James Setouchi
谷崎潤一郎『卍(まんじ)』新潮文庫他にある
1 作者 谷崎潤一郎 明治19年(1886年)~昭和40年(1965年)。作家。
日本近代を代表する文豪の一人。代表作『刺青(しせい)』『異端者の悲しみ』『痴人の愛』『卍(まんじ)』『蓼(たで)食う虫』『芦刈(あしかり)』『春琴抄』『少将滋幹(しげもと)の母』『鍵』『瘋癲(ふうてん)老人日記』等多数。評論『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』や、『源氏物語』の口語訳でも有名。東京生まれ。東京帝大国文科中退。永井荷風に激賞され作家的地位を確立。関東大震災を機に関西に移住。『細雪』などは関西の風土を背景にしている。妻をしばしば代えた。最初の妻・千代子を佐藤春夫に譲ったことでも有名。(新潮文庫巻末の年譜その他による。)
2 『卍(まんじ)』
昭和3年(1928年)から『改造』に連載。谷崎42歳。当時は神戸市東灘区に住んだ。(芦屋市谷崎潤一郎記念館による。)谷崎は関西の風土と言葉を愛した。
この作品は垣内夫人という関西の上流(中産)有閑階級のマダムの、ねちねちとまとわりつくような関西弁で語られる。中学や高校で読もうとしてその密度に辟易したが、大人になって読むと谷崎の技(筆力)にうまくはめられてしまっている自分がいた。
垣内夫人(園子)は美術学校で知り合った光子という美しいお嬢さんに惹かれる。光子も上流(中産)階級の商家・徳光家の娘だ。両者は当時タブーの同性愛の噂を流され迷惑するが、それがきっかけで却って親密な関係になる。だがそこに綿貫栄次郎という男が現われた。綿貫はハンサムな男だが…
ここから先はネタバレになる。ドンデン返しが何回もある。関西弁のネチャネチャした文体で展開を追ううち、目が離せなくなる。展開は加速する。これは一種のサスペンスと言うべきか。いや、エンタメだ。谷崎流のエンタメなのだ。これだけの技術が谷崎にはあるのだ。「大谷崎」とはよく言ったものだ。明治以降の文豪を挙げるなら、漱石、鴎外、そして大谷崎かな、とある方が言われたが、そうかもしれない。
内容が内容なので健全なる青少年諸君に大いに薦める、という訳にはいかない。(と言うと読みたくなってしまうかもしれないが、健全なる青少年諸君が頁を開いても恐らくついていけないだろう。年を取ってから読む方がいいかもしれない。)男女の葛藤は大人のものだ。決してエロティックな作品ではない。むしろ、恐ろしい不気味な作品だ。
(以下、ネタバレ)
光子の魅力は多くの人を捉える。気が付くと光子に誰もが振り回される。光子は、綿貫が言い当てたように、自分が中心で周囲の者を跪(ひざまず)かせなければすまない女なのだ。そう、ナオミと同じだ。周囲も、求めて跪いているようにも見える。
そして、悲劇が起きる。最後は悲劇に終わるしかない、という予感が、読んでいて後半の途中からしてくる。その通り、悲劇は起きた。最後は、急展開過ぎて、ややついていきにくかった。が、そこに悲劇が起きるだろうなと思わせる世界ではあった。エンタメというよりも、一種のホラーなのかもしれない。
なお、文中に男女関係をめぐり契約書を交わすシーンが出てくる。谷崎自身も、夫人千代と離婚し佐藤春夫に譲るに当たり、一筆を記し、関係者に送った。いわゆる妻君譲渡事件で、世間を騒がせた。