James Setouchi
第65回芥川賞作品(R3=2021年夏)
[1]李琴峰(りことみ)『彼岸花が咲く島』
1 李琴峰:1989年~。台湾出身。アニメ『コナン』などで日本語を学び始めた。早稲田大に留学。台湾大学卒業後2013年来日し大学院へ。日本で就職、独立。日本で日本語で生活している。他に『独舞』(第60回群像新人賞)など。
2 『彼岸花が咲く島』
大変面白い。引き込まれて一気に読まされてしまった。何より、島の少女、游娜(ユナ)の話し言葉が面白い。「リー、ニライカナイより来(ライ)したに非(あら)ずマー?」「リー、名字(ミンズ)はなにヤー?」など、台湾語と琉球語と日本語を足してクレオール言語のようにした不思議な言葉で話す。場所はどこか、台湾より東、沖縄より西の小さな島のどこか。時代設定は不明だが、読んでいると(ネタバレだが)近未来のいつかだとわかる仕掛けになっている。これはパラレルワールド、もしくは近未来ファンタジーノベルであるに違いない。描写も、南西諸島の強烈な色彩の植物、海、ウタキなどが魅力的だ。
引き込まれて読むうち、しかし扱っている内容は、かなりハードなテーマだということに気づく。神(理想郷)は実在するのか。戦争を起こすのはだれか。歴史と伝承を担うのはだれか。男と女の役割は。日本と中国の周辺に位置して、いかに生きのびるか。野心的な作品だとわかる。
芥川賞選考委員の中に批判的な意見もあった。「大ノロによって語られる秘史があまりに大味で、政治を描きつつ、政治的に最も困難な問題について書かれていない点が残念」(平野啓一郎)、「語られる島の歴史が、あまりにもマン・ヘイター的」(山田詠美)。確かにそういう難点はある。もっと社会科学と人権を勉強すべきだ。だが、超大国と男性の支配・抑圧から逃れいかに生きのびるか? それは可能なはずだ、という問いかけは、真剣だ。皆で読んで、話し合ってみたい作品の一つだ。
[2]石沢麻衣『貝に続く場所にて』
1 石沢麻衣:1980年~。仙台市生まれ。東北大学大学院に学ぶ。専攻は美術史。大学時代に東日本大震災に遭遇。2013年ゲッチンゲン大学に留学。2015年からドイツ在住。本作が第64回群像新人賞。
2 『貝に続く場所にて』
ドイツのゲッティンゲン(月沈原)が舞台。東日本大震災から9年、コロナ禍のゲッティンゲンの街 に、死者と生者が交錯し、過去(歴史)の断片が蘇る。東日本大震災の痛みを何とか小説化しようとした作品、と言うべきか。
さらに、ゲッティンゲンは、中世のキリスト教の巡礼者の休む教会の街、ユダヤ人の連行された街、空襲で破壊された街でもある。
寺田寅彦らしい人物が登場し、東日本大震災で津波にのまれた野宮が幽霊となって現われる。同居者アガータの犬ヘクトーは、近所の森を散歩しては地下から様々な物を掘り当てるが、それらはそのまま東日本大震災で失われた人びとの家財であるに違いない。ヘクトーもまた幽霊犬であるのだろう。
またここには太陽系の縮尺模型を配置した「惑星の小径」がある。
この街は、過去と現在、宇宙と地下、森と海、ドイツと日本、生と死の交わる不思議な場所なのだ。聖女ルチアやカタリナ、アガタ、ウルスラらの名を持つ友人たち。それぞれが痛みを抱えている。
語り手は東日本大震災を経験したが直接地震や津波、また原発事故で家族や家を失ったわけではない人物。今はゲッティンゲンで美術史を専攻する大学院生という設定。中世の宗教画に関する知識が素晴らしい。(近所の聖ヤコブ教会は巡礼教会とも呼ばれる。聖ヤコブの眠る地、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道すじに、この街はある。巡礼者たちは通行手形として帆立貝の殻を用いた。幽霊犬ヘクトーが地下から帆立貝をいくつも掘り出す。それは東北の海の記憶と繋がっている。題名『貝に続く場所にて』はここから来ている。