James Setouchi
2024.8.20
ロシア文学 ショーロホフ『静かなドン』
横田瑞穂・訳 河出書房世界文学全集 24・25(1967年)
1 ショーロホフ 1905~1984 Михаил Александрович Шолохов
帝政ロシア末期にドン川流域のヴォーシェンスカヤに生まれる。父はロシア人で商店などの仕事をした。つまりコサックではない。母はコサックの娘。両親は家族の反対で正式に結婚しておらず、別の人と結婚させられていたが、その後父の養子となった。(これが『静かなドン』の主人公の結婚のいびつな形に影響を与えているかも知れない。)1917年以降の革命と内乱で、ショーロホフは赤衛軍の食糧調達関係の仕事をしたこともある。一時モスクワに出たが、故郷に帰り、長編小説『静かなドン』を書いた。1925年から1940年まで、15年かけた大仕事だった。この間コルホーズ運動や共産党、作家協会、ソヴェト最高会議の仕事などもしている。スターリン賞、レーニン賞などを受賞。1965年ノーベル文学賞受賞。ゴルバチョフ政権・ソ連崩壊よりも前に死去。(上記の本の解説ほかを参考にした。)
2 『静かなドン』Тихий Дон”
なぜ読もうと思ったか。有名な小説で名前だけは知っていた。知人(ロシア系)が読んでいて「面白い」と言っていた。私はロシア文学についてドストエフスキーをはじめ下手の横好きなので、この際と思い、読んでみた。本屋に売っていなくて、図書館の古い全集を借りだした。ゴキブリの幼虫がいた。昔は有名だったが、今や誰も借りる人のない本だ。本文だけで、二段組みで第1巻が746頁、第2巻が838頁、合計1600頁位ある。超巨大長編だ。すぐには読めない。多分今の若い人には無理。桑原武夫の解説に「革命後のロシア文学界の最高傑作とされている」とあるので、それを励みに読んだ。南ロシアの小さい村の名前など知らないので、各部隊がどう移動したかなどはよく理解できないが読み飛ばすことにした。
何とか一読した。ある程度以上面白くはあった。主人公の家族や恋愛模様の所は面白い。複数の政治的立場が出てくるのも考えさせる入り口にはなる。ドン地方の自然とコサックの暮らしは活写されている。但し思索は深くない。ボルシェヴィキが出てくるが、全肯定はしていない。この点いわゆる共産党の御用作品というわけではない。だがその人間的矛盾を深く掘り下げてもいない。ソ連時代だからこれ以上書けなかったのか。ドストエフスキーには遥かに及ばない。むしろ生き生きと描かれているのは、コサック出身の兵士・グリゴーリーや、その恋人や家族だ。グリゴーリーは「人間存在って一体何なのだ」「なぜこんなに長い間戦い続けているのか」「一体自分は何をしているのか」といった問いを持つ。問いを持ちつつ戦場に出かけては相手を殺し、最後は追い詰められていく。一応この問いはある。だが、その問いも非常に深くは掘り下げられない。通俗小説の域を出ない。作家・ショーロホフは、ソ連建設中の共産党員でもあり、これくらい書くのが精一杯だったのか。だが、ドン地方のコサックの自然の中の生活については活写している。コサックの民謡も多く出てくる。馬についてもよく描いている。作者はドン・コサックの生活に強い愛着を持って書き、読者もそこに郷愁を持って読んだのだろうか。
ドン川:北から南に流れ、アゾフ海に流れ込む。モスクワよりも南東部、ウクライナの東。ヴォルガ川とば別の川だが、現在はヴォルガ・ドン運河で結ばれている。「静かなドン」と言うが、本作ではドン川流域は戦乱の舞台であり、静かではありえなかった。でも本来はドン川流域に人びとの静かな落ち着いた生活があってしかるべきだった、と作者は言いたいのだろうか。
コサック:南ロシア、ウクライナ、シベリアなどで活躍した、騎馬に巧みな戦士集団。ロシア語で「カザーク」とは放浪者、冒険者の意味。半農半牧で武装し、歴史上しばしば反乱を起こした。
ドン・コサック:ドン川流域のコサック。ロシア帝政末期には、ロシア皇帝への服従を誓い、赤色革命に対しては、ドン・コサックが反革命に立ち上がった、と本作では描いている。
どこまでが史実か、知らない。最初は第1次大戦でドイツと闘っている。コサックは騎馬兵で剣も持つが銃も持つ。機関銃や大砲、毒ガス、飛行機、爆弾まで出てくる。戦闘は悲惨だ。やがてロシア革命が起こり、赤軍対白軍、ドン・コサックの独自の動き、外国勢力の介入もあり、内戦は泥沼化。長期の戦乱に、厭戦気分が広がる。物資(食糧や塩など)も不足する。馬も足りない。その不足物をまた権力者が調達に来る。誰が政権を取っても、結局奪われる。ドン・コサックは自立したい。自分たちの土地を作物を馬を誰にも奪われたくない。だが、結局は奪われ敗北していく。近隣同士の殺人や放火も起こる。戦闘の描写が延々と続き、私はうんざりした。やはり戦争も軍隊も要らない。要るのは食糧だと再実感。(舞台はウクライナの近く。ロシア・ウクライナで今でも愚かな戦争をいつまでも続けているのは残念だ。兵器よりも食糧を!)
赤色革命を全肯定する作品とは見えない。ボルシェヴィキのミシカ・コシェヴォイは非人間的で残虐だ。ミシカ・コシェヴェイが村にやってきて金持ちのコルシューノフの家に放火し、その家族を殺害した。近所の人が近所の人を殺す。非常に残酷な事態になっている。ここだけ読むと、赤色革命は非人道的だからダメだ、と言っているようにさえ見える。(ソ連当時ボルシェヴィキを批判しているようにも見える本作でありショーロホフだが、レーニン賞やスターリン賞をとったと言う。詳しい事情は知らない。)
これに対して、ミチカ・コルシューノフはミシカ・コシェヴェイの家族に対して報復をする。これも非情な行為だ。
両者を両極端とすれば、コサックのグリゴーリーは、少なくとも家郷の者に対しては残虐非道なことができない人間だ。グリゴーリーの方が人間的だ。グリゴーリーは路傍で死んだ老人を葬ってやる優しさを持つ。もちろんグリゴリーは短気で、後先考えずに喧嘩をし、戦場では敵を非情に殺害する。政治的には白軍についたり赤軍についたり、どっちつかずで揺れているように見える。だが、その聖人君子ではなく感情的で揺れる立場を作家は敢えて描き込んでいるのであって、グリゴーリーは人間の顔をしている。グリゴーリーは、政治的には右往左往しているように見えながら、一貫してドン・コサックの故郷と人びとに愛着を持ち、そこを守りたいと願っていた、とは言えそうだ。
田舎の村の朴訥な生産者たちの生活が一番大事、という主張かと思えば、ことはそう簡単ではない。冒頭、パンテレイの父親が花嫁をトルコから連れて帰ったとき、田舎の人びとは彼女を魔女と見なし殺してしまう。この冒頭は衝撃だ。この狭い村の人びとは、異質な存在を許容せず殺してしまう、偏狭な暴力性を持っているのだ。これを冒頭に持ってきて、それが最後まで利いているとすれば、コサックの田舎の素朴な暮らしを全肯定しているわけでもない、となる。偏狭な田舎の暴力性。帝政ツアー権力の暴力性。ボルシェヴィキの暴力性。主人公グリゴーリーのとどまるところを知らない暴力性。本作は(この時代は、と言うべきか)暴力に満ちている。最後は、家郷が敗者として占領される。主人公は一揆的反乱に出るが、仲間が次々と討ち取られ、やがて敗北していく。辛うじて家郷に辿り着くグリゴーリー。幼い息子と辛うじて再会した。そこに一縷の希望を託して作品は終わる。
本作は、ソ連成立以降の内戦を、破れた白軍とドン・コサックの側から描く。これは、南北戦争を南の側から描き(『風と共に去りぬ』)、戊辰戦争を破れた会津や長岡の側(司馬『峠』など)から描き、西南戦争を敗れた西郷軍の側から描く(司馬遼太郎『飛ぶが如く』)のと同様だが、中身がどう違うか。
(登場人物)(かなりネタバレあり)
メレノフ家
パンテレイ・プロコーフィエヴィッチ・メレノフ:コサックの農民。土地はある。かつて皇帝の近衛コサック中尉を務めた。その栄光を誇っている。無学だが子どもに誇りを持つ。実は父親が露土戦争でトルコ人の妻を連れてきた、その子。ゆえにトルコ系の独特の風象をしている。母親は偏見によって村の者に殺された。
イリーニチナ:その妻。
ペトロ・パンテレーヴィッチ・メレノフ:その長男。皇帝のコサック兵士となり戦うが、内戦の途中で赤衛兵のミシカ・コシェヴェイに殺される。(なお、パンテレーヴィッチとは、パンテレイの息子、という意味。)
ダーリヤ:その妻。夫の死後、ふしだらな噂が・・(なお、名前はダーリヤだが、略称はダーシャ、愛称はダーシェンカ、ダリューシカなどの言い換えがある。「真理子」を「まりちゃん」「まりっぺ」「まーりー」と呼ぶようなもの。)
グリゴーリー:次男。父に似てとんがった性格。皇帝のコサック兵士として対ドイツ戦線で戦うが、ロシア革命の混乱の中で一時赤衛軍に入る。が、ソヴェト・赤衛軍の横暴に反抗してドン・コサックの反乱軍に入り指揮官として活躍。反乱軍が敗れ海外亡命の選択肢もあったがこれを拒否、再び赤軍に入り勤務。が、過去を問われ再び脱走、反乱軍に加わるも、やがて追い詰められて・・
ナターリア:その妻。グリゴーリーが隣家の人妻・アクシーニャと関係を持ったことに激怒した父親が、金持ちのコルシューノフ家から貰ってきた。貞淑な妻で献身し子どももできるが、ついにグリゴーリーの愛を勝ち得られなかったため・・
ドゥニャーシカ:メレノフ家の娘。少女で健康。やがてボルシェヴィキのミシカ・コシェヴォイと(親の反対を押し切って)恋愛結婚し、兄と夫との関係に苦しむ。
アスターホフ家
ステパン・アスターホフ:メレノフ家の隣家。ステパンはDVをする夫。妻のアクシーニャがグリゴーリーと関係し、メレホフ家と険悪な状態に陥る。
アクシーニャ:その妻。魅力的な女。夫が留守の間にグリゴーリーと愛し合い、駆け落ちする。駆け落ちした先のお屋敷の息子でエリート士官のエヴゲーニー・リストニーツキーと関係を持ってしまうが・・
コルシューノフ家
グリシャカ爺さん:隠居した祖父。古き良き帝政ロシアに郷愁を持つ。グリゴーリーにエレミヤ書を語るがグリゴーリーは年寄りの繰り言としか考えない。ボルシェヴィキのミシカ・コシェヴォイに聖書エレミヤ書やイザヤ書の聖句で説教をするが、相手にされず、殺害される。(ドストエフスキーならここを掘り下げるだろう。ショーロホフは掘り下げない。これがソ連の無神論者たちの文学の限界なのか?)
ミロン・グリゴリーエヴィッチ・コルシューノフ:富農。彼なりに努力して身代を築いた。が、ボルシェヴィキ政権により全てを奪われ殺害される。
ルキーニチナ:その妻。
ミチカ:その息子。金持ちの娘に暴行する。皇帝のコサック兵となり出世、赤軍と闘う。ボルシェヴィキのミシカ・コシェヴォイに復讐するため、その家族を殺し家を焼く。
ナターリア:その娘。グリゴーリーの妻になる。(上述)
そのほかの人物
プローホル:グリゴーリーの伝令。戦場で行動を共にしてきた。
エヴゲーニー・リストニーツキー:名門の軍人の一族の若者。アクシーニャに手を出す。
シュトックマン:ドイツから来た鉄工。部落にボルシェヴィキの組織を作る。
ミシカ・コシェヴォイ:貧しいコサック。ボリシェヴィキとなり赤衛兵として活動。村の富裕層を襲い殺害・放火する。メレホフ家のドゥニャーシカと恋愛結婚するが・・
イワン・アレクセーヴィッチ:工員。ボルシェヴィキとなる。
イリヤ・ブンチューク:ボルシェヴィキ。同志のアンナと恋に落ちるが・・
アンナ・ポグートコ:ボルシェヴィキの戦士。ブンチュークと恋に落ちるが・・
ケレンスキー:ロシア革命後の臨時政府の長。コルニーロフ将軍のクーデターで政権崩壊。
コルニーロフ将軍:帝政ツアーの復活を願う将軍。復古派に人気がある。軍事クーデターを決行するが・・
クラスノフ:ソヴェト政権に対抗する大ドン軍の長。
フォミン:本作では最後のあたりでソヴェト政権に叛旗を翻す。グリゴーリーと行動を共にするが敗退し・・