James Setouchi

 

 村上春樹『羊をめぐる冒険』講談社文庫で読める

 

1 村上春樹(1949年1月~):作家。京都生れ、兵庫県芦屋の育ち、神戸高校から一浪後早稲田大学第一文学部(演劇学科)に進む。学生結婚をする。ジャズ喫茶を経営。大学卒業後1979年『風の歌を聴け』で群像新人賞。その後次々と作品を発表、日本で最も売れている作家の一人。代表作『風の歌を聴け』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』など。ノンフィクション『アンダーグラウンド』『約束された場所で』、翻訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『グレート・ギャツビー』などもある。

 

2 『羊をめぐる冒険』:初出は『群像』1982(昭和57)年8月号。『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』に次ぐ作品。三作品とも「鼠」という男が出てくるので、「鼠三部作」語り手「僕」は1948年12月生まれ。1978年現在29才。

 

 第一章、1970年に三島由紀夫の自決のニュースを当時の彼女とICUのキャンパスで聞いた。彼女は1978年に26才で交通事故で亡くなる。このエピソードは、その後語られない。彼女と「僕」のその後の詳しい関係も語られない。村上春樹特有の、頭出しだけして回収しないエピソードとすませてよいか? そうではなく、語られないからこそ、「僕」にとって語り得ないほど深刻な事実を含んでいるのではないか? と考えてみることができる。

 

 1978年7月に彼女が亡くなったと知らせを受ける。ほぼ同時に妻が出て行く。

孤独になった「僕」は9月に耳のきれいな女の子と出会う。また、右翼の大物の「先生」の秘書を名乗る不気味な男から「羊」の写真をめぐり恫喝される。「羊をめぐる冒険」の物語が動き始める。

 

3 登場人物(ややネタバレを含む)

「僕」:翻訳事務所で働く29才。妻には去られた。(かつて学生時代、当時の彼女とデート中、ICUのキャンパスで三島由紀夫の自決(1970年11月25日)のニュースを聞く。)友人の「鼠」が送ってきた羊の写真をめぐり騒動に巻き込まれ、北海道へと旅することに。

「女の子」:「僕」が喫茶店で出会った女の子。3才年下。ICUのキャンパスでデートを重ねた。「25才で死ぬの」と言っていたが、1978年7月、交通事故のため26才で死亡。

「妻」:「僕」の妻。4才年下。子どもはいない。「僕」の友人と不倫し、1978年7月、過去を抹消して、出て行く。

「相棒」:「僕」の翻訳の仕事のパートナー。所帯持ち。アルコール依存症になっている。

「鼠」:「僕」の子どもの頃からの友人。恐らくは関西の金持ちの子。ジェイズ・バーにいりびたっていたが、あるときから消息不明に。突如「羊」の写った写真を「僕」に送る。なお、父親の買った別荘が北海道にある。(全二作にも登場。)

「羊博士」:東京帝大農学部を出たエリートで、満州で「羊」なる謎の存在と出会い、取り込まれる。「羊」を日本に連れてきてしまう。離れてしまった「羊」について執念深く研究している

「先生」:右翼の大物。北海道出身。「羊」が取り憑き、戦後日本の闇のフィクサーとなる。「羊」が離れ、死の床に。

「秘書」:「先生」の秘書。アメリカ帰りの鋭い男。「先生」に献身する。

「運転手」:巨大な車で送迎する。自称キリスト教徒。「神様」と電話で話す。

「耳のきれいな女の子」:広告業界の耳のモデル。「僕」より8才年下。「僕」と出会い、共に北海道に「羊」探しの旅に出る。不思議な予知能力がある。

「いるかホテルの支配人」:札幌の古いホテルの支配人。実は「羊博士」の息子。父親との関係で悩んでいる。

「羊男」:北海道の別荘に出現する謎の男。戦争で兵隊に取られることを忌避するために羊の皮を被って暮らしている。

「ジェイ」:恐らくは関西の海辺の街(=「僕」の故郷)のバーのマスター。中国系。

 

4 コメント:村上の作品にしては珍しく、満州・帝国主義・戦後の支配構造などが多く語られる。北海道の辺境の村の開拓の歴史を紹介する部分で、アイヌの青年が出てくる。ここも非常に読ませる。村上なりに近現代史の難題に挑戦しようとしたのかもしれない。北海道の牧場にいる「羊男」も徴兵逃れのために羊の皮を被っている。だが、そのイラストが頂けない。ただのマンガになっている。拍子抜けする。村上は近現代史の難題に触れようとしたが、手に負えなくなり途中で放り出したのだろうか。いや、この拍子抜けするイラストにこそメッセージがあるのか? わからない。

 

 また、『ダンス・ダンス・ダンス』にも耳のきれいな女の子、いるかホテル、羊男が出てくる。

 

 なお、石原千秋は、本作を「名前をめぐる冒険」「時間をめぐる冒険」であるとした。「僕」は自分の名前を忘れたとうそぶき、社会の中での責任を引き受けていない中途半端な人間だったが、この冒険を経て、名前、社会や他者、過去に対する責任を引き受ける人間に変化した、と解読する(『謎とき村上春樹』光文社新書2007年)。