James Setouchi
三島由紀夫『夏子の冒険』
この本はどうですか
1 作者 三島由紀夫
大正14年(1925年)1月~昭和45年(1970年)11月。作家。
東京生まれ。本名は平岡公威(きみたけ)。父は官僚。幼時は病弱だった。学習院に学び文芸部に属し創作や評論を発表。学習院高等科を首席で卒業し天皇陛下から銀時計を拝受。東大法学部に学ぶ。昭和20年2月兵役に第二乙種合格するも入隊検査で軍医の誤診で即日帰郷。8月終戦。昭和22年東大法科卒。高等文官試験合格、大蔵省勤務。23年9月大蔵省を退職。執筆活動に専念するためだった。作品多数。『花盛りの森』『仮面の告白』『潮騒(しおさい)』『金閣寺』『美しい星』『近代能楽集』『豊饒(ほうじょう)の海』『葉隠入門』などなど。昭和45年没。ノーベル文学賞候補と噂されたことも。(新潮文庫巻末の年譜を参照。)
2 『夏子の冒険』
昭和26年12月刊。三島26才の時の作。
このあと三島は北・南米や欧州の旅行に出発し、恐らくはハワイの陽光を浴びエーゲ海の美しさに憧れ『潮騒(しおさい)』を書き、俗に言う「健全なる身体と精神」を求め肉体改造にボディビルと剣道を始め、最後は剣道5段になり、自衛隊に体験入学、<楯(たて)の会>を結成し、昭和45年11月市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地を襲い自決する。
この最後に至る出発点に昭和26年12月25日出発の外国旅行があったとすれば、この旅行に出発する直前の作品が『夏子の冒険』である、と位置づけることができる。
話は、わがままなお嬢様・夏子を主人公とする、一種の恋愛・冒険物語だ。
夏子は美しく、多くの男が言い寄ってくるが、すべての男は退屈だ。「夏子は情熱らしいものを宿している男が一人もいないことに失望した。」(1-2)。夏子は修道院に入ろうとする。
だが、その旅で偶然毅という青年に遭遇する。毅だけは他の男とは違っていた。「…その目の輝きだけは、決してざらにあるものではなかった。その目は暗い、どす黒い、森の獣のような光を帯びていた。」(2-3)」毅は昔の恋人の敵討ちのために北海道に巨大な熊を撃ちに行こうとしていた。巨大熊を毅が追う。毅を夏子が追う。お嬢様である夏子を母と伯母と祖母が追う。こうして奇妙な冒険が始まった…(以下は読んでのお楽しみ。)
ドタバタユーモア小説で読みやすい。
だが、よく読むと、三島独特のシニカルな文体で日本社会への批判が書き込んである。夏子にとって、金持ちの男も、芸術家気取りの男も、サラリーマンも、皆退屈だった。「まるで袋小路の行列だわ」「だってあの中のどの男のあとについて行ってもすばらしい新しい世界へ行ける道は塞がれていることがよくわかるもの。」「あの人たちは袋小路の代表よ」(1-2)
では、この袋小路からどこに脱出するのか。
「巨大熊を撃つ」とは、すでに暴力への志向がある。三島には、ハワイやエーゲ海を見て『潮騒』を書き日本刀「関の孫六」を得て自衛隊に突入する前に、すでに暴力への志向があったのだろう。また「修道院に入る」とは、宗教への志向だ。(三島は『豊饒の海』で輪廻転生を扱う。)三島の原質はこの作品にも現われているということだろう。
なお、この作品には北海道のアイヌが出てくる。アイヌが登場する文学作品(池澤夏樹の『静かな大地』など)の系譜の一つに数えられている。