James Setouchi
村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?』文春文庫
1 村上春樹(1949年1月~):作家。京都生れ、兵庫県芦屋の育ち、神戸高校から一浪後早稲田大学第一文学部(演劇学科)に進む。学生結婚をする。ジャズ喫茶を経営。大学卒業後1979年『風の歌を聴け』で群像新人賞。その後次々と作品を発表、日本で最も売れている作家の一人。代表作『風の歌を聴け』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』など。ノンフィクション『アンダーグラウンド』『約束された場所で』、翻訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『グレート・ギャツビー』などもある。
2 『ラオスにいったい何があるというんですか?』文春文庫2018年
紀行文集。2013年(平成25年)から2016年(平成28年)にかけて発表したもの。滞在先は、ボストン、アイスランド、オレゴン州、メイン州、ギリシアの島、NY、フィンランド、ラオス、トスカナ、熊本。初出発表雑誌は『AGORA』が多いが他にもある。『AGORA』はJALの旅行雑誌で、言わば、もっと世界旅行をしましょう、と誘いをかける雑誌なので、行きたくなる(憧れを誘う)ように書いてあるとも言える。村上春樹は1980年代から90年代にかけてヨーロッパ、アメリカなどに滞在した時間が長い。今回の紀行文は、2010年代のもので、村上春樹にとって再訪の場所も多い。いくつか紹介する。
(1)『大いなるメコン川の畔で』
もともとは村上の『アンダーグラウンド』を読書会で扱い、カルト宗教についてどう考えるか? を考える中で、ラオスでは日常生活に仏教が生きている、それと日本の状況を比較してみれば何かが見えてくるのではないか? という問題意識でこの本を読み始めた。
文庫本の表題『ラオスに・・?』は、村上がラオスに行こうとしたとき、ベトナムのハノイの人が発した言葉のようだ。発表は『AGORA』で2014年。本文によれば面積は日本の三分の二、人口は日本の二十分の一、GDPは鳥取県の三分の一。国民の78%が農業に従事。(これは2023年現在では変化しているだろう。)メコン川沿いのルアンプラパンは、人口2万人余り。仏都と呼ばれ、大小の寺院がひしめく。赤い衣を着た僧たちが行列で托鉢をしている。人々は恭しく餅米ご飯(カオ・ニャオ)を差し出す。「儀式の力というか、場の力というか、予想を超えて何かしら感じるものが、そこにはあります。」(167頁)この街には「そこにとにかく物語が満ちている」「そのほとんどは宗教的な物語だ」「宗教」の定義は難しいが「固有の『物語性』が世界認識のための枠組みとなって機能する」ということも宗教の役割の一つだろう(179~180頁)、と村上は言う。
→『村上春樹雑文集』(新潮文庫)所収の「東京の地下のブラック・マジック」にもオウム論が出ている。「戦後五十年・・物質的な豊富さを追求し続けて、その結果我々はどこにたどり着いたのか?」「オウム真理教に帰依した人々は」「自らが安易に社会化されることに対して『ノー』と言わないわけにはいかなかったのだ」と村上は記す。もしそこが東京でなくラオスだったら、そういう若者は出なかっただろうか? こう考えてみてもよい。これについては問題提起だけで、ここでとどめる。
(2)『おいしいものが食べたい』
『AGORA』2008年に掲載。アメリカ西部のオレゴン州ポートアイランドと東部のメイン州ポートアイランドを訪れ、レストランでおいしいものを食べる、という内容。港町の歴史に加えハイテク産業や知的サービス産業の興隆の中で、街も人々も変わってきたが、それらのニーズに合った素敵なレストランがあり、お薦めである由。『ラオスに・・』とは随分色合いが違い、要するに商業雑誌によくあるお店の宣伝ではないか、とも思えるが、そう見せかけて、村上の文章の向こうにほの見えるのは、そこで何とかレストランを経営し頑張っている人(あるいは、こだわりのレコード屋さんやこだわりの家具職人さん)の姿だ。それは、本書の他の紀行文でも同様。イタリアにも、アイスランドにも、フィンランドにも、それぞれの気候風土、文化・文明の中で、何とか生きている人がいる、という気に、読んでいるとなってくる。村上はそれら個々の人を大事にしょうと考えているのだろう。