James Setouchi

 

 谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』

 

1        作者 谷崎潤一郎 明治19年(1886年)~昭和40年(1965年)。作家。

 日本近代を代表する文豪の一人。代表作『刺青(しせい)』『異端者の悲しみ』『痴人の愛』『卍(まんじ)』『蓼(たで)食う虫』『芦刈(あしかり)』『春琴抄』『少将滋幹(しげもと)の母』『鍵』『瘋癲(ふうてん)老人日記』等多数。評論『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』や、『源氏物語』の口語訳でも有名。東京生まれ。東京帝大国文科中退。永井荷風に激賞され作家的地位を確立。関東大震災を機に関西に移住。『細雪』などは関西の風土を背景にしている。妻をしばしば代えた。最初の妻・千代子を佐藤春夫に譲ったことでも有名。(新潮文庫巻末の年譜その他による。)

 

2 『異端者の悲しみ』

 大正6年(1917年)7月発表。作者31才。作者の自伝的小説。

 

 「こは予が唯一の告白書にして懺悔録(ざんげろく)なり。…予に取りて最も忘れ難く、最も感慨深きものは実にこのこの一篇なり。その頃の醜かりし自己、哀れなりし自己、さては自己を取り巻く肉親骨肉の俤(おもかげ)を、この書によりて想起するごとに、予は常に戦慄と落涙とを禁ずる能わず。」と谷崎自身が書いている。(昭和47年版集英社日本文学全種24谷崎潤一郎集(一)p.411)

 

 谷崎は、東京の日本橋と言っても今日のごとき東京五輪(1964)後の都市化された日本橋ではなく関東大震災(1923)以前の江戸以来の下町の雰囲気の残る明治19年の日本橋に生まれた。親は商売をしていたが経営不振で苦労したようだ。潤一郎は成績優秀で府立第一中学校(現日比谷高校)、旧制一高、東京帝大国文科(卒業せず)に学んだ。

 

 谷崎の母親は大正6年の5月に亡くなった。その四十九日目にこの作品は『中央公論』に載った。谷崎には妹が複数いたが、年長の妹・園は明治44年に16才で病死したと言う。

 

 この『異端者の悲しみ』には、主人公・章三郎はエリート学生の仲間だが自分には金がなく、出自である下町の家族を恥じており、父親には反発、妹は不治の病で死にかかっているがどうしようもない、母親は父親と家が没落したことで喧嘩をしている、という状況が描き込まれている。読んでいて切なく苦しくなる作品だ。

 

 後年の『細雪』が阪神間のゴージャスな上流中流家庭の美しい姉妹たちを描いているのに対して、この『異端者の悲しみ』では、東京の下町の、貧しく、妹の診察代もままならず、自分の宴会の参加費も払えず、家族に対する愛憎を持ち、自己嫌悪に陥る学生の姿が描かれている。『細雪』と併せ読んでみれば、『細雪』の美しい世界を作り出そうとした谷崎の悲しみのようなものが少し覗き込めるような気がするだろう。