James Setouchi

 

『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下)村上春樹 講談社文庫 

 

1 村上春樹:1949(昭和24)年京都府生まれ。早稲田(わせだ)大学文学部卒業。1979年『風の歌を聴(き)け』でデビュー。群像新人文学賞受賞。『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊(おど)る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』など。翻訳(ほんやく)も『レイモンド・カーヴァー全集』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(サリンジャー)、『グレート・ギャツビー』(フィッツジェラルド)、『ロング・グッドバイ』(チャンドラー)、『ティファニーで朝食を』(カポーティ)など多数。フランツ・カフカ賞(2006年)、エルサレム賞受賞(2009年)、カタルーニャ国際賞(2011年)。(新潮社のHPの著者一覧他を参考にした。)

 

2 『ダンス・ダンス・ダンス』1988(昭和63)年刊。(文庫化は91年。)

 ダンス部の話ではない。ステップを踏(ふ)み踊り続けるというのは、比喩(ひゆ)である。現代の高度資本主義社会においては(あるいは、人生においては)、いやおうなくいわばステップを踏み踊り(踊らされ)続けるしかない。

 

 この本で扱(あつか)われている時代は1983(昭和58)年。日本が貿易黒字で潤(うるお)い、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」と言われ、バブルに突入する前夜である。慌(あわ)ただしく働き、浪費し、何でも「経費(けいひ)で落ちる」。ハワイ旅行さえ。しかし自分ひとりの人生さえ自分の思い通りにならない。その中で「僕」はどう生きればいいのだろうか。「僕」は大切な何かを失ってしまった。

 

 「僕」を誰かがどこかで呼んでいる。「僕」を呼んでいるのはキキ(昔恋人だった、耳の美しい女の子)だ。キキはある日突然いなくなってしまった。「僕」はキキの呼ぶ声に応じて、東京→札幌→東京→ハワイ→東京と移動する。その中で「ステップを踏み、踊り続ける」。「僕」は求めるものに出会うのだろうか。ここから先はネタばれになるので書かない。

 

 面白い小説ではあった。今の日本は貧しく先行きも見えないという実感があるが、80年代の日本は全体に金が余り潤(うるお)っていた。その中で村上春樹は、システム化された高度資本主義への違和感(いわかん)を表明しつつ、失ってはならない大切なものとは何か、を問おうとしている。そういう小説としても読める。(なお、1995年の阪神大震災・オウム事件以降、村上春樹はこれらの状況を踏まえた執筆活動を行う。)

 

登場人物

「僕」:しがないライター。駄文をつづる「文化的雪かき」で金を稼(かせ)いでいる。

ユミヨシさん:「僕」が札幌のドルフィン・ホテルで知りあう女性。

キキ:「僕」が昔つきあっていた、耳の美しい女の子。

五反田君:「僕」の中学の同級生で映画俳優。全てが絵になる、かっこいい男。

メイ:「僕」が知りあう女性。何者かに殺害される。

文学と漁師:メイの事件で「僕」を取り調べる刑事のあだ名。

ユキ:「僕」が知りあう少女。一種の予知能力がある。

アメ:ユキの母。天才写真家。

牧村拓:ユキの父。作家。

ディック・ノース:詩人。アメの世話をしている。ベトナム戦争で左腕をなくした。

羊男:ドルフィン・ホテルのどこか異空間に住む、羊の皮をかぶった謎(なぞ)の男。