James Setouchi

 

村上春樹『街とその不確かな壁』新潮社 2023(令和5)年4月10日

 

1 村上春樹(1949~)

 1949(昭和24)年京都生れ、神戸育ち。神戸高校→早稲田大第一文学部に学ぶ。学生時代にジャズ喫茶を経営しつつ創作。『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』が初期の作品。長編『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』『騎士団長殺し』などは大ヒットを重ねた。『街とその不確かな壁』は2023年発表。地下鉄サリン・オウム事件を扱ったノンフィクション『アンダーグラウンド』『約束された場所で』などもある。短編小説集、アメリカの小説の翻訳(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『グレート・ギャツビー』など)も多い。村上春樹の作品は、世界中の都市生活者たちに読まれている。海外の賞(カフカ賞、エルサレム賞など)を多数受賞。(新潮社の公式サイトの著者紹介などから)

 

2 『街とその不確かな壁』

 本作には作者による「あとがき」がある。それによれば、1980年に『街と、その不確かな壁』という中編小説を『文學界』に発表したが、自分で納得がいかず書籍化していなかった。そこで1985年に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を書いた。が、それを上書きするというのではなく、補完しあうものを書けるのではないかと模索してきた。2022年から書き始め、コロナ・ウィルスの期間を含んで3年近くかけてこの『街とその不確かな壁』を書き上げた。

 

 上にあるとおり、話の枠組みは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に似ている。現実世界があり、もう一つの世界がある。後者は語り手が頭の中で組み立てた世界だと言いつつ、どちらがリアルでどちらがバーチャルかはわからなくなる。また、人間とその影が分離する。どちらが本当の人間でどちらが影かもわからなくなる。深い穴の底に別の世界への入り口(出口)がある、この世界と別の世界を往還する、別の世界とは自分の深層意識の世界かも知れない、そこで考えたことが現実化する、などは村上作品によく出てくる仕掛けだ。村上春樹は今までの取り組みを集大成した作品にしようとしたのかもしれない。文章は丁寧に書いており、描写が静謐で美しいところが多い。

 

 語り手「ぼく」は十代で「きみ」と仲良くなる。「きみ」は、今の自分は実体ではなく別の所に実体があると言う。「きみ」は突然いなくなる。「きみ」を失った「ぼく」は、この現実世界で、喪失感をかかえたまま生き続ける。大人になり、会社を辞め、東京を離れ、東北の田舎の図書館に仕事を見つける。そこで不思議な人々と出会う。

 

 別の世界では、大人になった「私」が、壁に囲まれた不思議な街で、少女の「君」と再会するが、「君」には「私」の記憶はない。「私」はその街で「影」と切り離され、「君」のいる図書館で古い「夢」を読み続ける仕事に従事する。

 

 むらかみhむらかみh作品冒頭では現実世界と別の世界の話とが交互に語られる。やがて両者は一つになる。そして・・・(ここからはネタバレになるので書かない。自分で読んで物語の世界をお楽しみ下さい。)

 

3 各種書評から:まだ発売して数日だが、様々なコメントがあった。アマゾンだけでも、「村上作品を読んできた人なら至福の時間を味わえる」「本当の文学に触れたければ読むべき」「ラストは閉じられることを拒んだのだ」「本書を読んだら地方の図書館で仕事をしたくなる」などの高評価もあったが、他方「村上春樹は成熟した大人が書けない」「テイストが古くなっている」「東北なのに震災も原発も出てこない」という批判もあった。