「ものあはれ」「あはれ」とは何か、などは古来考究されていて、そう簡単ではないはず。「世界文学とは何か」についてももっと考察することがありそうだ。『蛍』巻で源氏が玉鬘に語る物語論のところは安田氏も紹介しているが古来「物語とは何か」「文学とは何か」を考える重要な材料の一つなのでぜひ参考にしていただきたい。
補足
『源氏物語』原文が読める人はすごいが、そうでない人には
・谷崎潤一郎訳・・さすが谷崎の世界。
・与謝野晶子訳
・円地文子訳
・田辺聖子訳
・瀬戸内寂聴訳・・最近のものなのでよく読まれている。
・角田光代訳・・訳出途上。(R6.9現在)
・船橋聖一訳・・極めて短くしてある。上下2巻!
但し、「源氏は・・」と訳してくれている本であればわかりやすいが、源氏が出世するたびに呼び方が「皇子は」「中将は」「内大臣は」などと変化する本は(原文の雰囲気を伝えようとしているのだろうが)入門者にはわかりにくい。(注1)ウェイリーのは「Genjiは」だから読みやすい、ということだ。
入門書としては・・
・『ビギナーズ・クラシック源氏物語』角川ソフィア文庫・・入門用として最適。
・中学高校の時に使った国語便覧
次の本はいかがですか・・
・秋山虔『源氏物語の女性たち』・・秋山虔は東大文学部教授で当時第一者。桐壺更衣、紫上など女性一人一人を深く考察する。語彙のレベルが高い。
・瀬戸内寂聴『源氏物語の女君たち』・・こんなのもある。
・大塚ひかり『カラダで感じる源氏物語』『源氏の男はみんなサイテー』・・う~ん・・・
マンガなら・・
・学習漫画『源氏物語』各社にある。・・小学生用。
・大和和紀『あさきゆめみし』・・有名。ここから入る人があってもよいが、系図や官職・地位などメモを取って基本知識を増やしながら読む必要がある。男か女か区別がつきにくのでそれもメモを。(藤壺宮は女、匂宮は男など。)すると中学高校用国語便覧が便利、ということになる。
他にも入門書、学習参考書、専門書、焼き直し、ドラマなど多数。江戸時代には源氏のすごろくやかるた、錦絵、お香もあったとか。(注2)
注1:名前が年齢や立場に応じて出世魚のように変わるのはなぜか。ロジオン・ロマーヌウィッチ・ラスコーリニコフといった名前で一人の一貫した人格を示す考え方とは異なり、その立場に応じた役割を果たせばそれでいいという考え方なのだろう。5代目三遊亭なんとかとか、7代目木村正太郎とか、8代目市川何衛門など、要はその立場の役、務めを全うしてくれればいいのであって、その人の個性や個人としての好み、考え方などは関係ないよ、という思想だ。光源氏も立場によって大臣だったり准太上天皇だったりする。だが、同時に光源氏という、無類の強烈な個性でもある。ウェイリーは「Genjiは」と一貫した人格で訳出した。そこをどうとらえたらいいのだろうか。
注2:早稻田大でR6年10月に展示するそうだ。
さて、江戸時代は源氏物語など平安文学と漢文(特に後期以降は左国史漢つまり春秋左氏伝、国語、史記、漢書)とが古典として重要だった。明治以降ナショナリズムが台頭し中国文化を排斥する意図で「漢文の古典は日本の古典にあらず」という立場を取ったとき、源氏物語では軍国主義に合わないので、何かないかなと探したら江戸の契沖・真淵らも注目した万葉集があった。(額田王「熟田津に・・」の歌など、軍国主義にマッチした歌がある。)それで日本の古典と言えば万葉集だ、と万葉集が明治以降に再発見されせり上がることになった。だが、江戸までは万葉集よりもまずは源氏物語だった。(私が研究したわけではない。偉い先生が言っていた。)北村季吟や本居宣長は源氏物語を研究し注釈書を作った。和歌も二十一代集は古今集を範としているのであって万葉集を範としているわけではない。平安の、軍国主義的ではない、なよなよした、人間の内面を重視する、思いやりのある文化こそが長らく日本文化だったのだ。本居宣長は、「しきしまの大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」と、朝日を受けて咲く美しい桜花を「大和心」と言った。決して特攻隊で「散る桜」(軍歌「同期の桜」)ではない。
明治以降に江戸までの伝統文化・日本文化との断絶があるのだ。大日本帝国で「これが日本の伝統だ」と叫ばれたものは、軍国主義のために歪曲されたり捏造されたりしているものが結構ある。
「やまとだましひ」もそう(大江健三郎『北欧で日本文化を語る』)。
「正座」もそう。江戸期から一部にあったが、全国民階層に正座を押しつけたのは明治以降だ。光源氏は正座しない。千利休のお茶も正座ではなかった。
「靖国」もそう(もとは戊辰戦争で大村益次郎が作った東京招魂社)。
「明治武士道」もそう(菅野覚明『武士道の逆襲』)。
「武道」もそう(内田樹)。
「葉隠」も長く公開されなかったが公開され読まれたのはごく最近(小池嘉明『葉隠』)。
他にもある。「日本人なら米を食え」と言うが日常民百姓は白米など食えなかった。
なお、「白砂青松」と言うが海岸に松を植えたのは17世紀半ばから(財団法人日本緑化センター『身近な松原散策ガイド』)。もちろん松の木や松原自体は平安時代にもあったが、全国各地の海岸に松を植林したのは江戸時代に頑張ってやったのだ。風景ですら時代によって変わる。
あとから出てきたものを「これが日本の伝統だ!」と固定化して考えない方がいい。
むしろ日本人のエライところは、海外の文化を学んで吸収できるところにある。コメもウマも文字も学んで移入した。