James Setouchi

 

ドストエフスキイ『貧しき人びと』(再) 木村浩・訳 新潮文庫 

 

1 作者 ドストエフスキイ(1821~1881)

 19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、’48年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。この時持病の癲癇が悪化した。出獄すると『死の家の記録』等で復帰。’61年の農奴解放前後の過渡的矛盾の只中にあって、鋭い直観で時代状況の本質を捉え、『地下室の手記』を皮切りに『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』等、「現代の預言書」とまで呼ばれた文学を創造した。(新潮文庫カバーから。)

 

2 『貧しき人びと』

 岩波文庫『新版ロシア文学案内』(藤沼・小野・安岡の共著)(2000年4月)から引用する。「ドストエフスキイ文学の原点をなす作品で、彼が二四歳の時に完成しました。ペテルブルグの下町でひっそりと暮らす若い女性ワルワーラと、彼女をかげながら見守っている中年の下級官吏ジェーヴシキンの、往復書簡の形をとった中編小説で、長編(ロマン)と呼ばれることもあります。」「この小説にはドストエフスキイ文学の『芽』が全部ついていました。無垢な幼い日を過ごした田舎をなつかしむヒロイン、不当に辱められた貧しい都市住民の暮らしのリアルな描写、などはのちの多くの作品に共通するものですし、・・ブィコフポクロフスキイの学資を出していた―それは実は彼の隠し子だったことを意味し、彼は息子ポクロフスキイの愛した娘を餌食にするという、うかつに読めば気づかないスリラーもどきの因縁話を仕込むのも、終生かわらぬドストエフスキイの好みです。そして若く美しい女はそれなりに真摯に男に対するとしても、結局命がけで愛し、立ち直れないほど傷つくのは男にきまっていると、ドストエフスキイは信じています。」

 

(参考1)ペテルブルグはロシアの都。ソ連時代のレニングラード。今のサンクト・ペテルブルグ。市内をネヴァ川が流れフィンランド湾に注ぐ。ピョートル大帝は、1703年にここに軍事要塞を建設、1712年ここを首都とした。都市建設のために多数の犠牲者を出し、新しい町は人骨の上に建てられたと言われるほどだった。モスクワと並ぶ大都会。農奴解放令後食い詰めた解放農奴たちが集住し、貧富の格差は大きかった。ドストエフスキイの小説『罪と罰』の舞台もここ。ソ連(首都はモスクワ)崩壊後再びここが首都になっている。

 

(参考2)ドストエフスキイは『貧しき人びと』から読むと入りやすい。読書量があってサスペンスを好む人は『罪と罰』からでもよい。『罪と罰』が読めればたちまちはまって『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』などどんどん読めるだろう。『地下室の手記』なども短いが、入門者にはお薦めしない。

 

(参考3)『貧しき人びと』で少し有名になったドストエフスキーだが、社会主義の勉強会に参加し帝政ツアーの権力により捉えられ、死刑判決を受ける。銃殺刑の寸前、恩赦によってシベリア送りとなる。シベリアで長年過ごしながらドストエフスキーは思索を深め、やがて『罪と罰』などの傑作につながっていくことになる。『貧しき人びと』は、死刑判決とシベリア送り以前の作品だが、貧しく無力な人に寄せるドストエフスキーの優しい心情は当初から現われており、ドストエフスキーの原質を示す作品だと私は考える。

 

(文学系統)渡辺一夫『曲説フランス文学』、加賀乙彦『小説家が読むドストエフスキイ』、江川卓『謎とき『罪と罰』』、モーム『世界の十大小説』、池澤夏樹『現代世界の十大小説』、斎藤茂吉『万葉秀歌』、秋山虔『源氏物語の女性たち』、柳父章『翻訳語成立事情』、色川大吉『明治精神史』、古川愛哲『「坊っちゃん」と日露戦争』、亀井俊介『ナショナリズムの文学』、小森陽一『世紀末の予言者 夏目漱石』、関口安義『芥川龍之介』、吉本隆明『悲劇の解読』・『抒情の論理』、丹治昭義『宗教詩人宮沢賢治』、川端康成『美しい日本の私』、大江健三郎『あいまいな日本の私』、桑原武夫『第二芸術』、北村紗衣『批評の教室』など。