James Setouchi

 

田中康夫『なんとなく、クリスタル』『33年後のなんとなく、クリスタル』

 

 田中康夫 1956~。

 東京都生まれ、長野県で育つ。一橋大学法学部卒。1980年(昭和55年)『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。作家活動のほか、長野県知事、国会議員などを務めた。小説『ブリリアントな午後』『オン・ハッピネス』、評論『ファデッィシュ考現学』『たまらなく、アーベイン』他がある。(河出文庫の著者紹介などを参照した。)

 

2 『なんとなく、クリスタル』1980(昭和55)年発表。

 作者は当時一橋大学法学部の学生で、しかも二枚目の格好いい青年だった。本作で、豊かな東京で華やかな男女交際を楽しみつつもどこか空虚で「クリスタル」な学生たちの姿を描いて一躍有名になった。これこそ現代の若者を捉えた作品だという評価もあれば、ただ都会の流行文化とふしだらな男女交際を描いただけではないかとする評価もあった。

 

 作者・田中康夫はその後、阪神大震災ではバイクに乗ってボランティアに走り回る。それは単なる売名行為ではなく、真剣なものであったようだ。やがて彼は長野県知事となり「脱ダム宣言」をはじめ人々の驚く政策を次々と実施、国会議員にもなる。2011年の東日本大震災でも放射能の高い南相馬市に行って物資を救援したりした。(もちろん彼の政策には賛否両論ある。2019年5月現在は国会議員に落選している。)

 

 これらの経緯から逆算してみると、『なんとなく、クリスタル』はどうやら、ただの遊んでいる大学生たちを描いた作品ではなかった。この作品には膨大な注がついている。この注をよく読むと、当時の東京の文化や社会に対する批評に充ちていることがわかる。田中康夫は初めから、社会や政治に対して「これでいいのか?」と問う意識が高かった。近年はこういう評価が多くなっているようだ。

 

3 『33年後のなんとなく、クリスタル』2013(平成25)~2014(平成26)年発表。

 

 『なんとなく、クリスタル』の続編と言える。当時大学生だったヤスオや由利、江美子たちは、33年の歳月を経て、それぞれに成熟した大人になっている。

 

 ヤスオ(田中康夫に限りなく近い人物)は政治家としての経験を経て今は著述を通じて社会に発信をしている。女性たちは、それぞれに仕事、結婚、子育て、離婚などを経て、各自の場で何とか生きていこうとしている。

 

 33年前に友人(あるいは恋人)同士だったヤスオや女性たちが久しぶりに再会し、語りあい、あるいは往年を懐かしみ、もしかしたら恋が再燃するかも…? と思わせながら物語は続いていく。

 

 その中に、社会の中で(あるいは人生で)何ができるか? が問われ、語られる。

 

 彼らには彼らの成熟があり努力がある。この作品は、一見東京のお金持ちのマダム達の交遊録に見えて、実は大真面目な現代社会論なのであった。出生率と移民、阪神大震災、長野における脱ダム、東日本大震災時の放射能下における報道や救援活動、子宮頸がんワクチン、南アフリカのエイズなどについても言及がある。

 

 印象深い言葉、「出来る時に出来る事を一人ひとりが出来る限り」。「世の中、捨てたもんじゃないと思える瞬間を求めて、一人ひとりが踏ん張り続けるしかないんだよ。」(p.140)「きっと、いろんな壁が待ち受けているんだろうな。でも、それは私だけに限ったことじゃない。だから、これからも私、歩んでいくんだわ。他の人からは、同じ場所に立ち止まっているようにしか見えなくとも……。うん、そうよ、身の丈に合った自分の生き方で、歩んでいくのよ」(p.276)

 

 『なんとなく、クリスタル』と合わせ読むべきであろう。『なんとなく、』の方は1980年、すなわちバブル直前の日本が貿易黒字で経済的に豊かだった時代、『33年後の』の方は2013~14年、いわゆる円高デフレが続き日本はもう豊かになれないと感じているところに東日本大震災が起きて大ショックを受けている時だ。この33年間で昭和(~1989)は終わり平成(~2019)も終盤にさしかかった。平成が終わり令和となった今、過去を振り返りつつも未来に向かって立ち上がるために、一読してもよい作品だと私は考えた。

 

 巻末の註も勉強になる。例えば、p.242「ウチのお兄ちゃん」に関する注で、福沢諭吉に言及する。福沢は「従来から国家主義・帝国主義的側面を批判されていた」が、「豈図らんや『新自由主義』の嚆矢とすべきではないか」の論争がある、と田中康夫は述べる。TPP、人口減少、移民、消費税などについても言及があり、現代社会(政治経済)の勉強になる。               (R1.5記)

 

(政治学、法学)

丸山真男『日本の思想』、石田雄『平和の政治学』、高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』、橋場弦『民主主義の源流 古代アテネの実験』、湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』、小林節『白熱講義! 日本国憲法改正』、木村草太『憲法の創造力』、松元雅和『平和主義とは何か』、高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』、伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』、林信吾『反戦軍事学』、岩下明裕『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』、石破茂『国防』、兵頭二十八『東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる』、中島武志・西部邁『パール判決を問い直す』、西部邁(すすむ)『保守の遺言』、田中森一『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』、読売新聞社会部編『ドキュメント検察官―揺れ動く「正義」』、原田國男『裁判の非情と人情』、秋山健三『裁判官はなぜ誤るのか』、長嶺超輝『裁判官の爆笑お言葉集』、志賀櫻『タックス・ヘイブン』『タックス・イーター』、大下英治『小説東大法学部』(小説)、イェーリング『権利のための闘争』、大岡昇平『事件』(小説)、川人博『東大は誰のために』、川人博(監修)『こんなふうに生きているー東大生が出会った人々』、加藤節『南原繁』、三浦瑠璃『「トランプ時代」の新世界秩序』、池上彰『世界を動かす巨人たち<政治家編>』『世界を動かす巨人たち<経済人編>』、堤未果『政府はもう嘘をつけない』『日本が売られる』、植草一秀『25%の人が政治を私物化する国』、東京新聞社会部『兵器を買わされる日本』、金子勝『人を救えない国』、五野井郁夫他『山上徹也と日本の「失われた30年」』などなど。