James Setouchi

 

野上弥生子『海神丸』『茶料理』『大石良雄』

 

1      野上弥生子 1885~1985

 大分県生れ。作家。家は醸造家で自由党とも関係がある。明治女学校に学ぶ。野上豊一郎(英文学者、能楽研究者)の妻。巣鴨近辺に住む。平塚雷鳥の『青鞜』とも近かった。代表作『海神丸』『大石良雄』『真知子』『迷路』『秀吉と利休』など。なお、夫の野上豊一郎と共に漱石に連なる。(集英社日本文学全集の年譜から)

 

2 『海神丸』大正11(1922)年発表。

  海神丸は東九州の港を出帆した。荷を運ぶ、65トンの帆船だ。船長の他に乗組員は三人。一癖ありげな八蔵、のんびりした五郎助、若い三吉。やがて船は真冬の風と波に流され、暴風雨の中で帆を失い、太平洋を漂流する。食料と水が尽きる。四人の中に人間ドラマが繰り広げられる。金比羅様を祈る船長。不平不満のある八蔵。八蔵に流される五郎助。若い三吉は船長の甥っ子だ。そしてどうなるのか。悲劇が起きる。描写は迫真的。恐るべき内容を描いた作品だ。船員たちの方言もリアリティを加える。

 

 (以下ネタバレになるが、)

 飢餓状態と人肉食を描いた作品はいくつかある。大岡昇平『野火』は戦時中の日本兵の飢餓と人肉食を扱う。辺見庸『もの食う人々』(ノンフィクション)にもいくつかの記事がある。野上弥生子の『海神丸』は実話をもとにした話らしい。野上作品は、限界状況に追い込まれた人間の罪深さを見据えつつ、ギリギリのところで人間に希望を見ようとしている、と私は感じた。それは野上弥生子が明治女学校で学んだキリスト教および西洋思想からつかみ取った何かと関係があるのではないか、とも感じた。

 

3 『茶料理』大正14(1925)年発表。

 (ややネタバレを含む。)

 建築家の依田は外国行きを目前に控えた男だ。妻子ある依田だが、依田には学生時代の強烈な思い出があった。それは、学生時代の下宿にいた女学生・久子との思い出だ。当初依田には、久子は無礼でぶっきらぼうな生徒に見えた。だが、あることを境にその印象は変わった。やがて依田はその下宿を去り、久子とは音信が絶え、・・・

 

 それから十数年後、外国行きを控えた依田に、突然久子から連絡が入る。二人は上野東照宮近くで再会した。鶯坂から根岸に行き静かな茶室で向かい合う、大人になった二人。そして・・・

 

 短編小説。久子の語る、友人・つね子の悲恋と、久子自身の初恋とが、二重写しになる。

 

4 『大石良雄』大正15(1926)年発表。

 忠臣蔵の討ち入りの中心人物である、もと赤穂藩家老・大石内蔵之助(くらのすけ)を描く。

 

 と言っても、強烈な意志と深謀遠慮を持って一党を率い事を成功に導いた真のリーダー、というわけではない。京都郊外の山科に隠棲し、庭の牡丹を愛し、優弱で、いっそこのまま吉良上野介に対する討ち入り(主君の仇討ち)をせずにすめばいいとさえ考える大石だ。

 

 彼の周りには、討ち入りに対して消極的なグループ(代表は叔父の小山源五左衛門)もあれば、積極的なグループ(最も急進的なのが江戸の堀部安兵衛たち)もある。長老の吉田忠左衛門はどう動くのか。彼らに挟まれ、あるいは反発し、あるいは巧みに誘導され、運命の定める討ち入りへと運ばれていく大石の心理を、この小説は描いている。彼の妻は討ち入り推進を当然と考えており、しかも十五歳の松之丞(のちの大石主税=ちから。討ち入り後伊予松山藩に預けられ切腹となる)を同行させるのを当然と考えている。『忠臣蔵』に独自の視点を当てた小説。芥川龍之介『或る日の大石内蔵助』(大正六年)に対抗して書いたと言われる。

 

 なお、ボルヘスの短篇にも『忠臣蔵』に触れたものがある。