James Setouchi

 

 池澤夏樹 『すばらしい新世界』『光の指で触れよ』中公文庫 

 

1 著者 池澤夏樹

 1945年北海道帯広市生まれ。埼玉大学中退(専攻は物理学)。東京、ギリシア、沖縄、フランスなどで暮らす。現在は北海道札幌市在住。小説に『夏の朝の成層圏』『スティル・ライフ』『バビロンに行きて歌え』『マシアス・ギリの失脚』『すばらしい新世界』『静かな大地』『キップをなくして』『光の指で触れよ』『カデナ』『双頭の船』『アトミック・ボックス』『キトラ・ボックス』など。随筆・評論に『言葉の流星群』『パレオマニア』『異国の客』『セーヌの川辺』『現代世界の重大小説』など。『池澤夏樹 個人編集 世界文学全集』の試みもある。

 

2 『すばらしい新世界』1999年読売新聞連載、2000年中央公論社刊。

 オルダス・ハックスレーの『すばらしい新世界』という小説がある。近未来社会のディストピアを描いた小説で、遺伝子・能力によって人間が選別されオートメカニックに完全に管理される世界だ。ここでは「すばらしい新世界」とは逆説である。池澤夏樹はおそらくこのハックスレーの作品を念頭に置き、そうではないもうひとつの「すばらしい新世界」のありかたを模索しようとしている。

 

 主人公・林太郎は大手メーカーのサラリーマンで、しかしマイナーな部門である風車を扱っている。ネパールの奥地のムスタンに風車を作るプロジェクトを担当することになる。会社はうまくいけばこのプロジェクトを世界中に売り込みたい。妻のアユミは環境問題のNPOに所属し金儲け主義の企業の批判を仕事としている。大学のインド哲学科中退で宗教的感性を持ってもいる。息子の森介は小学生。

 

 日本対ネパール(しかもさらに奥地のチベット付近)、先進国対途上国、西洋化・都市化することの是非、原発と自然エネルギー、大規模モノカルチャー農業対エコ型農業、無神論対チベット仏教の信仰の世界などの諸問題が問われる。オウム真理教事件(地下鉄サリン事件は1995年)への言及もある。私たちのこれからの生き方・社会の在り方を考えようとする小説である。2011年の大事故を経験した私たちには、現代の危機を予言した作品とも見える。

 

 題名『すばらしい新世界』について。末尾近くで林太郎は思う。「結局、自分は人生の一つの橋を渡ったのだろう。地味だけれど新しい世界に入ったのだろう。」この「新しい世界」とは、エネルギー問題だけの話ではなく、宗教・信仰の世界を多少とも理解できるようになり精神が深化したこと、また夫婦の絆(相互の理解)が深まったことを指すだろう。アユミはネパールから無事夫と息子が帰国したことを感謝して言う。「わたしはこうして心からの感謝の祈りを口にしております。二人の帰国以来、わたしは真の幸福で一杯です。」「山は神であり、雪は仏であり、吹く風は至高者の息吹だと私は信じております。山の純白を、雪の冷たさを、風の力を、わたしは(ちょうど夫が作った風車がそうするように)歓喜と共に受け取ります。天と地とはそのまま存在の至福であると信じます。」

 

3 『光の指で触れよ』2005~2006年読売新聞連載、2008年中央公論社刊。

 前作の続き。(第三部が東日本大震災以降の東北を舞台に構想されているとか。)

 

 前作では家族は極めて仲が良く落ち着くべきところに落ち着いていたのだが、作者はこの家族をいきなり引き裂いてしまう。林太郎が会社の部下と浮気し、家族が解体してしまうのだ。妻・アユミは生まれたての娘・キノコを連れ、自分の生き方を探すためヨーロッパへ。オランダのコミュニティーからスコットランドの宗教的なコミュニティーへ。そこには日本やアメリカの市場経済のシステムとは違うシステムの社会があった。アユミはレイキ(一種の手当て療法)を使える。スコットランドで出会ったトーマスはチベットで修行した不思議なマッサージを使える。スコットランド北部のルイス島のストーン・サークルでアユミは低い空を移動する冷たい月の光を浴び、…(ここから先は書きません)

 

 書評を見ると「読みにくい」「大御所なのに失望」などの言葉もあるが、「自分の体験と重なった」などの言葉もあった。グローバルキャピタルに支配された社会や生き方ではない別の社会・生き方をゆっくり考えるつもりで読めばいいと私は考える。前作は風車が中心だったが、本作は農業(自給自足気味の生産コミュニティー)が中心の話題だ。