James Setouchi

 

 石川達三『悪女の手記』新潮文庫

 

1 石川達三

 1905~1985秋田県横手の生まれ。東京、岡山県高梁などで育つ。早大英文科中退。1930年移民船に乗りブラジルへ。1935年移民の実態を描いた『蒼氓(そうぼう)』で第1回芥川賞。日中戦争開始時南京事件を扱った『生きている兵隊』。他に『風にそよぐ葦』『人間の壁』『青春の蹉跌』『四十八歳の抵抗』『悪の愉(たの)しさ』など。最も有名な作家の一人。(新潮社の作家紹介などから)

 

2 『悪女の手記』(ネタバレします)

 昭和31年『小説新潮』に連載、新潮社から刊行。作者51歳の時の作品。

 

 語り手喬子(たかこ):女性。水沢と恋をし妊娠するが水沢に捨てられ自殺未遂。たまたま救助され、一児信彦を出産、自力で育てることに。男全般に対する復讐と生活のため、今度は男を欺こうと決意し、映画館社長の平出、医学出版社社長の田宮老人と関係を持つ。田宮の息子の詩郎を愛するに至るが、またも裏切られ、傷害を加え逮捕される。その弁護をかつて自分を捨てた水沢弁護士がするというので、自己の半生を手記にして語る。

 

喬子の母:学者の愛人で喬子を産むが捨てられる。

水沢:かつての喬子の恋人。喬子を妊娠させるが家庭の事情を口実に喬子を捨て他の女性と結婚。弁護士となり今喬子の弁護をしようとする。

平出:喬子が関係を持つ男。喬子のかつての恩師の夫。映画館主人。男らしいが動物的。

田宮老人:喬子が関係を持つ老人。医学出版会社社長。上品な紳士。喬子を真剣に愛する。

田宮詩郎:田宮老人の息子。文部省の役人。最初は喬子を批判するために現われたが、やがて二人は相思相愛になる(かに見える)。が結局は喬子を捨てる。喬子は怒って傷害に及ぶ。

 

3 コメント

 『青春の蹉跌』(昭和43年)は男のサイドから見た話だが、『悪女の手記』は女のサイドから見た話だ。どちらの小説でも、男が女と関係を持ち、女は妊娠するが、男は社会的成功のために「良家の子女」と結婚し、女を捨てる。『青春の蹉跌』では男は女を殺害し破滅する。『悪女の手記』では男は逃げ、捨てられた女は苦しみの中で生きていく。捨てられた女の、生活の必要のため打算的に男たちと関係を持つが、しかし意地もあり恋心もある女の内面を描いてある。男を騙すのは悪い、と自覚しつつ、最後は男を信じて裏切られる、純情な女の話だとも言える。

 

  喬子は父親に認知されない息子を抱いて、女給でもなく妾でもなく自由な愛人の立場で生きていこうとする。男性上位の社会の中で、しかも子どもと母親を抱えて、彼女にできることは少なかった。(現代のシングルマザーも生きづらい。)写真の技術を覚え写真館を開こうかという希望があることはあった。この話は、男と女の話であると同時に、男上位の世の中で何とか自由に自分の力で生きてみようともがく女の話でもある。

 

 あくまでも女の目線からの語りなので、男が本当はどう考えていたのかは、わからない。特に水沢弁護士の本心は分からない。田宮詩郎については、『青春の蹉跌』をインデックスとして読むと、婚約者と喬子との間で(理性と情熱との間、意思と運命との間でもある)矛盾を感じながらも欲望に負けてしまった、ということだろうか。

喬子は自死するために遺書としてこの手紙を書いているのだろうか。漱石『こころ』の「先生」の遺書と同様に。そうであるとして、喬子を生かしえなかった現代社会のシステムや男たちのエゴへの批判の書でもあるだろう。